三年前に死んだ研究者の名前を見せた瞬間、セイルが黙りました
聖騎士団の使者から聞かされた言葉を、俺はすぐには理解できなかった。
「その人物は、三年前に死亡しています」
四か月前、封印された研究資料を閲覧した人物。
黒い杭の製作につながる可能性がある《排出制御術式》のページがなくなっており、その直前に残されていた閲覧記録には、一人の名前が記されていた。
なのに、その人物は三年前に死んでいる。
「記録の間違いって可能性は?」
俺が尋ねると、使者は首を横に振った。
「副団長も同じ可能性を考え、死亡記録まで照合しました。少なくとも同姓同名の別人ではありません」
「じゃあ、誰かが死んだ人の名前を使った?」
「現時点では、その可能性が高いとしか申し上げられません」
断定はできない。
ただ、嫌な感じだけはどんどん強くなっていた。
俺達は王都観光をそこで切り上げ、再び聖騎士団本部へ向かった。
◇
会議室へ入ると、グレン副団長がすでに待っていた。
机の上には、昨日まで見ていた研究資料と、別の薄い書類が置かれている。
「来たか」
「死んでるって、本当なんですか?」
「ああ」
グレンは一枚の書類をこちらへ向けた。
死亡記録だった。
そこに書かれている名前を読む。
「ラウル・ヴェイン……」
知らない名前だ。
「当時の研究班に所属していた術式研究者だ。三年前の事故で死亡している」
「セイルと同じ研究に?」
「そうだ」
リリアが書類を見る。
「この名前で四か月前に閲覧申請が出されたのですね」
「ああ。申請内容は昨日確認した資料と一致する」
「本人が死んでいるなら、誰かが名前を使ったことになりますね」
ノアの声は静かだった。
「問題は、なぜこの人だったのかだな」
俺は死亡記録を見る。
適当に死者の名前を選んだのか?
そんなはずはない。
封印資料へ入るために、何でわざわざ三年前に死んだ研究者の名前を使った?
「セイルを呼べますか?」
俺が尋ねる。
「それならすでに連絡してある」
◇
セイルが部屋へ来たのは、それから一時間ほど後だった。
王都へ来るよう聖騎士団から要請を出していたらしく、昨夜のうちに到着していたらしい。
「急ぎだと聞いた」
「ああ」
グレンが席を勧める。
「確認してほしいものがある」
死亡記録を机の中央へ置いた。
セイルが紙を見ると動きが止まった。
ほんの一瞬ではない。
何秒経っても、目を紙から離さない。
「セイル?」
俺が呼ぶ。
返事がない。
普段のセイルなら、分からないことは分からないと即座に答えるし、必要のない感情を表へ出すこともほとんどない。
そんな彼が、明らかに動揺していた。
「知ってる人なんだな」
しばらくして、セイルが小さく息を吐いた。
「……知っている」
声がいつもより低い。
「ラウル・ヴェインは、研究班の主任だった」
「主任?」
「《封脈晶》と、その補助装置の術式設計を主導した人間だ」
ミミナが顔を上げた。
「昨日見つけた設計図も?」
「ああ」
「じゃあ、黒い杭の元になった技術を作った人……」
「正確には、人を守るための技術を作った」
セイルがすぐに訂正した。
そこだけは譲れないらしい。
「ラウルは、地下魔力を利用することよりも、暴走させないことを優先していた。《封脈晶》に魔力を集めすぎれば、今度は結晶そのものが危険になる。だから逃がす術式を作った」
「昨日ミミナが言ってた安全装置ですね」
俺が言うと、セイルは頷いた。
「そうだ」
それなら余計に皮肉だった。
人を守るための技術が、今は魔力を地上へ引き上げ、《夜棘》を増やすために使われている。
「ラウルさんは、三年前の事故で亡くなったんだよな?」
「ああ」
セイルの返事は短かった。
「間違いないのか?」
聞くか迷ったが、必要だった。
セイルが俺を見る。
「死んだ」
その声だけで、聞くべきではなかったかもしれないと思った。
だがセイルは続けた。
「俺が、外まで運んだ」
誰も何も言えなくなった。
死亡記録だけではない。
セイル自身が、その人の死を知っている。
「……ごめん」
「謝る必要はない。確認は必要だ」
セイルはそう言ったものの、まだ書類から目を離していなかった。
リリアが静かに尋ねる。
「どのような方だったのですか?」
「頑固だった」
一瞬だけ、セイルの声が変わった。
「危険な実験を進めようとすると必ず止めた。研究者なのに、成果より安全確認ばかり気にしていた」
「なんか、いい人だったんだね」
ミミナが言う。
「あの人に言えば怒るだろうな。研究者として評価しろ、と」
ほんの少しだけ。
セイルの口元が緩んだ。
でも、その表情はすぐ消えた。
「その名前が、なぜ今使われている」
今度は俺達へ向けた言葉ではなかった。
自分自身に問いかけているようだった。
「セイル」
俺は昨日見つかった資料を開く。
「なくなったページは、ラウルさんが作ったもの?」
「おそらくそうだ。《排出制御術式》は、あの人が最後まで調整していた」
「なら、名前まで知ってる人間が、その人の研究だけ狙って持ち出した可能性がある」
「そうなる」
グレンが別の書類を出す。
「さらに調べた」
机へ置かれたのは、四か月前の閲覧申請書だった。
「申請された資料は一冊だけだ」
「一冊?」
「ああ。他の研究資料には触れていない」
俺は眉を寄せる。
保管庫には大量の資料があった。
昨日の俺達ですら、目的の情報へ辿り着くまでかなり時間がかかった。
四か月前の人物は違う。
最初から必要な一冊を指定している。
「迷ってない…」
「何が?」
ミミナがこちらを見る。
「俺達みたいに、資料を何冊も見て探してない。最初からどの資料の、何が必要なのか分かってたんじゃないか?」
グレンも頷く。
「私もそこを疑っている」
ノアが申請書へ目を落とす。
「つまり、資料の存在だけを知っていた人より、研究内容まで知っていた人物の可能性が高くなる」
「でも、ラウルさん本人は死んでる」
ミミナの声から明るさが消える。
セイルがようやく書類から目を離した。
「研究内容を知っていた人間は、ラウルだけじゃない」
「セイルも?」
「ああ」
「他にも?」
「いる」
グレンが尋ねる。
「当時の研究班で、今も生存している人間は?」
セイルが少し考える。
「俺を含めて四人だ」
空気が変わった。
容疑者が四人、という意味ではない。
「その四人が犯人って話じゃないよな」
「ああ」
セイルも即答した。
「資料を盗んだ人間が研究班だったとも限らない。誰かから知識を聞いた可能性も、別の記録を持っている可能性もある」
「四か月前にここへ来た人に実際に会った人はいないんですか?」
俺はグレンに聞いた。
「記録庫の職員なら対応しているはずだ」
「だったら、その人に話を聞きたい」
「死者の名前を使った人物についてか」
「はい」
俺は申請書を見る。
「偽物を探すなら、本物のラウルさんを知ってる人から始めるより、偽物に会った人から始めた方がいいと思う」
セイルの元仲間を片っ端から疑う必要はない。
まだ何も分かっていないのだから。
セイルがこちらを見る。
「俺も行く」
「大丈夫か?」
「何がだ」
「ラウルさんの名前を使った奴の話を聞くことになる」
「だから行くんだ」
声は静かだった。
ただ、目だけは違った。
「人を守るために作ったあの人の技術を、誰かが《夜棘》を広げるために使っている」
セイルが申請書を手に取る。
「その上、死んだ人間の名前まで使った」
初めてだった。
セイルが怒っている。
大声を出すわけでもない。
拳を机へ叩きつけるわけでもない。
それでも、はっきり分かった。
「必ず見つけだす」
短い一言だった。
俺は頷く。
「うん」
今度は俺達が、セイルを手伝う番だった。
――第三十七話 終
最後までお読みいただきありがとうございます!
四か月前に封印資料を閲覧した人物。
その名は、ラウル・ヴェイン。
《封脈晶》と、その安全装置の研究を主導していた人物であり、セイルにとっても深い関わりのある研究者でした。
しかしラウルは、三年前の事故ですでに死亡しています。
しかも、その死を確認しているのはセイル自身。
では、誰が彼の名前を使ったのか。
そして今回は、普段ほとんど感情を表に出さないセイルの怒りも描きました。
人を守るために作られた技術が、人や魔物を苦しめるために使われている。
さらに、亡くなった研究者の名前まで利用されている。
次回は、四か月前に「ラウル」と名乗った人物と実際に会った人達から話を聞きます。
第38話へ続きます!




