黒い杭を置く男は、魔物を憎んでいませんでした
『第六地点――明日、日没前』
その一行を前に、俺達はしばらく動かなかった。
男を逃がしたことは悔しい。
ただ、それ以上に引っかかっている言葉があった。
『魔物が住処を失うことより?』
あの男は、魔物を嫌っているようには見えなかった。
むしろ逆だった。
「どう思う?」
森を戻りながら俺が尋ねると、最初に答えたのはノアだった。
「情報が足りません」
「やっぱり?」
「はい。あの一言だけで、相手の目的を決めつけるべきではありません」
「だよな」
「ただ」
ノアは少し考えてから続ける。
「少なくとも、“魔物を苦しめることそのものが目的”ではない可能性は上がったと思います」
リリアも頷いた。
「あの男性は、灰耳や蒼雷鷲を見ても敵意を示しませんでした」
「驚いてはいたけどね」
ミミナが言う。
「しかも、『本当に魔物を連れて歩いてる』って言ってた」
「つまり」
俺は足を止める。
「俺達のことを前から知ってた可能性がある」
誰かが見ていた。
あるいは報告されている。
どちらかは分からない。
「セイル達に知らせる?」
「はい。ただし」
リリアが紙を見る。
「今夜のうちに王都まで往復することはできません。ルーヴェルのギルドから伝令を出すのが現実的です」
「そうすると俺達は…」
「第六地点を探します」
「だよな」
明日の日没前か。
時間はある…が、第六地点がどこなのか分からない。
「六ってことは、杭の設置場所の番号なのかな?」
ミミナが尋ねる。
「可能性はあるけど、それだけじゃ場所が分からないな」
俺は紙を裏返す。
何もない。
「こういう時に『裏に地図が!』とかあれば楽なのに」
「犯人側がそこまで親切なわけないです」
ノアの正論が刺さる。
「どうするか…」
その瞬間。
上空の蒼雷鷲が高く鳴いた。
俺達は一斉に顔を上げる。
「……まさか」
蒼雷鷲が北へ飛ぶ。
少し進んで、また旋回する。
「知ってるの?」
ミミナが目を丸くする。
俺は胸の奥に意識を向けた。
《縁》が微かに反応している。
場所そのものが伝わるわけではない。
ただ、蒼雷鷲が何かを確かめようとしていることだけは感じる。
「ついて行ってみよう」
◇
蒼雷鷲が連れてきたのは、北にある森を抜けた古い街道だった。
今はほとんど使われていないらしく、石畳の間から草が生えている。
「ここ、どこへ続いてるんだ?」
リリアが周囲を確認する。
「東へ行けばルーヴェルの北側を回り込み、西は旧採石場です」
「旧採石場…」
俺がその言葉を呟くと、蒼雷鷲が西を見た。
「分かりやすすぎない?」
ミミナが言った。
「何があるかは分からないから、気を引き締めて行こう」
みんなが覚悟を決め旧採石場へ向かう。
一時間ほど歩くと、切り立った岩壁が見えてきた。
かつて人間が石を切り出していた跡が、階段のように山肌へ残っている。
今は誰も使っていない。
ただ。
「人がいます」
リリアが低く言った。
岩陰に二人。
遠目からでも分かる。
一人は昨日の男、もう一人は若い男。
そして足元には黒い杭が三本。
「三本も……」
俺達は岩陰へ身を隠す。
「どうする?」
ミミナが囁く。
リリアはすぐには飛び出さずに言った。
「話を聞きたいです」
「俺もだ」
捕まえることだけが目的じゃない。
どうしてこんなことをしているのか。
それを知らなければ、杭を一本止めてもまた次が出る。
「俺が先に話す」
「一人では駄目です」
「もちろん一緒にお願いします」
リリアと並んで岩陰から出る。
「そこで止まってください!」
二人がこちらを見る。
若い男が驚き、腰の短剣へ手を伸ばす。
昨日の男が腕を出して止めた。
「来たか」
「待ってたみたいな言い方ですね」
俺が言うと、男は小さく息を吐いた。
「来ると思っていた」
「昨日の紙、わざと落とした?」
返事はない。
それだけで十分だった。
「試したのか?」
俺が続ける。
「俺達がここまで来るかを」
男の目が少し細くなる。
「思ったより早かった」
「魔物に助けてもらったからな」
蒼雷鷲が上空を旋回する。
男はそれを見る。
「……やはりか」
「答えてもらうぞ」
俺は黒い杭を指す。
「これを使って何をしようとしてる?」
若い男が何か言おうとした。
だが昨日の男が止める。
「知らない方がいい」
「それで引くと思うか?」
「思わない」
あっさり言われた。
「なら話してもらう」
男はしばらく黙っていた。
それから。
「お前達は、魔物が人間の町へ来るから異常だと思ってる」
「それで?」
「順番が逆だ」
俺は眉を寄せる。
「どういう意味だ?」
「人間が先に、魔物の場所へ入った」
旧採石場に風が吹く。
「森を切り、山を掘り、地下の魔力を封じた。魔物が暮らしてきた場所を人間が広げた町と鉱山で削った」
男は黒い杭を見る。
「その結果、行き場を失った魔物が人里へ出れば、人間は『魔物が襲ってきた』と言う」
ルーヴェルで見た鉱殻獣。
住処。
餌場。
人間の鉱山。
頭の中で重なる。
男の言っていることが全部が嘘だとは思えなかった。
「だから黒い杭を?」
「境界を戻している」
「戻す?」
「地下へ押し込められた魔力を地上へ返す。人間だけに都合よく作られた土地を、本来の状態へ近づける」
ノアが後ろから静かに言う。
「その結果、《夜棘》が発生しています」
男の顔がわずかに動く。
「分かっている」
「魔物が傷つくことも?」
「……分かっていた」
その言葉に俺は少し怒りを覚えた。
「じゃあ駄目だ」
男が俺を見る。
「何?」
「人間が魔物の場所を奪ったことがある。それは本当なんだろう」
ルーヴェルで実際に見た。
知らなければ、人間は鉱殻獣の住処まで掘っていたかもしれない。
「そこは否定しない」
一歩前へ出る。
「でも、それを直すために《夜棘》で魔物を追い出して、人間の町へぶつけるのは違うだろ!」
「人間は痛みを知らなければ変わらない」
「だから魔物にも痛い目を見せるのか!?」
男が黙った。
「人間に分からせたいなら、なんで住処を奪われた魔物まで傷つけるんだよ」
「犠牲なしで変わると思うのか」
「分からない」
俺は即答した。
男の表情が初めて揺れた。
「全部うまくいくなんて思ってない。ルーヴェルだって揉めた。鉱殻獣を信用できないと言う人もいた」
だが…
「俺たちはだからこそ話し合いをしたんだ」
一緒に試したし、失敗しそうなら止めた。
「三日しか経ってない。それでも、人間は掘る場所を変えたし、魔物も人間に鉱石の場所を教えた」
「たかが一つの町の話だ」
「そうだな」
「世界はそんなに簡単じゃない」
「そうなんだろうな」
俺は自分でも不思議なくらい、落ち着いていた。
「だから一個ずつやるんだろ」
男が黙る。
「世界全部を一回で変えようとして、何十匹も何百匹も追い出すより、俺はそっちの方がいいと思ってる」
風の音だけが残る。
その時若い男が突然声を上げた。
「時間ですよ」
昨日の男が振り返る。
「何だと?」
足元の黒い杭の一本に、淡い紫色の光が灯った。
「起動した!?」
「違う!」
昨日の男の顔色が変わる。
「まだ時刻じゃない!」
黒い杭から低い音が響く。
二本目。
三本目。
次々に光り始める。
地面が震える。
「止めて!」
ミミナが杖を構える。
「触るな!」
昨日の男が怒鳴った。
俺達全員が止まる。
男は黒い杭を見つめていた。
その顔には明らかな焦りがあった。
「誰が起動した……?」
俺はその一言を聞き逃さなかった。
「お前じゃないのか?」
男はこちらを見ずに、ただ呟いた。
「早すぎる」
地面の亀裂から黒紫色の細い芽が一本、顔を出した。
《夜棘》だ。
その瞬間、俺は理解した。
目の前の男は黒い杭を置いてはいる。
だが、こいつも黒幕ではないようだ。
――第六十二話 終
最後までお読みいただきありがとうございます!
今回はついに、
黒い杭を設置している人物と直接話すことができました。
彼らの言い分は、
「人間が先に魔物の住処を奪った」
というもの。
実際、ルーヴェルで鉱殻獣達と出会ったユウトには、
その言葉を完全には否定できません。
ですがユウトが否定したのは、その手段。
人間に痛みを理解させるために、
住処を奪われた魔物まで《夜棘》で傷つける。
それは違う。
そして話の最中、
予定より早く起動した三本の黒い杭。
設置した本人さえ、
「誰が起動した?」
と驚いていました。
黒い杭を置いている人間と、
本当に計画を動かしている存在は、
同じなのでしょうか。
第63話へ続きます!
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