逃げろと言われても、理由くらい聞かせてくれ
「今すぐ鉱山を出て逃げろ!」
黒い服の人物はそう言ったが、ここまで来て理由も聞かずに引き返せるほど、俺達は素直ではなかった。
部屋の中央には、人の背丈ほどもある黒い結晶が据えられている。その周囲には何本もの《夜棘》が絡みつき、黒紫色の根は床や岩壁の亀裂を通って、鉱山のさらに深い場所へ伸びていた。
地下からは一定の間隔で重い衝撃が響いており、ゴォォォンと岩を打つような音がするたびに足元まで小さく震える。
「逃げるかどうかはこっちで決めるから、せめて何が起きてるのか教えてくれないか?」
俺が尋ねると、黒い服の人物はフードの奥からこちらを見た。
「説明している時間はない」
「その台詞は説明したくない人がよく使うやつ――」
「ユウト」
リリアに名前を呼ばれ、俺は途中で言葉を止めた。
「……今のは余計ですね」
「自覚があるなら結構です」
「はい、すみません」
「なぜ私には敬語なのです?」
「怒られそうな時だけ丁寧になる癖があるんだよ」
ミミナが吹き出した。
「ずるい!」
「生存戦略って言ってくれ」
こんな状況で笑っている場合でもないが、一瞬だけ張り詰めていた空気が緩んだ。
黒い服の人物は武器を構えていない。だからといって信用したわけではないものの、少なくとも今すぐ斬り合う必要はなさそうだった。
「オルドさんをここへ運んだのは、あなたですね?」
ノアが一歩前へ出る。
「そうだ」
「《夜棘》の毒を受けていた彼に、解毒薬を使ったのも?」
「あのまま放っておけば死んでいた」
「では、なぜリベルタへ戻さなかったのです?」
ノアの声はいつも通り冷静だが、目だけは相手の反応を細かく見ている。
「街道へ戻せば、再び《夜棘》に触れる危険があった。俺一人で町まで運べる状況でもなかったから、この鉱山へ避難させた」
「避難させた割には、あの人の周りを《夜棘》が囲んでたけど」
俺が続けると、相手はすぐに首を振った。
「あれは俺が置いたものではない」
「そこまで違うとなると、俺達が聞いてきた話とだいぶ食い違ってくるな」
「この鉱山へ入った時には、すでに内部まで《夜棘》が侵食していた。俺は広がる速度を抑えているだけだ」
ミミナが中央の黒い結晶へ顔を向ける。
「それを、この結晶でやってるの?」
そう言いながら近づこうとした瞬間、黒い服の人物の声が鋭くなった。
「触るな」
「触らないって!」
「ミミナさん、今しっかり手を伸ばしてましたよね?」
「ユウトまで!」
ミミナは頬を膨らませながらも、今度は素直に距離を取った。
それでも好奇心までは抑えられないらしく、結晶の表面に刻まれた細い術式をじっと眺めている。
しばらくすると、いつもの明るい表情が少しずつ真剣なものへ変わった。
「これ、普通の魔石じゃないよ」
「何か分かりそうか?」
「うん。魔力を出すためじゃなくて、集めるための術式になってる」
黒い服の人物が、初めてミミナへ明確な興味を示した。
「そこまで読めるのか」
「付与魔導士だからね。これくらいなら……たぶん」
「最後に自信なくすなよ」
「だって、見たことない術式まで混ざってるんだもん」
ミミナは杖の先を結晶へ向けるものの、今度は触れずに目だけで魔力の流れを追う。
「周りから魔力を集めて、外へ広がらないようにしてる。でも、集めた魔力を逃がす場所が少なすぎるよ。このままだと、中に溜まり続けるしかない」
「その認識で合っている」
黒い服の人物が低く答えた。
「これは《封脈晶》だ。地下から噴き上がる魔力を一時的に受け止め、周囲へ流れ出す量を抑えている」
「地下から、そんな量の魔力が上がってきてるのか?」
「本来ならあり得ない。数日前から急激に増え始めた」
俺はリリアへ顔を向ける。
「それって、周辺の魔物がおかしくなり始めた時期と近くないか?」
「可能性はありますね」
リリアは《封脈晶》を警戒しながら頷いた。
「これほど強い魔力が地下から押し上がっているのであれば、それを避けた魔物が生息域を変えても不思議ではありません」
これまで別々に見えていた出来事が、少しずつ同じ方向へ集まり始めた。
街道近くまで出てきたグランドボア、本来とは違う場所にいたフォレストウルフ達、異常な速さで増えている《夜棘》、そして住処を追われたゴブリン達。
すべてが同じ原因だと決めつけるにはまだ情報が足りないが、この鉱山の地下で起きている異変が無関係とも思えない。
「それなら、もう一つ聞かせてくれ」
俺は黒い服の人物へ視線を戻した。
「礼拝堂にいたゴブリンは、黒い服の人間が《夜棘》を置いていたって話してた。あれも、あんたじゃないんだな?」
「違う」
「同じような格好をした人間に心当たりは?」
今度は返事まで少し間があった。
「……いるかもしれない」
「ずいぶん歯切れが悪くなったな」
「俺も、その人物を探している」
「誰を探してるんだ?」
「それを話すには――」
相手が言い終えるより先に、地下からこれまで以上に強い衝撃が突き上げてきた。
ゴォォォンという低い音が部屋全体へ響き、《封脈晶》の表面から甲高い亀裂音が鳴る。
俺達が視線を向けると、黒い結晶の中央に一本の細い亀裂が走っていた。
「まずい!」
黒い服の人物が初めて明確に焦りを見せる。
「その顔を見る限り、かなりまずそうだな。何が起きてる?」
「この結晶は限界に近い。完全に割れれば、内部へ溜め込んだ魔力が坑道へ一気に流れ出す」
「流れ出すとどうなる?」
「周辺の魔物はさらに外へ押し出されるだろう。地脈そのものが乱れれば、リベルタ側まで影響が及ぶ可能性もある」
「クソ!最初に説明してくれたら逃げれたのに!」
3人が冷たい目で俺を見る中、黒い服の男は大声を上げる。
「だから逃げろと言った!」
「理由が抜けてるんだよ!」
「二人とも、今は言い争っている場合ではありません」
リリアの声に止められ、俺と黒い服の人物は同時に口を閉じた。
《封脈晶》の亀裂は少しずつ広がり、内側から紫がかった光が漏れ始めている。
「ミミナ」
「うん」
「これ、何とか持たせられそうか?」
いつもならすぐに「やってみる!」と返してくるミミナが、今回は簡単には答えなかった。
結晶を観察しながら眉を寄せ、何度か杖の先を動かして魔力の流れを確認している。
「完全に直すのは無理。術式を全部理解してないし、下手に触ったら逆に壊すと思う」
「じゃあ、直さなくていい。少しだけ負担を減らす方法なら?」
「……魔力を溜めすぎてるのが原因なら、流れを一部だけ別の場所へ逃がせれば、結晶にかかる負担は減るかもしれない」
「それならできそう?」
「簡単じゃないけど、全部を動かすよりはずっと現実的だと思う」
黒い服の人物が首を横に振った。
「ここを流れる魔力は、普通の魔導士が直接扱える量ではない。失敗すれば、そいつ自身が持たないぞ」
「普通の魔導士なら、ね」
ミミナが杖を握り直す。
「私、加減はまだ練習中だけど、魔法そのものならちゃんと得意だから」
「そこまで言い切れるようになったか」
「何、その親みたいな顔!」
「ちょっと感動してる」
「今は普通に応援して!」
「頼りにしてるぞ、ミミナ」
親指を立てる俺を見て一瞬だけ目を丸くしたあと、ミミナは嬉しそうに笑った。
「それなら任せて!」
「ミミナさん一人へ任せるのは危険です」
ノアが《封脈晶》へ伸びる《夜棘》を見ながら口を挟む。
「流れている魔力には、《夜棘》とよく似た濁りがあります。あれを大量に受ければ、ミミナさん自身の魔力へ悪影響が出る可能性があります」
「ノア、その濁りだけ浄化できそうか?」
「流れる量を抑えてくれるのであれば、試す価値はあります」
リリアが剣の柄へ手を置いた。
「私は何をすればよいでしょう?」
「《封脈晶》につながってる《夜棘》を減らせば、流れ込む魔力も少しは減ると思う」
ミミナが答える。
「ただ、結晶そのものは傷つけないでね」
「分かりました。そこは私に任せてください」
三人の役割が見えた。
ミミナが《封脈晶》から溢れそうな魔力を少しだけ別方向へ流し、ノアがその濁りを浄化する。その間にリリアが結晶へ食い込んでいる《夜棘》を一本ずつ切り離せば、負担を減らせる可能性がある。
ただし、どこか一つでもタイミングを誤れば、かえって《封脈晶》へ負荷をかけてしまう…
「やろう」
三人へ意識を向けると、胸の奥で《縁》が反応した。
「ミミナ、対象は結晶そのものじゃなくて、溢れそうになってる魔力だけ。最初から全部動かそうとするなよ」
「強さは二割くらいから?」
「それでいこう。まず三十秒だけ試して、危なそうならすぐ止める」
「了解!」
「ノアは、ミミナが逃がした魔力だけ浄化してくれ。全部まとめて受けようとしなくていい」
「分かりました。ユウトも無理だと思ったら、すぐ止めてください」
「そこは任せて」
俺は最後にリリアを見る。
「リリアは《夜棘》を一本ずつ頼む。一気にやると何が起きるか分からないから、急がなくていい」
「承知しました」
黒い服の人物が俺達のやり取りを黙って見ていたが、やがて不思議そうに俺へ顔を向けた。
「お前は何をする?」
「三人の状態を見ながら、動く順番を合わせる」
「は?お前は何もしないのか?」
「言い方な!」
思わず声が出た。
「俺だって気にしてるんだから、そこだけ強調するなよ」
「事実を聞いただけだ」
「事実だから余計に刺さるんだよ!」
ミミナが笑い、ノアまでわずかに口元を緩める。
俺は短く息を吐いてから三人へ向き直った。
「まあ、できないものは仕方ない。俺にできるやり方でいこう」
ミミナが杖を構える。
「始めるよ!」
淡い青色の光が《封脈晶》を包み込み、内部で暴れていた魔力の一部が細い流れとなって外へ抜け始める。
「ノア、今だ!」
「《浄化》」
金色の光が重なり、紫色に濁っていた魔力が少しずつ澄んでいく。
「リリア、右側の一本から!」
「任せてください」
剣が鋭く走り、《封脈晶》へ深く食い込んでいた《夜棘》だけが正確に切り落とされた。
三人の状態が《縁》を通じて同時に伝わってくる。
「ミミナ、少し強い。ほんの少し落として!」
「これくらい?」
「いい感じだ。ノアはそのままで大丈夫!」
「分かりました」
「リリア、次は左側を一本だけ!」
三人の動きが俺の声に合わせ、少しずつ一つの流れになっていく。
俺は剣も使えないし、魔法も使えない。それでも、誰が今どれくらい余裕を残しているのか、次に誰が動けば全員の力を無駄にせず済むのかだけは、以前よりはっきり感じ取れる。
「ミミナ、あと十秒で終わりにする!」
「まだいけるよ!」
「いける時に止めるのが成長だ!」
「それ言われると止めにくい!」
「ノア、そろそろ切って!」
「はい!」
「リリアも下がれ!」
三人がほぼ同時に距離を取る。
不安定に明滅していた《封脈晶》の光は、しばらく揺れたあと、ゆっくりと落ち着いていった。
「……どう?」
ミミナが息を整えながら黒い服の人物を見る。
相手は結晶へ近づき、亀裂を慎重に確認した。
「完全ではないが、さっきよりは持つ」
「よしっ!」
ミミナが両手を上げる。
「最大出力じゃなくても成功したな」
「またそこ!?」
「かなり重要な成長だろ」
「それならもっと普通に褒めてよ!」
「すごいぞ、ミミナ」
「急に素直になると照れるんだけど!」
「めんどくさっ!」
リリアもわずかに笑い、ノアは額に浮かんだ汗を拭った。
「《複数縁結合》も、だいぶ使い方が見えてきましたね」
「まだ全部分かったわけじゃないけど、少なくとも俺が魔法を撃てる能力じゃないのは確定したな」
「そこは最初から分かっていた気もします」
「ノアさん、夢くらい見させてくれません?」
「夢を見るのは無料です」
「有料の可能性あったの!?」
黒い服の人物は俺達をしばらく黙って眺めていた。
「お前達、本当に何者だ?」
「冒険者だって」
「それは見れば分かる」
「ちなみに俺はF級」
「それを聞いて、さらに分からなくなった」
「俺も自分で不思議に思ってるよ」
わずかに緩んだ空気を吹き飛ばすように、今までとは比べものにならない衝撃が地下から突き上げてきた。
床が大きく揺れ、《封脈晶》の奥にある岩盤へ何本もの亀裂が広がる。
「全員、下がれ!」
黒い服の人物が叫び、リリアが反射的に俺とミミナを庇う位置へ入った。
岩盤の一部が轟音とともに崩れ落ち、これまで見えていなかった大きな空洞が姿を現す。
その奥から聞こえてきたのは、獣の咆哮ではなかった。
「……タスケテ……」
低くかすれた声に、誰もすぐには動けなかった。
しばらくすると、暗い穴のさらに奥からもう一度声が届く。
「イタイ……クロイ……イタイ……」
その瞬間、胸の奥で《縁》がかすかに震えた。
何がいるのかは分からない。
それでも俺には、こちらを襲おうとしている声ではなく、本気で誰かに助けを求めているように聞こえた。
――第十五話 終
最後までお読みいただきありがとうございます!
黒い服の人物が使っていた《封脈晶》は、《夜棘》を広げるためのものではなく、地下から噴き上がる異常な魔力を抑えるためのものでした。
そしてユウト達は、《複数縁結合》を使って4人の力を本格的に連携。
ミミナも「最大出力」ではなく、自分で強さを調整して役割を果たせるようになってきました。
しかし、《封脈晶》の奥で崩れた岩盤から聞こえてきたのは、巨大な魔物の咆哮ではなく「助けて」という声。
地下には一体何がいるのか。
次回、その正体が明らかになります。
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