「王都の地下で、切ってはいけない場所を切りかけました
旧貯水区画の床下にある黒い杭は、すでに動き始めていた。
まだ《夜棘》は小さい。
石の隙間から数本の芽が出ているだけで、リベルタの東側で見たような異常繁殖には至っていない。
だからこそ、今止めなければならない。
「ミミナ。前に抜いた杭と同じ?」
俺が尋ねると、彼女は点検口の縁へ膝をつき、杖先を下へ向けた。
「基本は同じだと思う。でも、置き方が違う」
「横向きだから?」
「それもあるけど、この杭、壁の奥へかなり深く入ってる」
紫色の光は杭から石壁へ流れ、その先へ吸い込まれている。
「抜けそう?」
リリアが聞く。
ミミナはしばらく観察してから、ゆっくり首を横に振った。
「今すぐはやめた方がいい」
「理由は?」
「この壁、貯水区画の土台とつながってるよね?」
管理職員が頷く。
「はい。この下は水路全体を支える基礎部分です」
「杭がその中まで入ってる。無理に引き抜いたら、石まで壊れるかもしれない」
グレンが表情を険しくした。
「崩落の危険があるということか」
「うん。危険を冒してまで確かめるべきじゃないかも。」
以前のミミナなら、「やってみれば分かる」と言っていたかもしれない。
今は、分からないから止まれる。
「じゃあ抜かずに止める方法を考えよう」
俺が言うと、ミミナが頷いた。
「私もその方がいいと思う」
ノアが点検口へ手をかざす。
「魔力の濁りは、リベルタで確認した杭とほぼ同じです。このまま流れ続ければ、《夜棘》が成長する可能性は高いでしょう」
「どのくらい時間がある?」
「それは判断できません」
即答だった。
「数時間かもしれませんし、一日以上かもしれません。ただ、すでに芽が出ている以上、待つ理由はありません」
「分かった」
俺は黒い杭を見る。
今までのように抜くことはできない。
だが、杭そのものが《夜棘》を作っているわけではない。
地下から魔力を吸い上げ、性質を変えて、周囲へ流している。
「ミミナ」
「うん?」
「杭には、いくつか役割があるんだよな?」
「役割?」
「地下から魔力を集めるところと、《夜棘》が吸いやすい形に変えるところ。それを外へ流すところ」
ミミナの目が少しずつ大きくなる。
「……ある」
「全部止めなくても、一つ壊せば動かなくなる?」
彼女はすぐには答えなかった。
今度は杖を使わず、杭の表面に刻まれた術式を目で追っていく。
「たぶん……できる」
「どこ?」
「ここだと思う」
杭の中央付近。
複数の細い術式が一点へ集まる場所を指す。
「地下から入った魔力が、ここを通ってから変わってる。ここだけ止めれば、《夜棘》へ流れる魔力はかなり減ると思う」
「切ればいい?」
リリアが尋ねる。
「駄目」
ミミナの返事は速かった。
「今ここを切ったら、入ってきた魔力が行き場をなくす」
「では、先に流入量を減らす必要がありますね」
ノアが言う。
「うん。それに、残ってる濁った魔力も先に減らしたい」
三人の話を聞きながら、俺は頭の中で順番を組み立てる。
前より複雑だ。
だが、一つずつならできる。
「まずミミナが、地下から入る量を落とす」
「うん」
「次にノアが、杭の中に残ってる濁りを浄化する」
「可能な範囲で行います」
「それからリリアが、ミミナの指定した部分だけ切る」
「分かりました」
「ただし今回は杭を抜かない。術式を止めたところで終了」
ミミナが黒い杭を見ながら頷いた。
「それが一番安全だと思う」
グレンが俺達を見ている。
「必要なものは?」
「時間をください」
俺が答える。
「あと、途中で変なことが起きても、すぐ杭を壊そうとしないでください」
「了解した」
グレンは部下達を点検口から離し、俺達四人のために場所を空けた。
俺は息を整える。
「始めよう」
◇
「ミミナ、最初は一割」
「分かった」
ミミナは杖を構える。
「対象は杭へ流れ込む魔力。効果は流量制限、強さ一割、時間三十秒」
淡い光が杭の根元を包んだ。
低い振動が床下から伝わる。
「どう?」
「大丈夫。流れは落ちてる」
「そのまま維持して」
胸の奥へ意識を向ける。
《縁》が反応し、ミミナの状態がぼんやりと伝わってくる。
余裕はある。
「ノア、始められる?」
「はい」
彼女が点検口のすぐそばまで進む。
「《浄化》」
金色の光が黒い杭へ重なる。
紫色だった光が少しずつ薄くなっていく。
その瞬間、石の隙間から生えていた《夜棘》が震えた。
「来ます」
リリアが剣を抜く。
黒紫色の茎が一気に伸びた。
ノアへ向かう一本を、青白い剣閃が切り落とす。
次はミミナ。
さらに一本。
狭い点検口の中では、リリアも自由に動けない。
「リリア、前だけでいい!」
「はい!」
「ミミナは魔力の方に集中して!」
「分かってる!」
「ノア、余裕は?」
「まだ大丈夫です」
一つずつ確認する。
リリアの呼吸。
ミミナの魔力。
ノアの浄化。
以前より、三人の状態が分かる。
でも全部分かるわけじゃない。
だから声に出して確認する。
「ミミナ、二割まで下げられる?」
「いける」
「ゆっくりでいい」
流れがさらに弱まる。
黒い杭から聞こえていた低い振動も小さくなった。
「ノア?」
「あと少しです」
金色の光が杭の中央へ集まる。
紫色の濁りがほとんど消えた。
「今です」
「リリア」
「はい」
だが彼女が動く前に、ミミナが声を上げた。
「待って!」
全員が止まる。
「どうした?」
「切る場所、少しずれてる」
ミミナが杖先を動かす。
「さっき見えてなかった術式が下にある。ここを切ったら、流れを止めるんじゃなくて別の場所へ逃がしちゃう」
俺は一瞬焦ったが、冷静さを取り戻す。
にしても、以前のミミナなら勢いでそのまま進めていただろうに。
「正しい場所は?」
「探す。少しだけ時間ちょうだい」
「分かった」
誰も急かさない。
《夜棘》は伸び続けている。
ノアの魔力も減っている。
それでも、間違って切るよりいい。
ミミナは黒い杭だけを見つめていた。
額に汗が浮かんでいる。
「……あった!」
「よし!どこだ?」
彼女が今度は杭の下側を指した。
「ここ。三本の線が一つになる場所」
「間違いないな?」
俺が尋ねる。
ミミナは一度だけ深く息を吸った。
「間違いない」
勢いで言った言葉ではない。
調べて、考えて、自分で出した答えだ。
「あとは任せろ」
ミミナの目が少しだけ揺れた。
すぐに強く頷く。
「リリア、そこだ!」
「承知しました!」
リリアが剣を構える。
狭い隙間。
切ってはいけない術式がすぐ隣にある。
一度でもずれれば何が起きるか分からない。
それでも、リリアの剣先は揺れなかった。
「いきます」
一閃。
金属を切る高い音が響く。
黒い杭の表面から火花が散った。
直後。
杭全体を流れていた紫色の光が消えた。
同時に《夜棘》の動きも止まる。
しばらく誰も動かなかった。
「……ミミナ?」
俺が聞く。
彼女は杖を使って何度も確認する。
一秒。
二秒。
やがて、ゆっくり顔を上げた。
「止まってる」
「本当に?」
「うん」
今度の声には確信があった。
「地下から魔力は入ってる。でも杭を通って外には出てない。《夜棘》へ流れる部分が切れてる」
ノアも確認する。
「濁った魔力の供給も止まりました」
リリアが剣を収めた。
ようやく俺も息を吐く。
「……終わった」
誰かが倒れたわけでもない。
派手な爆発もない。
王都の人達は、自分達の地下で今何が起きていたのか知らないだろう。
でも、それでいい。
《夜棘》が街へ出る前に止められた。
今回は…間に合った。
◇
地上へ戻ると、昼の光が眩しかった。
地下にいた時間はそれほど長くなかったはずなのに、外の空気が妙に新鮮に感じる。
グレンが俺達の前へ立った。
「今回の件について、聖騎士団から正式に礼を言わせてもらう」
頭を下げられ、俺の方が困った。
「いや、俺はほとんど――」
「その言葉はもう禁止です」
リリアに遮られた。
いつもより少し強い声だった。
俺は口を閉じる。
グレンの口元がわずかに緩んだ。
「報告にあった通りだな」
「何がです?」
「自分がやったことを、自分の手柄として数えない」
褒められているのかどうか分からない。
「ですが」
グレンは続ける。
「少なくとも今日君が止めなければ、途中で術式を切っていた可能性がある。君が確認させたから、ベル嬢が誤りに気づく時間も作れた」
ミミナがこちらを見る。
「俺の力じゃないですよ。最後に決めたのはミミナだしね」
「それでいい」
グレンは俺達四人を順番に見る。
「誰が一番強いかではなく、それぞれが必要なことをした。だから止められた」
その言葉は素直に嬉しかった。
俺自身が強くなったわけではない。
それでも、四人ならできることは増えている。
「ミミナ」
俺が呼ぶ。
「何?」
「さっき、よく止めたな」
「切る直前のやつ?」
「うん。違うって気づいてなかったら危なかった」
ミミナは一瞬黙った。
「……怖かった」
「え?」
「前だったら、たぶんそのまま『いける!』って言ってたと思う。でも今回は、間違ってたらリリアが切っちゃうし、ノアもずっと魔法使ってたし、ユウトも私を信じて待ってたから」
いつもの明るい笑顔ではなかった。
「だから、分からないまま進める方が怖かった」
俺は少しだけ驚いた。
ミミナが覚えたのは、出力の調整だけではないらしい。
「成長したな」
「また子供みたいに言って!」
「本気で言ってるよ」
ミミナは少しだけ照れたように笑った。
「じゃあ、受け取っておく」
その横でノアも静かに微笑んでいる。
リリアは何も言わなかったが、ミミナを見る目はどこか誇らしげだった。
グレンが黒い杭の破片を入れた箱を部下へ渡す。
「次は、この技術がどこから流出したのか調べる必要がある」
「セイルが話してた三年前の研究ですね」
「ああ」
グレンが頷く。
「当時の資料は王都にも保管されている。明日、封印記録を確認する」
「大変そうですね。頑張ってください。」
「おいおい。ここまで関わっておいて、今さら帰るつもりか?」
「え?俺たちも行くんですか?」
なんてことだ。
帰りたい。
心から帰りたい。
でも、黒い杭が王都まで来ている以上、ここで終われるとも思えなかった。
何かを察したように、リリアがこっちを見る。
「はぁ…分かりましたよ。行きますよ」
俺が答えると、三人も頷いた。
王都に到着して二日。
ようやく一つだけ分かったことがある。
リベルタで追ってきた事件は、王都へ来ても途切れていない。
確実にその核心に触れようとしている。
そしてもう一つわかったことがある。
折角王都にきたのに、俺達はまだ城も市場もまともに見ていない。
――第三十四話 終
最後までお読みいただきありがとうございます!
今回は王都で初めて、
《夜棘》が地上へ広がる前に黒い杭を停止させることができました。
これまでのユウト達は、
異変が起きた後に追いかけることがほとんどでした。
今回は違います。
まだ被害が出ていない段階で発見し、
4人で考え、
止めることに成功しました。
そして今回の大きな成長はミミナです。
切る直前になって、
自分の判断に違和感を持ち、
「待って」
と言えるようになりました。
最大出力だった頃から、
強さの調整だけでなく、
分からない時に立ち止まって確認できる魔導士へ。
少しずつですが、
4人全員が変わってきています。
そして次に調べるのは、
セイルが以前関わっていた「三年前の研究」の記録。
黒い杭の技術は、
どこから、誰の手へ渡ったのか。
第35話から、
さらに事件の核心へ近づいていきます。
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