三年間無人のはずの研究所で、火だけが消えていませんでした
王都を出て北西へ向かう街道は、昼を過ぎる頃には細い山道へ変わっていた。
「本当にこの先?」
ミミナが前方を見上げる。
道というより、山の斜面を無理やり切り開いた跡に近い。左右を深い森に挟まれ、王都の高い城壁も、もう振り返ったところで見えなかった。
「間違いない」
答えたのはセイルだった。
今日は俺達四人に加えて、セイルとオスカーも同行している。
三年前に行方が分からなくなった《術式刻印器》の試作二号。
その装置が最後に使われた場所が、これから向かう第二試験場だった。
「三年間、誰も入ってないんだよな?」
俺が尋ねると、オスカーが頷く。
「公式にはな」
「最近、その言葉を信用できなくなってきたんですけど」
「奇遇だな。俺もだ」
本人に言われると困る。
ただ、今回ばかりは冗談では済まなかった。
死んだ研究者の名前。
知らないうちに使われた職員の名前。
回収されなかった空欄の証明書。
失われた《術式刻印器》。
どれも三年前の事故処理に残された小さな穴だった。
誰かがその穴を、一つずつ利用している。
もし試作二号まで使われているなら、ここは今までで一番、黒い杭の製造へ近い場所になる。
「ユウト」
リリアが俺の横へ来た。
「足元を見てください」
「今度は何?」
「木の根です」
言われる前方を見ると、確かに太い根が道を横切っている。
「まだ転んでないからな」
「転んでからでは遅いです」
「最近、俺の扱いだけ妙に丁寧じゃない?」
「危なっかしいからです」
「お母さん!?」
それでも、こういうやり取りができる程度には落ち着いている。
怖くないわけじゃない。
むしろ、何が待っているのか分からないから怖い。
ただ、一人ではない。
それだけで随分違った。
◇
山へ入って三時間ほど経った頃、セイルが足を止めた。
「見えた」
木々の間。
山肌へ半分埋まるように、灰色の石造りの建物が見える。
「あれが第二試験場?」
「ああ」
近づくにつれて全体が分かってきた。
大きさは王都の聖騎士団本部ほどではない。ただ、普通の研究施設というより小さな砦に近く、厚い石壁と鉄製の扉で山の斜面ごと塞いでいる。
周囲には雑草が伸び、石壁には蔦が絡んでいた。
三年間放置されたと言われれば納得できる。
「《夜棘》は?」
ノアが周囲を確認する。
「見える範囲にはありません」
「魔力は?」
俺がミミナを見る。
「普通……じゃない」
彼女の表情が変わった。
「すごく濃いわけじゃないけど、建物の中で何か動いてる」
「装置?」
「そこまでは分からない」
オスカーが石壁の脇へ向かった。
「外部魔力を遮断する術式が残っている。本来なら、中の魔道具が動いていても外からは感じにくいはずだ」
「じゃあミミナが感じてる時点で?」
「何かがおかしい」
またか。
俺達は正面扉へ向かう。
そこには太い鎖と、大きな封印板が取り付けられていた。
オスカーがしゃがみ込む。
「これを付けたのは俺だ」
「三年前に?」
「ああ」
金属板には古い印章が押されている。
「開けられた形跡は?」
リリアが尋ねる。
「表からはない」
俺は少し安心しかけた。
だが、オスカーは続ける。
「ただし、この封印板は偽物だ」
「……はい?」
「俺が付けたものじゃない」
一瞬、意味が分からなかった。
「でも今、自分で付けたって」
「この形式を付けたのは俺だ。だが、これは別物だ」
オスカーが端を指す。
「当時使っていた封印材は銀を混ぜていた。三年経っても、ここまで黒く変色しない」
セイルもしゃがむ。
「刻印も少し違う」
「つまり?」
ミミナが尋ねる。
「一度本物を外して、中へ入った奴がいる」
セイルの声が低くなる。
「その後、別の封印を作って閉じ直した」
外から見れば、三年前から閉ざされたままに見えるように。
俺は建物を見る。
「誰かが来てる」
「可能性は高い」
リリアが剣へ手をかけた。
「現在も内部にいる可能性を考えましょう」
「そうだな」
怖さが一段上がる。
でも、ここまで来て帰る選択肢はない。
「開けよう」
◇
偽の封印を外し、重い鉄扉をゆっくり開ける。
最初に入るのはリリア。
その後ろに俺、ミミナ、ノア。
さらにセイルとオスカーが続く。
内部は暗かった。
ランタンを点けると、長い石造りの廊下が現れる。
左右にはいくつもの扉。
床には埃が積もり、壁には三年前の注意書きが残ったままだ。
「人の足跡は?」
俺が聞く。
リリアがランタンを下へ向ける。
「あります」
やっぱり。
埃の上に薄い跡が残っている。
一人分ではないようにも見えるが、古いものと新しいものが重なり、正確には分からない。
「どっち?」
俺が尋ねる。
セイルが迷わず廊下の奥を指す。
「試作工房は地下だ」
「案内頼む」
三年前にここで働いていたセイルがいる。
こういう時は本当に心強い。
階段を下りる。
途中、ミミナが何度か立ち止まった。
「魔力…やっぱり動いてる」
「近づいてる?」
「うん」
地下へ降りるほど、空気が少し暖かくなっている気がした。
「なんか暑くない?」
俺が言うと、ノアも頷く。
「外気との差がありますね」
「地下って普通、涼しいんじゃ?」
オスカーの足が止まった。
「そうだ」
「じゃあ何で……」
「熱を使う設備が動いている」
俺達は足を速めた。
地下二階。
分厚い木製扉。
セイルが剣を抜くリリアへ視線を向けたあと、取っ手へ手を伸ばす。
「ここが試作工房だ」
扉を開ける。
その瞬間。
暖かい空気が顔へ当たった。
俺は思わず立ち止まる。
室内には大小さまざまな作業台が並び、壁際には炉がある。
そして。
「……火?」
ミミナが呟いた。
炉の中。
赤い炭が、まだ生きている。
三年間無人だったはずの研究所。
その地下で。
つい最近まで、誰かが火を使っていた。
「全員、警戒してください」
リリアの声が低くなる。
俺達は工房の中へ入った。
人はいない。
だが、使われていた痕跡はいくらでもあった。
机の上の工具。
水の入った容器。
金属片。
削りかけの黒い素材。
「これ……」
ミミナが作業台へ近づく。
触らずに見る。
「黒い杭と同じ金属だと思う」
心臓が速くなる。
「オスカーさん」
「ああ」
彼は工房の奥を見ていた。
そこに、大型の魔道具が置かれている。
箱型の本体。
いくつもの調整器。
金属表面へ術式を刻むための細い腕。
オスカーがゆっくり近づいた。
「間違いない」
「これが?」
「《術式刻印器》試作二号だ」
見つけた。
三年間行方不明だった装置。
黒い杭を作れた可能性のあるもの。
それが本当に、ここにあった。
「動いてる?」
俺が尋ねる。
ミミナが横から確認する。
「止まってる。でも……」
装置の台座へ手を近づける。
「まだ温かい」
俺達は顔を見合わせた。
数日前でもない。
三年前でもない。
つい最近まで、ここで誰かがこの装置を使っていた。
そして、その隣。
金属を固定する台の上に一本だけ残されているものがあった。
黒く、細長い、表面の半分まで、見覚えのある術式が刻まれている。
まだ完成していない黒い杭だった。
「作ってたんだ……」
ミミナの声から、完全に笑いが消えた。
俺は未完成の杭を見る。
これまで俺達が追いかけてきた異変。
その原因になっていた可能性の高い道具。
ついにそれが作られていた場所まで辿り着いた。
――第四十三話 終
最後までお読みいただきありがとうございます!
三年間封鎖されていた第二試験場。
しかし、正面の封印は一度外され、
別の封印へすり替えられていました。
そして地下の試作工房で見つかったものは――
行方不明になっていた《術式刻印器》試作二号。
まだ熱の残った炉。
黒い杭と同じ金属。
そして、途中まで術式が刻まれた未完成の黒い杭。
ついにユウト達は、
「誰かが黒い杭を作っている」
という推測から、
実際に黒い杭が製造されていた場所へ辿り着きました。
しかも、ここにはつい最近まで誰かがいた可能性があります。
第44話では、この工房を調べます。
黒い杭は、
どこへ運ばれていたのか。
物語がさらに一段、核心へ進みます。




