黒い杭を置いた奴を追ったら、罠まで用意されていました
黒い杭は、まだ地面に刺さっていなかった。
何度見ても、それだけで妙な感覚がある。
今まで俺達が見つけてきたのは、すでに《夜棘》を発生させた後の杭だった。魔物が逃げ、人間と衝突し、誰かが傷ついたあとで、ようやく原因の一つに辿り着く。
今回は違う。
被害が出る前に見つけた。
なら、次にやることも変えられる。
「杭には触れないでください」
リリアが周囲を警戒したまま言った。
「分かってるよ」
「本当ですか?」
「なんで確認するの!?」
「ユウトは確認する前に近づくので」
「ミミナじゃないんだから」
ノアが俺達の横を通り、黒い杭から距離を取ったまましゃがみ込んだ。
「魔力はまだほとんど流れていません。少なくとも、現在は起動していないようです」
「じゃあ安全?」
ミミナが尋ねる。
「“今すぐ《夜棘》が出ない”という意味では、です。触って安全かどうかは別です」
「了解。触らない」
ミミナが素直に杖を引いた。
俺は地面を見る。
黒い杭の横には新しい足跡がいくつも残っていた。草も踏まれているし、土を掘り返した跡もまだ乾いていない。
「置いた奴、そんなに前じゃないよな」
リリアも同じ場所を見る。
「はい。人数までは断定できませんが、少なくとも一人は北側へ向かっています」
「追えるか?」
「おそらく」
そこで灰耳が鼻先を地面へ近づけた。
少し匂いを嗅いだあと、北へ向かって歩き出す。
「私達より頼りになりそうだね」
ミミナが言う。
「悔しいですが否定できません」
リリアが真顔で答えた。
「あ!そういう意味じゃないよ?」
「…追跡は専門外です」
ミミナが気まずそうにしているのが可笑しい。
にしても自分の不得意をあっさり認めるところはリリアらしい。
蒼雷鷲は上空へ上がり、木々の上から周囲を見ている。
地上は灰耳。
空は蒼雷鷲。
「……かなり強くない?」
俺が呟く。
「何がです?」
ノアが尋ねる。
「俺達だけだったら、足跡見失ったら終わりだった。でも今は、地上と空の両方から追える」
今まで助けてきた魔物達が、今度はこちらを助けている。
《縁》は直接攻撃する力ではない。
剣が強くなるわけでもないし、魔法が増えるわけでもない。
それでも、こういう時、俺一人では絶対に持てない力を周りから借りられる。
「行こう」
俺達は灰耳の後を追った。
◇
足跡は森の奥へ続いていた。
最初は一人分だけだったが、途中で別の足跡と重なる。
「二人?」
俺が聞くと、リリアが首を振った。
「分かりません。同じ人物が往復した可能性もあります」
「なるほど」
森の中には目印らしいものも残っていた。
木の幹に浅く刻まれた傷、折られた枝、小さな石を三つ重ねた場所。
「これ、帰り道の目印かな」
「可能性はありますね」
リリアが一つを確認する。
「急いでいたようには見えません」
「つまり、ここを何度か通ってる?」
「そうかもしれません」
すると、灰耳が立ち止まり、耳が前へ向く。
俺達も足を止める。
「何かいるのか?」
灰耳は答えないが、代わりに低く唸った。
「下がって」
リリアの剣が静かに抜かれる。
「気をつけてください」
その瞬間だった。
ぱきん。
足元で何かが鳴った。
「え?」
地面が沈む。
「ユウト!」
リリアに腕を掴まれ、身体を引き戻された。
次の瞬間、俺が踏みかけていた場所から細い金属線が跳ね上がり、木の上に仕掛けられていた丸太が勢いよく横切った。
「ひいっ!」
太い丸太が目の前を通過し、反対側の木へ激突する。
鈍い音が森へ響いた。
「……い、いまの食らったら?」
「骨折では済まない可能性があります」
ノアが冷静に答えた。
「………」
背中に冷たい汗が流れる。
「罠だよね」
ミミナが顔をしかめる。
「魔物用?」
「違うと思います」
リリアが金属線を見る。
「高さと仕組みからして、人間を想定しています」
俺達は黙った。
黒い杭を置いた人間。
その進行方向。
そして人間用の罠。
「追われる可能性を考えてたってことか」
「そう見えます」
リリアの声が低くなった。
偶然ここに罠があったとは考えにくい。
つまり相手は、杭を置けば誰かが追ってくるかもしれないと分かっていた。
「ユウト、前へ出ないでください」
「絶対に出ません。お願いします」
「いつもそうだと安心なのですが」
「…努力します」
ここからはリリアが先頭になった。
灰耳も地面の匂いだけではなく、周囲を警戒しながら進む。
数十メートル進むたびに、一度止まる。
二つ目の罠は穴だった。
落ち葉で隠され、その底に尖った木片が並べられている。
灰耳が先に気づいた。
「助かった……」
俺が呟くと、灰耳が一度こちらを見る。
「いや、本当にありがとう」
胸の奥が微かに温かくなった。
◇
三つ目の罠はなかった。
代わりに、森が突然開けた。
古い炭焼き小屋のような建物が一つだけ残っている。
壁は半分崩れ、屋根もところどころ抜けていた。
「足跡が中へ続いています」
リリアが囁く。
蒼雷鷲が上空を一度旋回した。
鋭い鳴き声。
「何か見つけたのかな?」
俺が空を見上げる。
その直後。
小屋の中から物音がした。
「出てきてください!」
リリアが声を張る。
「こちらは戦闘を望んでいません!」
返事はない。
「それ言って出てくる奴いるかな」
ミミナが小声で言う。
「言わずに斬り込むよりはいいでしょう」
ノアの言う通りだ。
数秒。
何も起きない。
その時、小屋の裏側で枝が折れた。
「逃がさない!」
リリアが走る。
俺達も追う。
木々の間を、黒い外套を着た人影が走っていた。
「止まれ!」
リリアが叫ぶが当然止まらない。
速い。
少なくとも俺より圧倒的に速い。
「これ絶対追いつけない!」
「ユウトは無理です!」
「分かってるよ!」
ミミナが杖を上げる。
「足を軽く――」
「駄目です!」
ノアが止めた。
「地形が分かりません。速度だけ上げたら転倒します!」
「じゃあどうすれば…」
次の瞬間、答えは上から来た。
蒼雷鷲が急降下する。
「うわっ!」
逃げていた人物が初めて声を上げた。
巨大な翼が進路を塞ぎ、男は横へ飛ぶ。
そこへ灰耳が回り込んだ。
前に蒼雷鷲。
横に灰耳。
後ろからリリア。
男は足を止めた。
「はぁ、はぁ、追いついた……」
俺は完全に遅れて到着し、膝へ手をつく。
「ちょっと……待って……」
「ユウト、無理しすぎ」
ミミナが俺の背中を叩く。
「今……大事な……場面だから……」
「息整えてから格好つけようね?」
言い返せない。
男は四十歳前後に見えた。
黒い外套の下は作業服のような服装で、腰には短剣が一本ある。
でも、剣へ手を伸ばしてはいない。
リリアが距離を保ったまま問う。
「黒い杭を置いたのは、あなたですか」
男は答えなかった。
代わりに俺達の後ろを見る。
灰耳。
そして上空の蒼雷鷲。
男の表情が、一瞬だけ変わった。
恐怖ではなく、驚き。
それから口を開いた。
「……そうか」
男が初めて口を開いた。
「本当に、魔物を連れて歩いてるんだな」
俺は眉を寄せる。
「俺達のことをなぜ知ってる?」
男は答えない。
「誰から聞いた?」
沈黙。
リリアが一歩出る。
「黒い杭について聞きたいことがあります」
「聞いてどうする」
男の声は落ち着いていた。
「止めるのか?」
「当然だ」
俺が答えた。
男がこちらを見る。
「魔物が住処を失うことより?」
その言葉に、俺は一瞬止まった。
「……何?」
男は笑わなかった。
怒ってもいない。
ただ、妙に疲れた顔をしていた。
「何も知らないんだな」
そう言った瞬間。
男の足元から白い煙が噴き上がった。
「下がって!」
リリアが俺達の前へ出る。
視界が真っ白になる。
「煙幕かよ!」
俺は咳き込みながら目を閉じた。
数秒後。
煙が薄くなった時には。
男の姿は消えていた。
「逃げられた……」
リリアが周囲を見る。
灰耳も匂いを探している。
しかし。
「こっち!」
ミミナが地面を指した。
男が立っていた場所に、小さな革袋が落ちている。
中から一本の細い金属片が見えた。
黒い杭と同じ色。
そして短い文字だけが書かれていた紙が1枚入っている。
『第六地点――明日、日没前』
俺は紙を見つめる。
「明日……?」
今度は事件が起きる前に追いついた。
でも。
相手も、こちらが来ることを想定していた。
攻める番だと思っていたが、どうやら向こうも手を止めるつもりはないらしい。
――第六十一話 終
最後までお読みいただきありがとうございます!
今回は、設置される前の黒い杭から、
初めて「置いた人物」へ直接迫りました。
ですが相手は、
追跡されることまで想定して罠を準備していました。
そして初めて交わした言葉。
「魔物が住処を失うことより?」
黒い杭を置く側にも、
何かしらの理由があるようです。
さらに残された紙には、
『第六地点――明日、日没前』
という文字。
これまで事件の後を追ってきたユウト達は、
今度こそ次の現場へ先回りできるのか。
第62話へ続きます!
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