助けを求めに来た蒼雷鷲が、巣とは逆の方向へ飛びました
ルーヴェルの上空を旋回していた《蒼雷鷲》は、明らかにいつもの飛び方ではなかった。
高度を上げようとしては翼が傾き、すぐにまた下がってくる。青い羽の何枚かは乱れ、右脚には黒紫色の細い何かが絡みついていた。
「着地させた方がいい!」
俺が叫ぶと、リリアがすぐ周囲の子供達へ向き直った。
「皆さん、門から離れてください! 走らなくて大丈夫です、ゆっくり後ろへ!」
さっきまで笑っていた子供達も、彼女の声を聞くと素直に下がっていく。町の衛兵達が空を見上げて弓へ手を伸ばしたが、ガロンがすぐに止めた。
「射つな! あいつはユウト達の知ってる魔物だ!」
「ですが、このまま町へ落ちたら――」
「だから場所を空ける!」
俺達が西門の外へ走ると、蒼雷鷲もこちらに気づいたらしい。最後の力を使うように翼を一度大きく広げ、そのまま草地へ降りてきた。
着地というより、ほとんど滑り込んだ。
「うわっ!」
土と草が舞い上がり、俺は両腕で顔を庇う。
蒼雷鷲は数メートル滑ったところで止まり、荒く息をしながら身体を低くした。
「ノア!」
「分かっています!」
ノアはすぐに近づいたものの、いきなり触ろうとはしなかった。
「ユウト、まず落ち着かせてください。右脚に《夜棘》らしきものがあります」
「分かった」
俺は蒼雷鷲の正面ではなく、少し横からゆっくり近づいた。
「久しぶりだな」
巨大な金色の瞳がこちらを向く。
「……って、再会の挨拶してる場合じゃないよな」
蒼雷鷲が短く鳴いた。
以前、この魔物と《縁》が深まった時、一瞬だけ空から地面を見下ろしているような感覚が流れ込んできたことがある。
あれは視界を共有したのだろうか。
「治していいか?」
俺がノアを指差すと、蒼雷鷲の視線が彼女へ動いた。
逃げない。
「ノア」
「はい」
ノアが右脚へ近づく。
絡みついていたのは、やはり細い《夜棘》だった。ただし根を張っているわけではなく、どこかを通過した際に引っかかったものらしい。
「少し痛みますよ」
「言って分かるかな」
「分からなくても、黙って始めるよりはましです」
「…それはそうだ」
ノアの《浄化》が淡く光る。
黒紫色の棘がじわりと色を失い、ミミナが横から杖を構えた。
「私、手伝う?」
「今は大丈夫です。動いた場合だけ、右脚への負担を軽くしてください」
「対象、右脚。効果、重量軽減。強さ十パーセント、必要になったら五秒だけね」
「完璧です」
ミミナが嬉しそうに笑った。
「今ほめられた!」
「ぷっ、よかったな」
「なにさ!」
少しだけ空気が緩んだが、蒼雷鷲の様子は変わらない。
《夜棘》が外れると、ノアは翼まで確認した。
「羽は傷んでいますが、骨折はしていません。疲労の方が大きいですね」
「ここまで飛び続けてきたってこと?」
「その可能性が高いです」
俺は蒼雷鷲を見る。
「何があったんだ?」
当然、言葉は返ってこない。
それでも蒼雷鷲は顔を上げ、北の空を見る。
次に俺を見る。
また北を見る。
「……来いってことか?」
胸の奥が熱を持った。
はっきりした意味まで分かるわけではない。
ただ、焦りだけは伝わってくる。
自分を助けてほしい、という感じではなかった。
「巣?」
俺が尋ねると、蒼雷鷲は翼を少し広げた。
以前こいつの巣があった谷は、ここから見れば西寄りだ。
だが蒼雷鷲が向いているのは北東だった。
「違う」
リリアも気づいたらしい。
「あの方向は、巣とは逆です」
「じゃあ、自分の子供じゃないんだ」
ミミナが呟く。
それでもここまで飛んできた。
俺の中で、嫌な予感が強くなる。
「行こう」
リリアが剣の位置を確認する。
「まだ何があるか分かりませんよ」
ノアの言うことは正しい。
「うん。でも、こいつは俺達を探しに来た」
俺は蒼雷鷲を見る。
「それを無視するのは嫌だ」
ノアは一瞬だけ俺を見て、それからため息をついた。
「反対はしていません。出発前に水と治療用品を補充すると言おうとしただけです」
「ごめん」
「ユウトは時々、私を止める側だと思いすぎです」
「最近危ないことばっかりしてるから」
「自覚があるなら結構です」
◇
ルーヴェルを出たのは、それから三十分ほど後だった。
蒼雷鷲は完全には回復していないため、低い高度を保ちながら飛んでいる。
俺達は徒歩では追いつけないので、町から小型の荷馬車を借りた。
「空を飛ぶ魔物についていくのに荷馬車って、絵面が地味だな」
御者台の横で俺が言うと、ミミナが荷台から顔を出した。
「ユウトが飛べないからでしょ」
「俺だけの問題じゃないよね?」
「私は付与でちょっとなら軽くなれるよ」
「飛べないだろ」
「気持ちは飛べる」
「気持ちで追いつける速度じゃないんだよ」
リリアが前方を見たまま口を挟む。
「二人とも、そろそろ黙ってください。道が悪くなります」
「はーい」
「はーい」
返事が揃った。
ルーヴェルから北東へ伸びる旧道を一時間ほど進むと、景色が変わり始めた。
森が濃くなっている。
ただし、木々の一部は黒ずみ、葉を落としていた。
「《夜棘》の影響でしょうか」
ノアが周囲を見る。
「断定はできないけど、魔力の流れは乱れてる」
ミミナが周りを調べる。
すると蒼雷鷲が低く鳴き、そのまま旧道を外れ、森の奥へ進んでいった。
「馬車はここまでですね」
リリアが降りる。
俺達も荷物を持ち、残りは徒歩で追うことにした。
森の中には、妙な痕跡が増えていった。
折れた枝。
深い足跡。
削れた木の幹。
何種類もの魔物が同じ方向へ移動したように見える。
「また逃げてるのかな」
俺が言うと、リリアがしゃがみ込んで足跡を確認する。
「可能性はあります。ただ……」
「何?」
「この足跡は、途中から乱れています」
大きな足跡の横へ、小さな蹄。
さらに狼らしい肉球。
それらが一か所で複雑に交差し、その先では走ったように間隔が広がっている。
「何かに追われた?」
「そう見えます」
胸の奥が重くなった。
以前は《夜棘》から逃げていた。
今回は、それだけではないのかもしれない。
◇
さらに進むと、鼻につく匂いがした。
「血です」
ノアの声が低くなる。
リリアが剣へ手をかける。
「ここからは慎重に」
森を抜けた先は、周囲を岩壁に囲まれた浅い盆地だった。
俺達は上側の斜面から、その全体を見下ろすことになった。
「……なんだよ、これ」
思わず声が漏れる。
盆地には、何十頭もの魔物がいた。
ホーンラビット。
小型の鹿。
フォレストウルフ。
俺達が見たことのない小型魔物までいる。
種類はばらばらだ。
なのに、全員が一か所へ追い込まれている。
南側には《夜棘》。
黒紫色の根が壁のように広がり、盆地の出口を塞いでいる。
北側は急な崖。
逃げ道はほとんどない。
「蒼雷鷲が助けようとしていたのは、この群れ……?」
ミミナが呟いた。
その時。
森側から獣の咆哮が響いた。
魔物達が一斉に怯え、さらに中央へ身を寄せる。
「《夜棘》を怖がった反応じゃない」
リリアが剣を抜く。
木々の陰から、四足の大型魔物が現れた。
一頭。
その後ろに、さらに二頭。
赤褐色の短い毛、異様に発達した前脚、そして顎から突き出した二本の太い牙。
リリアの表情が変わった。
「《裂牙獣》です」
「危険?」
「非常に」
彼女は即答した。
「群れで狩りをする肉食魔物です。弱っている獲物を執拗に狙います」
中央に追い込まれた魔物達。
出口を塞ぐ《夜棘》。
そして、その状況を利用して狩りをしている裂牙獣。
「……こいつらも《夜棘》に操られてる?」
俺が尋ねると、ノアが魔力を探る。
「今のところ、その兆候は感じません」
裂牙獣の一頭が、群れから離れかけた幼い鹿へ向かって走り出した。
その前へ。
灰色の影が飛び込む。
「え?」
片方の耳が灰色のフォレストウルフ。
見覚えがある。
「あいつ……!」
以前俺達を魔物達の避難場所へ案内した個体だった。
灰耳は幼い鹿を背後へ逃がしながら、裂牙獣へ牙を剥く。
だが体格が違う。
一頭を押し返せても、残り二頭が左右へ回り始めた。
上空で蒼雷鷲が叫ぶ。
今まで結んできた《縁》が、偶然ここへ集まったわけではなかった。
蒼雷鷲は知っていた。
灰耳達が追い詰められていることを。
だから町まで俺達を探しに来た。
「リリア」
「はい」
「助けるよ」
彼女はすでに剣を構えていた。
「私もそのつもりです」
ミミナも杖を握り、ノアは治療用の鞄を下ろす。
ただ、俺は裂牙獣を見ながら、今までとは違う感覚を覚えていた。
傷ついて暴走しているわけでもない。
《夜棘》に操られている様子もない。
子供を守っているわけでもない。
ただ、逃げ場を失った獲物を狩っている。
「今回は……話して止まる相手じゃないかもしれないな」
俺の言葉に、誰も否定しなかった。
――第五十九話 終
最後までお読みいただきありがとうございます!
ルーヴェルまで助けを求めに来た《蒼雷鷲》。
今回、ユウト達が案内されたのは、
蒼雷鷲自身の巣ではありませんでした。
《夜棘》によって逃げ道を失った、
さまざまな魔物達。
その中には、
以前ユウト達と《縁》を結んだ灰耳のフォレストウルフもいました。
さらに現れたのは、
弱った獲物を狙う《裂牙獣》。
今回は《夜棘》に操られている様子もありません。
「魔物だから助ける」
「魔物だから倒す」
どちらでもないユウト達が、
次にどんな判断をするのか。
第60話へ続きます!
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