一本の杭を抜くために、四人全員の力が必要でした
目の前にある黒い杭は、今まで抜いてきたものと同じ形をしている。
それなのに、感じる圧力はまるで違った。
排水路の奥へ立っているだけで肌がざわつき、地下から吸い上げられた魔力が足元を流れているのが、俺にすら分かる。
「前と同じ手順じゃ駄目なのか?」
俺が尋ねると、ミミナは黒い杭を見ながら考え込んだ。
「同じ考え方は使えると思う。でも、今回は一気に流れを絞ったら逆に危ないかも」
「地下側へ圧力が戻る?」
「たぶん。それか、別の場所から一気に噴き出す」
ノアが周囲へ伸びた《夜棘》を見る。
「さらに、杭を通っている魔力の濁りも強くなっています。私一人でまとめて浄化するのは難しいでしょう」
「リリアは?」
「《夜棘》そのものは切れます。ただし、この狭さでは一度に処理できる本数に限界があります」
三人とも、できないとは言っていない。
ただ、誰か一人に任せれば失敗する。
それなら、いつも通りだ。
「分けよう」
三人が俺を見る。
「全部を一度に止めなくていい。少しずつ負担を減らして、最後に抜く」
俺は杭を見る。
「ミミナは地下から入る魔力を少しずつ絞る。ノアは絞った分だけ浄化して、リリアは《夜棘》を減らす」
「ユウトは?」
ミミナに聞かれ、一瞬だけ言葉に詰まった。
「みんなが無理しないように止める」
以前なら、それを自分で口にするのが少し恥ずかしかった。
剣も使えない。
魔法もない。
だから仲間を見て、誰が次に動くかを決める。
今はもう、それを役割だと思える。
「分かりました」
リリアが静かに頷く。
「ユウトの指示に合わせます」
「私も」
「問題ありません」
三人の返事を聞き、俺は息を吐いた。
「始めよう」
◇
「ミミナ、最初は一割だけ!」
「対象は杭へ入る魔力。効果は流量制限、強さ一割、時間三十秒!」
淡い青色の光が杭の根元へ伸びる。
低い振動が排水路全体へ響いた。
「どう?」
「安定してる! まだいける!」
「一気に上げないで。十秒待つ」
俺は胸の奥へ意識を向けた。
《縁》を通して、ミミナの魔力の流れがぼんやり分かる。
まだ余裕はある。
「ノア、今ならいけそうか?」
「少量であれば」
「じゃあ始めてくれ!」
「《浄化》」
金色の光が黒い杭を包む。
表面に刻まれた術式の一部が、紫色から薄い灰色へ変わった。
同時に周囲の《夜棘》が激しく揺れる。
「リリア!」
「承知!」
黒紫色の根が床から飛び出した。
リリアの剣が走る。
一閃。
狭い通路を塞ごうとしていた二本の《夜棘》が切断される。
さらに一本。
今度はノアへ向かって伸びた。
「左!」
俺が声を上げた瞬間、リリアは迷わず剣を返した。
根がノアへ届く直前で切り落とされる。
「ありがとう」
「そのまま続けてください!」
ノアは杭から手を離さない。
「ミミナ、二割に上げられるか?」
「できる!」
「よし、ゆっくり頼む」
魔力の流れが少し弱くなった。
黒い杭の振動も変わる。
「ノアは?」
「まだ大丈夫です」
「リリア?」
「問題ありません」
順調だ。
そう思った直後、胸の奥に違和感が走った。
「待って」
三人が動きを止める。
「どうしました?」
リリアに聞かれたが、自分でもうまく説明できない。
《縁》を通して感じていた三人の状態のうち、一つだけ急に乱れた。
「ノア、無理してない?」
「まだ浄化は続けられます」
「続けられるかじゃなくて、余裕ある?」
ノアが一瞬黙った。
「……想定より消耗しています」
「止めよう」
「ですが、ここで止めれば――」
「また始めればいい」
俺は言い切った。
「一回で終わらせる必要ないだろ」
ノアは少しだけ俺を見たあと、ゆっくり手を下ろした。
金色の光が消える。
「すみません」
「謝ることじゃない」
俺が答えた、その時だった。
地下から大きな衝撃が突き上げた。
「伏せて!」
リリアの声が響く。
黒い杭の周囲から、今までで一番太い《夜棘》が飛び出した。
狭い通路いっぱいに根が広がる。
リリアが前へ出た。
「《蒼月》!」
青白い光が走る。
太い根が半ばまで切れる。
だが、完全には断ち切れなかった。
「硬い……!」
《夜棘》がしなり、リリアへ向かって振り下ろされる。
「リリア!」
彼女は剣で受けた。
金属音とは違う、重い衝撃音が響く。
リリアの体が壁へ叩きつけられた。
「っ……!」
息が詰まる。
「リリア!」
俺が動こうとしたが、ノアに腕をつかまれた。
「前へ出ないでください!」
「でも!」
「私が行きます!」
ノアが浄化を止め、リリアへ駆け寄る。
肩の鎧が割れ、下から血が滲んでいた。
「大丈夫です」
リリアは立ち上がろうとする。
「大丈夫な人はそんな顔をしません」
ノアが手をかざした。
「《癒しの灯》」
柔らかな光が傷を包む。
その間にも《夜棘》はゆっくり動いている。
「ミミナ!」
「固定する!」
「強くしすぎるなよ!」
「分かってる!」
杖から青い光が伸び、太い《夜棘》の動きが止まった。
しかしミミナの腕が小さく震える。
対象が大きすぎる。
長くは持たない。
俺は焦りそうになる気持ちを押さえた。
誰か一人に全部を背負わせたら駄目だ。
今まで何度もそうしてきた。
「リリア、立てるか?」
「はい」
「嘘じゃない?」
リリアは治療された肩を動かし、一度だけ深く息を吸った。
「まだ戦えます」
ノアが彼女を見て頷く。
「傷は塞ぎました。ただし、長時間は無理です」
「十分です」
俺は黒い杭を見る。
ここで長引けば、また誰かが傷つく。
でも、焦って一気に抜けば街が危険になる。
なら、今までより細かく役割を分ける。
「ミミナ、その根をあと十秒だけ止められる?」
「いける!」
「リリア、動ける根だけ切ってくれ。全部じゃなくていい」
「分かりました」
「ノアは浄化に戻らなくていい。まずリリアの状態を見ててくれ」
「杭はどうするのです?」
「俺達で一回、魔力を逃がす」
三人がこちらを見る。
「どうやって?」
「排水路の出口側へ少しずつ流せないか?」
ミミナが目を見開く。
「魔力を?」
「全部じゃなくていい。今杭に集まってる分を、街と反対側へ逃がす」
彼女は数秒考えた。
「できるかもしれない。でも、流す先を固定しないと散る」
「だったら排水路そのものを使う」
水を逃がすための道だ。
魔力だって方向を作れれば、少なくとも街側へ広がるのは防げるかもしれない。
「ミミナ、できそう?」
彼女は杖を握り直した。
「やる」
迷いのない声だった。
「対象は杭から溢れる魔力。効果は流向固定、方向は排水路の外側。強さ二割、時間三十秒」
「無理だと思ったらすぐ止めて」
「うん」
淡い光が杭から出口方向へ伸びる。
空気が揺れた。
「動いた!」
ミミナの声が響く。
黒い杭の周囲に溜まっていた魔力が、細い流れとなって排水路の外側へ抜け始める。
「ノア、今なら杭の浄化に戻れそう?」
ノアが一度リリアを見る。
「三十秒だけなら」
「十分だ」
「《浄化》!」
金色の光が杭へ戻る。
「リリア、根元!」
「はい!」
剣が走る。
《夜棘》が一本ずつ切断されていく。
胸の奥で《縁》が強く反応した。
ミミナの出力。
ノアの魔力。
リリアの呼吸。
三人の状態が、今までよりはっきり分かる。
「ミミナ、あと五秒!」
「まだいける!」
「ノア、終わったらすぐ離れて!」
「分かりました!」
「リリア、最後の一本!」
剣閃。
黒い杭につながっていた最後の《夜棘》が切れた。
「全員下がって!」
三人が距離を取る。
黒い杭の振動が小さくなった。
「今なら…」
俺がミミナを見る。
彼女は魔力の流れを確認し、強く頷いた。
「抜けるよ!」
「リリア!」
「任せてください!」
傷ついた肩を庇いながらも、リリアは黒い杭へ両手をかけた。
力を入れる。
一度では動かない。
もう一度。
杭が少し上がる。
「いける!」
ミミナが声を上げる。
リリアが最後に力を込めた。
黒い杭が石床から完全に抜ける。
その瞬間、大きな風のようなものが排水路を抜けた。
俺達は反射的に顔を庇う。
数秒後。
静かになった。
「……終わった?」
俺が尋ねる。
ミミナがゆっくり目を閉じ、周囲の魔力を確かめる。
やがて、肩の力を抜いた。
「地下から上がってくる量は、かなり減ったよ」
ノアも地面へ手をかざす。
「《夜棘》への供給も止まっています」
リリアが壁へ背中を預けた。
俺はようやく息を吐いた。
「よかった……」
今度こそ、その言葉が素直に出た。
◇
排水路を出ると、北門から衛兵が走ってきた。
「どうなりました!?」
「原因になってた杭は抜いたよ」
「街道側の《夜棘》も、成長が止まっています!」
その報告を聞いた瞬間、全身から力が抜けそうになった。
リベルタへ広がる前に止められた。
一人では何もできなかった。
俺が持っている短剣では、あの根一本切れない。
でも。
「ユウト」
リリアが声をかける。
「何?」
「先ほどは、ありがとうございます」
「俺、何もしてないぞ」
「またそれを言うのですか?」
珍しく少し強い言い方だった。
俺は口を閉じる。
「私が負傷した時、無理に続けるよう言わなかった。ノアの魔力が減った時も止めました。ミミナの使い方も調整した」
リリアは真っ直ぐ俺を見る。
「私達が力を使えるのは、ユウトが私達を見ているからです」
返事が出なかった。
少し離れたところで、ミミナも笑わずに頷いている。
ノアも同じだった。
「……そっか」
それしか言えなかった。
俺は強くない。
これから先も、おそらく強くならない。
それでも。
強い仲間が安心して力を使える場所を作ることなら、俺にもできるのかもしれない。
その時、北側の街道から一人の人影が近づいてきた。
黒い服。
見覚えがある。
「セイル?」
彼は俺達の前まで来ると、地面へ置かれた黒い杭を見た。
いつもの無表情が、ほんの少しだけ変わる。
「これを、どこで見つけた」
「この排水路の奥だ」
「……やはりか」
「何か知ってるのか?」
セイルはすぐには答えなかった。
代わりに杭の術式へ指を伸ばし、刻まれた線を確かめる。
「この構造は《封脈晶》と似ている」
「似てる?」
ミミナが近づく。
「でも、やってることは逆だよ。これは魔力を集めて《夜棘》へ流してる」
「だからだ」
セイルが低く答える。
「同じ技術を、逆向きに使っている」
俺は黒い杭を見る。
《封脈晶》は地下から噴き上がる魔力を抑えていた。
黒い杭は、それを吸い上げて外へ広げている。
「じゃあ、これを作った奴は……」
「少なくとも、《封脈晶》の仕組みを知っている誰かだ」
セイルの言葉を聞いて、背中が冷たくなった。
「それって、かなり限られるのか?」
「ああ」
「心当たりがありそうだな?」
彼はしばらく黙っていた。
やがて、黒い杭から俺へ視線を移す。
「ああ、これで確信した」
「何を?」
「俺が追っていた異変と、お前達が調べている事件は別のものじゃない」
風が街道を抜けていく。
「最初から、同じ線の上にある」
俺達が旧鉱山で見つけたもの。
ティオに杭を置かせた依頼人。
各地で追い出される魔物。
そして、リベルタのすぐそばまで伸びてきた《夜棘》。
ようやくバラバラだった出来事が、一つの事件としてつながり始めた。
――第二十八話 終
最後までお読みいただきありがとうございます!
今回は、リベルタ目前に設置されていた黒い杭を、4人全員の力で停止させました。
リリアは《夜棘》から仲間を守り、
ミミナは魔力の流れを制御し、
ノアは浄化と治療を担当。
そしてユウトは、3人の状態を見ながら「続ける・止める・次に誰が動くか」を判断します。
本人の戦闘力は上がっていません。
それでも、仲間が安心して全力を出せるようにする。
《交渉士》と《縁》を持つユウトらしい強さが、少しずつ形になってきました。
そして最後に現れたセイル。
黒い杭は、《封脈晶》と同じ技術を“逆向き”に利用したものだと判明します。
旧鉱山。
黒い杭。
《夜棘》。
魔物の移動。
これまで別々に見えていた異変が、ついに一つの事件としてつながり始めました。
次回、第29話へ続きます。
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