初依頼から帰れません
「完全に道を間違えたようです」
「今さら認めるなああああああ!!」
俺の叫びが森の中へ響いた。
前方には十二体ほどのフォレストウルフ、その向こうからは正体不明の巨大な何かが近づいてくる。
隣には戦闘能力だけなら頼もしすぎる聖騎士がいるものの、その聖騎士こそ俺達をここまで連れてきた張本人だ。
そして俺の手には、小型の短剣が一本。
改めて短剣を見てから、木々の奥に現れつつある巨大な影を見る。
「……これ、本当にいる?」
「気休めにはなると思います」
「さっきも聞いたよ、その評価!」
ズン、と重い音が響き、地面がわずかに揺れた。
木々を押し分けるように姿を現したのは、巨大な熊のような魔物だった。
「熊……?」
いや、熊と呼ぶには大きすぎる。
四つ足で立っているにもかかわらず、背中は俺の身長より遥かに高い。黒褐色の体毛に覆われた背には、まるで岩盤が張りついているような硬そうな突起がいくつも並んでいる。
前脚から伸びる爪は俺の腕ほどあり、額には一本の白い角まで生えていた。
「グルルルルル……」
低い唸り声だけで空気が震え、腹の底まで響いてくる。
「リリア」
「はい」
「あれ、何?」
「ロックベアです」
「強い?」
「そうですね。単独討伐であれば、上級冒険者が推奨される魔物です」
「帰ろう」
「帰り道が分かりません」
「それ、何にでも使える便利な言葉じゃないからな!?」
思わず突っ込んだところで、周囲を取り囲んでいたフォレストウルフ達が一斉に姿勢を低くした。
しかし、やはり妙だった。
牙を剥いて唸ってはいるものの、俺達へ飛びかかってこない。
「……こいつら、俺達を見てない」
「え?」
「狼達だよ」
リリアもすぐに気づいたらしい。
十二体の視線が向いている先は俺達ではなく、その後方から迫ってくるロックベアだった。
「もしかして、こいつらも逃げてきたんじゃないか?」
ギルドで聞いた話を思い出す。
本来なら森の奥にいるはずの魔物が、人里や街道の近くへ現れるようになっている。
昨日俺を追い回したグランドボアもそうだった。
そして今度はフォレストウルフ。
「可能性はあります」
リリアは剣を構えたまま、群れの様子を観察する。
「ロックベアに縄張りを追われたか、あるいはさらに別の原因で移動しているのかもしれません」
「じゃあ少なくとも、今すぐ俺達を食べようとしてるわけじゃない?」
「そう見えます」
状況を整理してみる。
俺達はロックベアから逃げたい。
フォレストウルフ達も、おそらくロックベアから逃げたい。
しかし俺達が進路上にいるため、狼達は前へ出られない。
そして狼達に囲まれているから、俺達も逃げられない。
「……リリア」
「何です?」
「これ、俺達が道を空ければいいんじゃない?」
「魔物に道を譲るのですか?」
「同じ方向に逃げたいなら、それが一番早いだろ」
「ですが、こちらへ襲いかかってくる可能性もあります」
「それはそうだけど……」
ズンッ!
ロックベアがさらに一歩近づいた。
「グオオオオオオッ!」
「ひっ!」
腹に響く咆哮を聞いた瞬間、俺は反射的にリリアの後ろへ隠れた。
「ユウト」
「何?」
「先ほどまでの勇ましさはどこへ?」
「俺は口だけ担当だから!」
「堂々と言わないでください!」
フォレストウルフ達も明らかに動揺していた。何頭かは前へ進もうとするものの、群れ全体はなかなか動き出さない。
俺はもう一度狼達を観察する。
「……あれ?」
群れの中央付近に、ほかより明らかに小さな個体がいた。
成体の半分くらいしかなく、片方の後ろ脚を引きずっている。
その周囲を三頭ほどの狼が囲み、守るように動いていた。
「リリア。あそこ」
「……怪我をしていますね」
「だから逃げ切れないのか」
道を空ければすぐ走り出すと思っていた。
けれど負傷した小さな狼がいるせいで、群れ全体がそれを置いていけずにいるらしい。
ロックベアはその間にも近づいてくる。
「魔物ですよ」
リリアが静かに言った。
「分かってる」
「フォレストウルフは人間を襲うこともあります」
「それも分かってる」
「なら――」
「でも、今は俺達を襲ってない」
リリアが黙る。
「こいつらは逃げたいだけだろ。怪我した仲間を置いていけないから、ここに残ってる」
人間と同じだ、とまでは言わない。
魔物について何も知らない俺が、たった数分見ただけで全部を理解した気になるのも違う。
それでも、少なくとも今この瞬間に何が起きているかくらいは分かる。
「あなたは妙なところを見ていますね」
リリアが少しだけ笑った。
「褒めてる?」
「半分くらいは」
「残り半分は?」
「無謀だと思っています」
「ですよね」
ロックベアとの距離がさらに縮まる。
「じゃあ、俺が狼達を逃がす」
「どうやって?」
「それは今から考える」
「ユウト!」
「リリアは、あの熊を止められる?」
リリアの表情が変わった。
「倒すことはできます」
「本当に?」
「おそらく問題ありません」
「上級冒険者推奨って言ってなかった!?」
「私は聖騎士ですから」
「その基準、俺と違いすぎる!」
頼るしかない。
「三十秒だけ頼める?」
「三十秒?」
「その間に狼達を逃がしてみる」
リリアは俺と狼達を交互に見た。
普通なら止められてもおかしくない提案だ。
それでも彼女は、ほんの少し考えただけで頷いた。
「分かりました」
「信じるの?」
「あなたが言ったのでしょう。困っているのは私達だけではない、と」
この人は、こういうところで迷わない。
道は一生迷っているのに。
「頼んだ!」
「はい!」
リリアが地面を蹴った。
次の瞬間にはロックベアの正面まで距離を詰め、振り下ろされた巨大な爪を剣で受け止める。
ガァンッ!
「うわっ!」
金属同士をぶつけたような音が森に響いた。
「硬っ!」
「ロックベアですから!」
「熊要素どこ!?」
「今そこを気にするのですか!?」
火花が散り、リリアの体が一度後ろへ弾かれる。
しかし空中で姿勢を立て直すと、地面へ着地すると同時に再び前へ踏み込んだ。
やっぱり強い。
本当にとんでもなく強い。
問題は俺の方だ。
「さて……」
目の前には十二体のフォレストウルフ。
「グルルルル……」
「怖いなあ……」
言葉は通じない。
近づきすぎれば噛まれるかもしれない。
だからといって、このまま何もしなければロックベアが来る。
「怪我した奴を動かせればいいんだよな」
鞄の中を探すと、ガルドさんから分けてもらった保存用の干し肉が少し残っていた。
「これでどうだ」
俺は肉を一切れ取り出し、群れの中で一番大きな狼へ見せる。
右目の上に古い傷がある個体だ。
おそらく群れの中心なのだろう。
「食う?」
「グルル……」
「俺も噛まれたくないから、近づかないぞ」
ゆっくり肉を地面へ置き、数歩後ろへ下がった。
傷のある狼は俺から視線を外さないまま近づき、慎重に匂いを嗅ぐ。
やがて干し肉を口にした。
「よし」
俺はさらに森の横手へ移動し、木々の間が比較的開けている場所を指す。
「逃げるなら、そっち」
当然、言葉は通じていないだろう。
それでも敵意がないことくらいは伝わってほしい。
俺が一歩動くと、傷のある狼もわずかに位置を変えた。
「そうそう」
さらに後退する。
今度は群れの数頭がついてきた。
「来た……!」
少しずつ進路を空けていくと、負傷した小さな狼も動き始める。
よく見ると、左右にいる二頭が体を寄せ、倒れないよう支えていた。
「そうだ。そのまま行け」
背後からリリアの声が飛んでくる。
「ユウト! 二十秒ほど経ちました!」
「本当に数えてたの!?」
「あと十秒です!」
「急に厳しいな!」
俺は群れへ向かって大きく手を振った。
「ほら、行け!」
傷のある狼が一度こちらを見る。
俺と狼の目が合った瞬間、胸の奥に小さな熱が生まれた。
淡い光が一瞬だけ揺れる。
『《縁》――』
しかし文字は最後まで現れない。
「今じゃないだろ……!」
考えるのは後だ。
傷のある狼が短く鳴いた。
「ウォン」
それを合図に、群れが一斉に動き出す。
俺の横を次々とフォレストウルフが駆け抜けていった。
「うおっ……!」
近い。
めちゃくちゃ怖い。
けれど一頭も俺へ牙を向けない。
最後に、怪我をした小さな狼が二頭に支えられながら横を通る。
その個体だけが一瞬立ち止まり、俺の顔を見上げた。
「……もう捕まるなよ」
思わずそう声をかける。
「いや、できれば俺とも二度と会わない方がいいな」
小さな狼は意味など分からないはずなのに、しばらく俺を見たあと、仲間達の後を追って森へ消えていった。
その瞬間、胸の奥が今度こそはっきりと熱くなった。
森の奥へ走っていく狼達と俺の間に、何本もの淡い光が伸びる。
『《縁》が形成されました』
「……魔物とも、やっぱりつながるのか」
第1話でグランドボアに反応したのは偶然ではなかったらしい。
《縁》は、人間だけを対象にする能力ではない。
それが何を意味するのかまでは、まだ分からなかった。
「ユウト!」
「あ」
振り返る。
ロックベアがすぐ目の前まで来ていた。
「近っ!」
「避けてください!」
巨大な爪が俺へ振り下ろされる。
敏捷D。
こんなものを避けられる身体能力はない。
「無理――!」
ガキィィィン!
目の前へ銀色の影が飛び込み、リリアの剣が巨大な爪を受け止めた。
「くっ……!」
「リリア!」
「下がってください!」
「でも――」
「私を信じてください!」
リリアの青い瞳に迷いはなかった。
俺はすぐに数歩下がる。
「分かった!」
「それでいいのです」
リリアは一度ロックベアの爪を弾き、その反動を利用して間合いを取った。
剣を両手で構える。
「――聖剣術」
空気が変わった。
銀色の刀身を、淡い青い光が包んでいく。
「《蒼月》!」
一閃。
青い斬撃が暗い森を走り抜けた。
ドォォォン!
「うわっ!」
爆風で木の葉と土埃が舞い上がり、俺は思わず尻餅をついた。
少しして視界が晴れる。
ロックベアは地面へ倒れ、もう動かなかった。
その前でリリアが静かに剣を鞘へ戻す。
「終わりました」
「いやいやいや……」
「?」
「強すぎない!?」
「ですから、私は聖騎士です」
「だったら最初からそれ使えばよかったじゃん!」
「狼達を巻き込む可能性がありました」
「……あ」
確かにそうだ。
あの威力を群れの近くで使っていたら、ロックベアだけでは済まなかったかもしれない。
「それに」
リリアが俺を見る。
「あなたが狼達を逃がすと言ったのでしょう?」
「言ったけど」
「だから、私もあなたを信じました」
そんなことを真顔で言う。
この人、方向音痴じゃなければ普通にものすごく格好いい。
「何です?」
「いや、なんでもない」
「また何か失礼なことを考えていませんか?」
「方向音痴なのが惜しいなって」
「なぜ今それを言うのです!?」
◇
「さて」
「はい」
「帰ろう」
「そうですね」
いつの間にか日がかなり傾いていた。
本来受けた依頼は、東の草原にいるスライム三体の討伐。
結果として遭遇したのは、フォレストウルフ十二体とロックベア一体。
肝心のスライムは一匹も見ていない。
「これ、依頼成功になる?」
「スライムを一体も討伐していませんので、なりませんね」
「ですよね」
完全な寄り道である。
「でも、ロックベアの討伐証明を持って帰ればお金になる?」
「ええ。高額で買い取ってもらえるはずです」
「マジ!?」
「討伐部位を採取して――」
「待って」
「何でしょう?」
「どうやって帰るの?」
「……」
俺達は周囲を見る。
右も森。
左も森。
前も後ろも森。
全部ほぼ同じ景色だ。
「リリア」
「はい」
「ここ、どこ?」
「……」
「お願いだから黙らないで」
リリアは地図を取り出した。
上下を確認し、一度回転させ、また首を傾げる。
「なるほど」
「分かった?」
「はい」
「よかった!」
「こちらです」
リリアが歩き出す。
「待って」
「何です?」
「地図、逆」
「……」
「……」
「念のため、別方向からも確認していただけです」
「絶対嘘だろ!」
◇
三時間後。
俺達は森の中で焚き火を囲んでいた。
「初依頼の日に野宿か……」
「冒険者であれば、それほど珍しくはありません」
「聖騎士様は昨日も野宿してたもんな」
「……その話はもう忘れてください」
「怒った?」
「少しだけ」
焚き火の薪がぱちぱちと音を立てる。
「腹減ったな」
「保存食は?」
「狼達にほとんど使った」
「そうでしたね」
リリアが自分の鞄を開き、硬そうなパンを一つ取り出した。
「これをどうぞ」
「リリアは?」
「私は大丈夫です」
「いや、半分でいいよ」
「必要ありません」
「騎士だって腹は減るだろ」
俺はパンを半分に割り、その片方を差し出す。
「はい」
「……」
「食べないなら俺が両方食うけど」
「いただきます」
「素直でよろしい」
「あなたは私の上官ですか?」
二人でパンをかじる。
「かたっ!」
「携帯食ですから」
「武器屋で売ってても違和感ないぞ、これ」
「大袈裟です」
焚き火越しにリリアを見る。
昼間の戦闘では別人のように強かったが、こうして座っていると普通の女の子にも見える。
「ユウト」
「ん?」
「一つ、聞いてもいいですか?」
「内容による」
「あなたは時々、この辺りの常識をまったく知らないような発言をします」
「……」
ドキッとする。
「かなり遠い地方から来た、とおっしゃっていましたね」
「そうだよ」
「それにしても、知らなさすぎる気がします」
「田舎者だから」
「獣人を見ただけで驚くほどですか?」
「すごい田舎なんだよ」
「グランドボアについても知りませんでした」
「かなりすごい田舎」
「……」
苦しい。
リリアはこちらをじっと見ていたが、やがて炎へ視線を戻した。
「誰にでも、話したくないことはあります」
「……」
「無理に聞くつもりはありません」
「そう?」
「はい。ただ、いつか話したくなった時には聞かせてください」
「分かった」
責められると思っていたから、少し拍子抜けした。
「ただし」
「うん?」
「王国から指名手配されている犯罪者などでしたら、話は別です」
「違うよ!」
「なら問題ありません」
「判断基準そこなんだ」
俺が笑うと、リリアも小さく笑った。
少しだけ空気が軽くなる。
「それと、今日一つ分かったことがあります」
「何が?」
「あなたは、とても弱いです」
「急に悪口!?」
「事実でしょう」
「事実だけど!」
「剣をまともに扱えず、魔法も使えず、ロックベアを見た瞬間には私の後ろへ隠れました」
「そこまで丁寧に説明しなくてもいいだろ!」
「ですが、狼達を助けようとした時は、私より前へ出ました」
俺は黙った。
「不思議な方ですね」
「怖すぎて判断力がおかしくなってたんじゃない?」
「そういうことにしておきましょう」
リリアは炎を見つめながら続ける。
「私はこれまで、強い者が弱い者を守るのは当然だと思っていました」
「騎士っぽいな」
「ですが、あなたは自分自身が弱いにもかかわらず、さらに弱い立場のものを見捨てようとしなかった」
「……」
「少しだけ、あなたを見直しました」
「少しだけ?」
「少しだけです」
「二回言わなくてもいいだろ」
胸の奥が温かくなる。
俺とリリアをつないでいる細い光が、以前より少しだけ強く見えた。
『《縁》が深まりました』
「……深まる?」
初めて見る表示だった。
《縁》は一度形成されて終わりではないらしい。
関係が変われば、その《縁》自体も変化していく。
「ユウト?」
「いや、なんでもない」
また一つ分からないことが増えたが、不思議と嫌な感じはしなかった。
「そろそろ休みましょう」
「見張りは?」
「最初は私がします」
「じゃあ途中で交代しよう」
「ユウトが見張っていても、魔物が来た時に対処できないのでは?」
「正論が痛い!」
「冗談です」
「え?」
リリアが笑っている。
「今の冗談!?」
「どうでしょう」
「この女……!」
最初は、綺麗だけど妙な騎士だと思った。
次に、強いけれど致命的な方向音痴だと分かった。
そして今日、もう一つだけ分かった。
たぶん俺は、この人と長い付き合いになる。
そんな気がした。
◇
翌朝。
「見えた!」
木々の向こうにリベルタの城壁が見えた瞬間、俺は本気で叫んだ。
「帰ってきた!」
「大袈裟ですね」
「誰のせいだと思ってるんだ!?」
初依頼の所要時間は、ほぼ丸一日。
スライム討伐数はゼロ。
代わりにロックベアの討伐証明だけは持っている。
「冒険者って大変なんだな……」
「今回は少々特殊でした」
「主にリリアのせいでな」
「……」
「目を逸らすな」
東門を通り抜けると、街の喧騒が一気に戻ってきた。
人。
店。
食べ物の匂い。
文明。
「ベッド!」
「まずギルドへ報告です」
「飯!」
「報告が先です」
「風呂!」
「報告です」
「鬼!」
「騎士です」
そんな会話をしながらギルドへ向かって歩いていると、妙な音が聞こえてきた。
ギィィィィィィ――。
「……何の音?」
「さあ?」
金属か何かが石壁を擦っているような、重く不快な音だ。
「ギルドの方から聞こえますね」
「また嫌な予感がする」
二人で角を曲がった。
「…………」
「…………」
そこで俺達は同時に足を止めた。
冒険者ギルドの外壁を、一台の荷車が垂直に走っていた。
「……何あれ」
「私にも分かりません」
何度見ても同じだった。
車輪を石壁へ貼りつけるようにして、荷車がゴロゴロと上へ登っていく。
「リリア」
「はい」
「俺、まだ森で寝てたりしない?」
「残念ですが起きています」
荷車の真下には、一人の少女が立っていた。
年齢は十七歳くらいだろうか。
黒に近い髪と琥珀色の大きな瞳。紺色を基調とした魔導士用のローブを身につけ、背丈ほどある大きな杖を持っている。
少女は頭上を走る荷車を見上げ、満足そうに頷いた。
「うん、完璧!」
「どこが!?」
思わず突っ込んだ。
「ん?」
少女がこちらを振り返る。
「何してんの!?」
「実験だよ」
「何の!?」
「付与魔法」
少女は当たり前のように答えた。
「付与?」
「知らないの?」
「昨日冒険者になったばっかりなんで」
「なるほど!」
なぜか少女の表情が一気に明るくなる。
「じゃあ教えてあげる!」
「急に嬉しそうだな」
「付与魔法っていうのはね、物や人に一時的な性質を与える魔法なの」
「性質?」
「例えば――《軽量》」
少女が足元の小石を拾い、杖を向ける。
淡い黄色の光が石を包んだ瞬間、それはふわりと宙へ浮いた。
「おお」
「こうやって軽くしたり、《硬化》を使えば――」
別の小石が魔法の光に包まれる。
少女がそれを石畳へ落とすと、カンッという硬い音とともに、石ではなく地面の方がわずかに欠けた。
「おお!?」
「物を硬くしたりできるの」
「普通にすごいじゃん」
「でしょ!?」
少女が嬉しそうに胸を張った。
「私、付与魔法なら天才だから!」
「なるほど」
俺は改めてギルドの壁を見る。
そこには相変わらず荷車が走っている。
「それとアレがどうつながるの?」
「荷車に《走行補助》を付与したの」
「なんで壁を走ってる?」
「……」
少女も荷車を見る。
「走れてるよ?」
「そういう問題じゃない!」
「たぶん、走る場所を地面に限定しなかったからかな」
「注文を細かく指定しないと事故る魔法なの!?」
「たぶん!」
「そこは自信持って説明してくれ!」
リリアが興味深そうに荷車を見上げた。
「走行するという性質だけを強化したため、通常の接地条件まで無視してしまったのでしょうか」
「分かるの!?」
少女の目が輝く。
「いえ、今のは推測です」
「分からないんだ!」
俺は額を押さえた。
「それで、あれ戻せるの?」
「もちろん!」
「じゃあ戻して」
「……」
「ミミナ?」
「え?」
「名前まだ聞いてないけど、たぶん今の間はまずいやつだよね?」
「あ、私はミミナ・ベル」
「自己紹介じゃなくて荷車!」
ミミナは少し考えたあと、杖を見た。
「解除するより、効果時間が切れるのを待った方が早いかな」
「効果時間?」
「三分」
「それが切れたらどうなる?」
「普通に戻るよ」
「何が?」
「重力とか」
「それ荷車落ちるってことじゃない!?」
その瞬間だった。
「ミミナァァァァァァァ!!」
冒険者ギルドの中から地鳴りのような怒鳴り声が響いた。
「ひっ!」
ミミナが肩を跳ねさせる。
扉が勢いよく開き、額に青筋を浮かべたギルド職員が飛び出してきた。
「昨日は井戸桶!」
「……」
「一昨日は看板!」
「……」
「その前は食堂の椅子!」
「……」
「今日は何に付与したぁぁぁ!?」
ミミナはそっと頭上を指差した。
職員が見上げる。
壁を走る荷車。
「……」
「荷車です」
「見れば分かるわぁぁぁぁぁ!!」
「逃げよ」
ミミナが素早く踵を返す。
「待てぇぇぇ!」
「わああああ!」
俺達の横を駆け抜けていった。
「……」
俺はリリアを見る。
「天才付与魔導士って、みんなあんな感じ?」
「少なくとも私の知る魔導士は、荷車を壁には走らせません」
「安心した」
その時、頭上からゴロッと嫌な音がした。
二人で見上げる。
荷車が壁のかなり高い位置で止まっていた。
「リリア」
「はい」
「三分」
「……」
荷車がゆっくり傾く。
「皆さん、離れてください!」
「落ちるぞおおおおお!」
リリアが周囲の人々を避難させ、俺も全力でその場から逃げる。
遠くからミミナの声が聞こえた。
「効果切れたー!」
「先に言えええええええ!」
ドガァァァン!
荷車が派手な音を立てて石畳へ落ちた。
壊れた車輪の一つがこちらへ転がってきて、俺の足元を通り過ぎていく。
「……なんなんだ、この一日」
初心者向けのスライム討伐へ出かけたはずなのに、遭難し、フォレストウルフとロックベアに遭遇し、森で野宿までした。
ようやく街へ帰ってきたと思ったら、今度は荷車がギルドの壁を走っている。
「異世界って、こんなに疲れるところだったっけ……」
「比較対象があるような言い方ですね」
「気のせい」
危ない。
リリアが少しだけ疑わしそうな顔をしたものの、それ以上は追及してこなかった。
「リリア」
「何です?」
「絶対、あの子には関わらない方がいいよな」
「私もそう思います」
意見が一致した。
俺達は同時に頷く。
その十分後。
なぜか俺達は、ミミナ・ベルと同じテーブルを囲んでいた。
――第四話 終
最後までお読みいただきありがとうございます!
初依頼のはずが、フォレストウルフの群れとロックベアに遭遇したユウト達。
魔物を倒すのではなく「逃がす」という選択をしたことで、ユウトは《縁》が人間以外にも形成されることを改めて知りました。
そして最後には、付与魔法の天才・ミミナが登場。
次回、「絶対に関わらない」と決めたはずのユウト達が、なぜかミミナと同じテーブルを囲むことになります。
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