誰も通っていないはずの水門が、内側から開いていました
四か月前、ラウル・ヴェインという死者の名前を使った男は、封印資料を閲覧したあとに「北水門」への道を尋ねていた。
そこまで分かった以上、行かない理由はなかった。
俺達は聖騎士団の馬車で王都北部へ向かい、昼前には問題の水門へ到着していた。
「……これ?」
馬車を降りたミミナが、少し拍子抜けしたような声を出す。
気持ちは分かる。
俺も「王都の北水門」と聞いて、もっと巨大な城門のようなものを想像していた。
実際に目の前にあるのは、城壁近くを流れる川の脇に作られた古い石造りの施設だった。今も使われている大きな水路から少し外れた場所にあり、鉄柵には錆が浮き、周囲には雑草まで伸びている。
「現在は非常時以外、ほとんど使用されていない」
同行しているグレン副団長が説明する。
「昨日、地下水路管理局にも確認した。最後に正式な開閉記録が残っているのは二年近く前だ」
「じゃあ四か月前には開いてない?」
「記録上はな」
記録上は。
最近、この言葉を聞くたびに嫌な予感がするようになってきた。
水門の管理人に鍵を開けてもらい、俺達は建物へ入った。
内部には大きな歯車や鎖が並び、水量を調整するための古い機構が壁一面を占めている。
リリアが周囲を見回した。
「人の気配はありません」
「魔力も、今のところ変なのは感じないよ」
ミミナも続く。
ノアは床へ視線を落としていた。
「《夜棘》もありませんね」
「なら、四か月前の男は何しにここへ来たんだろう」
俺は施設の奥を見る。
資料を盗んだと仮定する。
その直後に、わざわざ使われていない古い水門への道を聞く。
観光ではないだろう。
「中を全部見てもいいですか?」
管理人へ尋ねる。
「構いません。ただ、奥の旧整備路は危険です。今は使用しておりませんので」
「旧整備路?」
「水門の下へ降りる通路です。昔は内部から水路を点検していました」
全員の視線が集まった。
「そこ、行きたいです」
俺が言うと、管理人は露骨に嫌そうな顔をした。
「かなり湿っていますよ」
「最近そういう場所ばっかりなので、もう慣れました」
「慣れたくはありませんけどね」
ノアの指摘は正しい。
◇
旧整備路は想像以上に狭かった。
石造りの階段を下りると、川の流れる音が急に大きくなる。
壁には水滴が浮かび、足元も滑りやすい。
リリアが先頭。
俺。
ミミナ。
ノア。
最後にグレンと聖騎士二人が続く。
いつもの並びに近い。
「ユウト、右側へ寄ってください」
「分かってる」
「そこ、苔があります」
「ありがとう」
言われた直後、左足が少し滑った。
「うわっ」
リリアが振り返り、俺の腕をつかむ。
「……だから言いました」
「まだ転んでないからセーフ」
「私がつかんだからです」
「ありがとうございます」
今日は素直に礼を言っておく。
ミミナが後ろで笑いかけたが、すぐ真剣な顔へ戻った。
「でも、本当に魔力は普通だよ」
「黒い杭がある感じはない?」
「今のところ全然」
それが逆に気になる。
資料を盗んだ目的が黒い杭なら、ここにも何か残っていると思っていた。
やがて通路の先に、古い鉄製の扉が見えた。
「ここから先は?」
俺が聞く。
管理人は同行していないため、グレンが事前に受け取った古い見取り図を広げる。
「水門の裏側へ出る。かつては川側から機構を整備するために使われていたらしい」
リリアが扉へ近づいた。
「鍵がありません」
「壊れてる?」
「いえ」
彼女が取っ手へ手をかける。
「開いています」
軽い音を立て、扉が動いた。
グレンの顔が険しくなる。
「待て」
俺達を止め、自分で扉の側面を確認する。
「本来は外から開くものか?」
「図面では、内側から閂を掛ける構造だ」
「じゃあ今は?」
グレンが扉をゆっくり動かす。
錆びた金属の向こうに、折れた閂が見えた。
「壊されている」
リリアがしゃがみ込んだ。
「古い破損ではありません」
「分かる?」
「断面に錆がほとんどありません」
俺にも見えた。
周囲の金属は茶色く錆びているのに、折れた部分だけ色が明らかに違う。
「最近、誰かがここを開けた?」
「可能性は高いでしょう」
ノアの声が低くなる。
俺達は扉の向こうへ出た。
そこには、人一人が通れる程度の細い石造りの足場があり、そのすぐ下を暗い水が流れている。
そして通路は城壁の下を通るように北へ伸びていた。
「これ……どこにつながってるんですか?」
俺が聞く。
グレンが図面を確認する。
表情が変わった。
「王都の外だ」
「え?」
「昔、水門設備を川側から修理するために作られた作業路らしい。城壁の下を通っている」
背中が冷たくなった。
「人も通れる?」
「見ての通りだ」
リリアが奥へ視線を向ける。
「つまり、ここを使えば正門を通らずに王都へ入れます」
誰も口を開かなかった。
王都へ出入りすれば、普通は門で確認される。
だから四か月前の人物の入城記録を調べても、何も見つからない可能性がある。
「でも、この道を知ってる人なんて多いんですか?」
ミミナが尋ねる。
「現在の騎士団員でも、ほとんど知らないだろう」
グレンが答える。
「古い水路図を扱う部署か、かつてこの設備を使用した者程度だ」
「三年前の研究班は?」
俺が聞くと、セイルから聞いた話を思い出したのか、グレンが黙る。
「確認する必要がある」
また一つ、昔を知っている人間に絞られた。
ただし、それだけで研究者の誰かが犯人とは言えない。
「もう少し奥を見よう」
俺達は慎重に進んだ。
◇
城壁の下を抜けたところで、リリアが突然手を上げた。
「止まってください」
全員が足を止める。
「どうした?」
「床です」
ランタンを下へ向ける。
薄い泥の上に、靴跡が残っていた。
「最近の?」
俺が聞く。
「少なくとも二年前のものではないでしょう」
グレンもしゃがみ込む。
足跡は一人分。
完全な形ではないが、王都側から外へ向かって続いている。
「四か月前のものかどうかは分からないですね」
ノアが冷静に言う。
「うん」
ここで決めつけるのは危険だ。
ただ、誰かが最近ここを通ったことは間違いない。
さらに進む。
途中で足跡は水の流れに消えた。
その代わり、ミミナが壁際で立ち止まった。
「これ何だろう」
「何かある?」
石壁の下部に、細い黒い線が残っている。
焦げ跡にも見えた。
ミミナが直接触れず、杖を近づける。
「魔力の跡がある」
「黒い杭?」
「違うと思う。でも……」
彼女が眉を寄せる。
「杭の術式に流れてた魔力と少し似てる」
グレンが近づく。
「何に使った跡か分かるか?」
「今は無理。でもここで何か魔道具を使ったのは間違いないと思う」
俺は周囲を見る。
古い作業路。
人目がない。
王都の内外をつなぐ。
三年前の研究設備を知っている人間なら、この場所も知っていた可能性がある。
そして資料を盗んだ男は、北水門への道を聞いている。
「もしかして……」
「何です?」
ノアが俺を見る。
「ここ、侵入するためだけに使ったんじゃないんじゃない?」
「というと?」
「資料を盗んだあとに北水門を聞いたんだろ」
「はい」
「だったら入ってくる時じゃない。帰る時に使った可能性がある」
グレンが顔を上げる。
「資料を持ったまま、正門を通りたくなかった?」
「そう考えると自然じゃないですか?」
封印資料から切り取った紙を持って正門を出る。
荷物を調べられる可能性は低くても、記録は残る。
でもこの道なら残らない。
「それに」
俺は黒い魔力跡を見る。
「ただ逃げただけなら、ここで魔道具を使う必要あるのかな」
ミミナも壁を見る。
「試した?」
「何を?」
「盗んだ術式」
その言葉で空気が変わった。
「ここなら人が来ないし、地下魔力も流れてる」
ミミナが周囲を確認する。
「小さい実験ならできたかもしれない」
「確認できるか?」
「時間もらえれば」
「頼む」
◇
ミミナの調査には三十分ほどかかった。
途中、何度か位置を変え、壁や床の魔力を確認する。
俺達は急かさなかった。
やがて彼女が立ち上がる。
「たぶん、合ってる」
「何が?」
「この跡、魔力を地下から引き上げた跡だよ」
黒い杭と同じ。
「《夜棘》を増やした?」
「そこまでは分からない。でも、吸い上げるところまではやってる」
つまり。
三年前の資料を盗んだ人物。
北水門へ向かった人物。
この場所で、地下魔力を引き上げる魔道具を使用した人物。
まだ全部が同一人物だと断定することはできない。
それでも、かなり近づいた気がする。
「四か月前に、ここで黒い杭の原型を試した可能性がある?」
俺が尋ねると、ミミナは慎重に答えた。
「可能性はあると思う」
グレンが古い水路を睨む。
「なら王都で見つかった杭より前だ」
「最初の実験だったのかもしれない」
俺はそう言ってから、すぐ首を横に振った。
「いや、それもまだ分からないな」
「ええ」
ノアが頷く。
「ただ、ここが事件と無関係である可能性は、かなり下がったでしょう」
それなら十分だ。
初めて俺達は、四か月前の男が実際に立った可能性の高い場所まで辿り着いた。
そして、そこで終わりではなかった。
帰り際。
リリアが壊れた扉をもう一度見て、足を止めた。
「ユウト」
「何?」
「この閂」
「さっきの?」
「壊された方向が逆です」
「逆?」
リリアが断面を指す。
「王都側から押し壊されたのではありません」
グレンも確認し、表情を変えた。
「外側から力が加わっている」
意味を理解するまで少し時間がかかった。
「待って」
俺は細い作業路を見る。
「じゃあ最初にこれを開けた人は……」
資料を盗んで逃げるために、王都側から扉を壊したんじゃない。
その前に。
「外から王都へ入ってきた?」
リリアが静かに頷いた。
四か月前の男は、出口を探して北水門へ来たのではないのかもしれない。
最初から、この道を知っていた可能性がある。
――第三十九話 終
最後までお読みいただきありがとうございます!
四か月前、「ラウル・ヴェイン」を名乗った人物が道を尋ねていた北水門。
そこには現在ほとんど使われていない、王都の城壁下を通る古い整備路が残されていました。
そして、
最近壊された扉。
人の足跡。
地下魔力を引き上げた痕跡。
少しずつ、四か月前の人物が実際に歩いた可能性のある道が見えてきました。
さらに最後に判明したのは、
扉が「王都側」ではなく「外側」から破壊されていたこと。
つまり、その人物は逃走路として偶然ここを見つけたのではなく、最初からこの道を知って王都へ入った可能性があります。
次回、第40話。
今度は「どうやって正式な許可書まで手に入れたのか」を追います。
第40話へ続きます!




