王都では、方向音痴のリリアを誰も笑いませんでした
三年前の研究資料から、一番重要そうなページが切り取られていた。
当然、その日のうちに犯人が見つかるような話ではなかった。
閲覧記録の確認、申請に使われた許可印の照合、当時の管理担当者への聞き取り。
そこから先は聖騎士団側で調べる必要があるらしい。
そして翌朝。
「今日は休め」
グレン副団長から、思いがけない命令が出た。
「……いいんですか?」
俺が聞き返す。
「昨日まで王都へ着いてから地下へ潜るか、資料を読むかしかしていないだろう」
「確かに」
王都まで来たのに、俺が詳しくなったのは地下水路の構造だけだ。
「照合には時間がかかる。何か分かれば連絡する」
「じゃあ今日は自由?」
ミミナの顔が一気に明るくなる。
「節度の範囲でな」
「やった!」
その声だけで、昨日の重い空気が少し消えた。
「王都には大きな市場があるんだよね?」
「あります」
リリアが答える。
「魔道具店も?」
「あります」
「お菓子は?」
「あります」
「行こう!」
決定まで三秒だった。
ノアが隣で静かに確認する。
「本日の支出は各自の個人費という認識でよろしいですね?」
「ミミナ、はじまったぞ!」
「なにか?」
「ノアは今日もノアだな」
みんな笑っている。
あぁ…
とても穏やかな時間だ。
いつまでもこの時間が続けばいいのに…
◇
昼前の王都は、昨日見た時よりずっと賑やかだった。
大通りには色とりどりの布が張られ、露店からは焼いた肉や香辛料の匂いが流れてくる。
果物屋。
武具店。
魔道具店。
見たことのない色をした飲み物を売る屋台。
小さな魔石で動く玩具まである。
「これ、本当に石だけで動いてるの?」
俺が足を止めると、店主が誇らしげに小さな鳥型の玩具を机へ置いた。
魔石を押すと、木で作られた翼がぱたぱた動き始める。
「すご……」
「ユウト、欲しいの?」
ミミナが聞く。
「ちょっと欲しい」
「子供向けですよ」
ノアが横から言う。
「夢を壊すなよ」
「購入は止めていません」
「じゃあ買おうかな」
「宿まで自分で持って帰るんですよ?」
「お母さん!?」
店主が笑っている。
結局買わなかったが、見ているだけでも面白かった。
異世界へ来たばかりの頃は、生き残ることで精一杯だった。
魔法があることも、魔物がいることも、怖さの方が強かった。
けど今は違う。
魔法で動く玩具を見て驚き、知らない食べ物を見つけて立ち止まり、仲間とくだらない話をしながら歩いている。
こういう時間があるから、危険な仕事のあとでもまた冒険へ出られるのかもしれない。
「次、あっち行こう!」
ミミナが人混みの向こうを指す。
「待て。リリア、道分かる?」
「ここは王都です」
「それ、昨日も聞いた」
「今日は目的地も分かっています」
「じゃあ任せる」
あえて地図を出さなかった。
◇
二十分後。
俺は少し混乱していた。
「……着いてる」
「当然です」
リリアが平然と答える。
俺達の前には、ミミナが目当てにしていた大きな魔道具店がある。
「一回も迷わなかった」
「なぜ驚いているのです?」
「だってリリアだぞ?」
「ユウト」
声が少し低くなった。
「ごめん」
それでも不思議だった。
リベルタでは宿を探して反対方向へ行った人が、王都では迷いなく複雑な路地を進んでいる。
店を出た後も同じだった。
市場。
武具街。
大広場。
リリアは一度も地図を見ていない。
「本当に道覚えてるんだな」
「何年いたと思っているのですか」
「じゃあ何でリベルタではあんなことに……」
「知らない町だからです」
「方向音痴って、そういう問題なのか?」
納得はできなかったが、本人が堂々としているので追及するのをやめた。
その時だった。
「あっ!」
道の向こうから子供の声が聞こえた。
「リリアお姉ちゃん!」
銀髪の少女――ではなく、リリアへ向かって小さな男の子が走ってくる。
その後ろから、もう二人。
「帰ってきたの!?」
「いつ帰ってきたの?」
リリアの表情が一瞬で柔らかくなった。
「昨日です。皆さん、元気でしたか?」
「元気!」
「剣見せて!」
「街中では抜きません」
「えー!」
俺達三人は少し離れたところで、その光景を見ていた。
「知り合い?」
ミミナが俺に聞く。
「俺に聞くなよ」
さらに近くの店から、中年の女性が顔を出す。
「あら、リリアちゃんじゃない!」
「お久しぶりです」
「やっぱり帰ってたのね。昨日騎士団へ入っていくのを見た人がいたって聞いたわよ」
今度は果物屋の老人。
その隣のパン屋。
歩いている騎士。
次々と声をかけられる。
俺は思っていた以上の光景に、しばらく黙ってしまった。
「人気者だったんだな」
ノアも周囲を見る。
「そのようですね」
リリア自身は、少し困ったようにしながらも一人ずつ話している。
子供達が剣を見せろと騒ぎ、店のおばさんがちゃんと食べているのかと心配し、老人がまた店へ顔を出せと言う。
聖騎士だから有名なのだと思っていた。
でも、少し違う。
「リリアお姉ちゃん!」
一人の女の子がリリアの手をつかんだ。
「この前ね、迷子にならなかったよ!」
俺の耳が反応した。
リリアも微妙な顔をする。
「それはよかったですね」
「リリアお姉ちゃんに教えてもらったもん!」
「……何を?」
思わず聞いてしまった。
女の子がこちらを見る。
「分からなくなったら、そのまま歩かないで、大人に聞くんだよ!」
俺はリリアを見る。
「正しいこと教えてる」
「当然です」
「自分でもやればいいのに」
「ユウト」
「ごめんって」
子供達が笑った。
リリアも、少しだけ笑っていた。
◇
子供達と別れたあと、俺達は近くの食堂へ入った。
昼食を食べながら、俺はさっきの光景がまだ気になっていた。
「リリアって、王都で何してたんだ?」
「聖騎士ですが」
「それは知ってる」
パンをちぎりながら続ける。
「子供とか店の人とか、みんな知ってたから」
リリアは少し考える。
「巡回中に会うことが多かっただけです」
「それだけであんなに声かけられる?」
「迷子を送り届けたり、荷物を運んだり、店の揉め事を止めたりすることはありました」
やっぱり。
「昔から変わってないんだな」
「何がです?」
「困ってる人を見つけたら放っとけないところ」
リリアは何も言わなかった。
代わりに飲み物へ手を伸ばす。
ミミナが笑う。
「お?ちょっと照れてる?」
「照れていません」
「顔がいつもより固いよ」
「ミミナ」
「はーい」
それ以上はいじらなかった。
俺も笑ったが、心の中では別のことを考えていた。
リベルタで初めて会った時。
地図を逆さに持ち、宿へたどり着けなくなっていた聖騎士。
正直、かなり変な人だと思った。
でもその日のうちに、暴走する荷車から女の子を迷わず助けた。
その時感じたことは、間違っていなかったらしい。
この人は、道には迷う。
でも、人を助ける方向だけは間違えない。
「何ですか?」
見すぎていたらしい。
「いや」
俺は笑う。
「リリアとパーティ組めてよかったなと思って」
今度こそ彼女の手が止まった。
「突然何を言うのですか」
「思ったから言っただけ」
「そういうことは、もう少し……」
言葉が続かない。
ミミナがにやにやしている。
ノアは食事を続けながら静かに言った。
「ユウトは時々、本人だけ恥ずかしくない発言をしますね」
「俺も今ちょっと恥ずかしくなってきた」
「遅いです」
今度は四人とも笑った。
◇
午後は市場を回った。
ミミナは魔法用の素材を眺め、ノアは王都とリベルタの薬草価格を比較していた。
俺は結局、午前中に見た木の鳥を買った。
「本当に買ったんだ」
ミミナが笑う。
「いいだろ。異世界っぽいし」
「もう十分異世界にいると思うけど」
「住んでると慣れるんだよ」
少し先では、リリアが焼き菓子を四つ買っている。
「珍しいな」
「先ほど子供達に勧められました」
一つ渡される。
甘い匂いがする。
食べてみると、思ったより美味しかった。
青空。
大きな王都。
魔法の道具。
知らない料理。
隣には三人の仲間。
こういう時だけなら、本当にこの世界へ来てよかったと思える。
死んだ経緯は最悪だったけれど。
「来てよかった…」
俺が何気なく言う。
「王都に?」
ミミナが聞く。
「いや…」
三人がこちらを見る。
「今日みたいな日が続くといいなって思ってさ」
ノアが少し笑う。
「そのためにも、生きて依頼から帰る必要がありますね」
「そういうこと」
リリアが以前の言葉を思い出したらしい。
「四人で帰ってくる、ですね」
「そうだな」
そう、四人で帰ってくる。
当たり前の約束だ。
◇
夕方、宿へ戻ると聖騎士団の使者が待っていた。
休みはそこで終わった。
「神崎ユウトさん、リリア・アルヴェイン殿。副団長から至急お越しいただきたいとのことです」
「何か分かったんですか?」
「研究資料の閲覧記録についてです」
俺達の表情が変わる。
「四か月前に記録されていた人物を確認したところ――」
使者は一度言葉を止めた。
「その人物は、三年前に死亡しています」
さっきまで聞こえていた市場の音が、急に遠くなったような気がした。
「亡くなってる?」
「はい」
「じゃあ、誰がその名前で資料を読んだんだ?」
使者は答えられなかった。
俺達の久しぶりの休日は終わってしまった。
四か月前。
死んだ人間の名前を使って、誰かが封印資料へ入り込んでいた。
そして、その後に重要な一枚が消えている。
明日から調べる相手が、ようやく少しだけ形を持ち始めた。
――第三十六話 終
最後までお読みいただきありがとうございます!
今回は事件から少し離れて、
4人に王都を楽しんでもらいました。
魔道具。
市場。
食事。
王都の人々。
危険なだけではなく、
「こんな異世界なら行ってみたい」
「この4人と一緒に歩いてみたい」
と思える時間も、この作品では大切にしたいと思っています。
そして今回はリリアの王都での一面も描きました。
方向音痴ではありますが、
困っている人を見つければ迷わない。
リベルタでユウト達と出会うより前から、
そこだけはずっと変わっていません。
最後には、35話で発見した閲覧記録について新事実が判明。
四か月前に封印資料を閲覧した人物は――
三年前にすでに死亡していました。
では、誰がその名前を使ったのか。
第37話へ続きます。
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