約束したから、ゴブリンにも飯を届けます
「ユウト」
「何?」
「本当に持っていくのですか?」
ノアが俺の鞄へ視線を向ける。
「持ってくよ」
「携帯食の一部を?」
「うん」
「誰のお金で購入したものか覚えていますか?」
「パーティのお金」
「正解です」
「なんで尋問みたいになってるの?」
リベルタを出てから二時間ほど。
俺達は旧街道を北へ向かって歩いていた。
ただし、最初の目的地は旧鉱山ではない。以前《夜棘》に塞がれていた石橋を越えた先にある、あの古い礼拝堂だ。
「約束したからな」
「ゴブリン達へ食料を届ける、と?」
リリアが隣から尋ねる。
「まあ、正確には『何とかする』って言っただけだけど」
「ずいぶん曖昧ですね」
「言葉がほとんど通じなかったんだから仕方ないだろ」
礼拝堂にいた二匹のゴブリンは、《夜棘》によって住処を追われ、食べ物にも困っていた。
人間の物を取ったこともあるようだったし、そのまま放っておけば、いずれ本当に人里へ出てくる可能性もある。
そこでリベルタへ戻ったあと、俺達はギルドへ事情を説明した。
さすがに「ゴブリンへの食料支援」という前例はなかったらしく、受付嬢もかなり困っていたが、黒い服の人物と旧鉱山について情報を提供してくれたことへの対価として、最低限の保存食を渡すことは認められた。
「ギルドもよく許可しましたね」
ノアが言う。
「黒い服の人と旧鉱山の場所を教えてくれたから、情報料扱いだって」
「なるほど。それなら帳簿上も問題ありません」
「そこが一番大事?」
「大事です」
やっぱりノアだった。
「ねえ」
前を歩いていたミミナが振り返る。
「ゴブリンって、焼き菓子食べるかな?」
「それは渡さないぞ」
「なんで!?」
「俺が自分の金で買ったんだぞ!」
「一枚だけ!」
「ダメ!」
「ケチ!」
「パーティ会計担当へ訴えるぞ!」
「焼き菓子はユウトの私費ですので、私には関係ありません」
「見捨てるなよ……」
そんなくだらない会話を続けているうちに、見覚えのある石橋が見えてきた。
「……まだ残ってるな」
《夜棘》は完全には消えていない。
俺達が前に切り開いた道の両側には、黒紫色の植物が以前と変わらず不気味に広がっている。
「前より増えてない?」
ミミナが足を止める。
ノアが慎重に近づき、直接触れないよう距離を取ったまま植物を観察した。
「明らかに広がっていますね」
「この短期間で?」
「成長速度も通常ではありません」
リリアの表情が険しくなる。
「人為的に魔力を与えられている可能性はありますか?」
「否定できません」
「また嫌な情報が増えたな……」
黒い服の人物と、大量に増えている《夜棘》、そしてその先にある旧鉱山。
どう考えても、ただの自然現象だけで終わる話には思えなかった。
「とりあえず礼拝堂へ行こう」
俺達は以前確保した道だけを選び、《夜棘》へ近づきすぎないよう慎重に石橋を渡った。
◇
礼拝堂の扉は、前に来た時と同じように半分ほど開いていた。
「いるかな」
「気をつけてください」
リリアが自然に先頭へ出る。
今度は俺も止めなかった。
少し言葉が通じることは分かっているし、少なくとも前回は俺達を襲ってこなかった。
だからといって、完全に安全だと決めつける理由にはならない。
「ユウト」
礼拝堂の中から、たどたどしい声が聞こえた。
「え?」
聞き覚えのある声に足を止めると、次の瞬間、扉の隙間から緑色の顔が覗いた。
「ユウト!」
「お前、名前覚えてくれてるのか!?」
姿を見せたのは、以前も立っていた方のゴブリンだった。
錆びた短剣は腰に差しているものの、こちらへ向ける様子はない。
その後ろからは、ノアが治療した小さなゴブリンもゆっくり歩いてきた。まだ少し脚を庇っているものの、自分の力で立てている。
「元気そうでよかった」
「ギィ」
「完全には治っていませんね」
ノアの表情が一瞬で神官のものへ変わった。
「脚を見せてください」
「ノア」
どうやらこちらも名前を覚えていたらしい。
「優秀ですね」
ノアが満足そうに頷く。
「患者として?」
「もちろんです」
「そこ基準なんだ」
俺は鞄から保存食を取り出し、二匹へ見せた。
「約束」
「ヤクソク?」
「食べ物」
干し肉と硬いパンを床へ置くと、二匹の黄色い目が大きく見開かれた。
「タベモノ……?」
「うん。全部じゃないけど、これくらいなら持ってきた」
ところが、ゴブリン達はすぐには近づいてこなかった。
二匹とも食料ではなく、なぜか俺達の顔を順番に見ている。
「どうした?」
「カネ……?」
「え?」
立っているゴブリンがノアを見る。
「カネ、イル?」
「……」
「!?」
俺達の視線が一斉にノアへ集まった。
「なぜ私を見るのです?」
「教育の成果が出てる」
「治療費を払ったから、食べ物にもお金が必要だと思ってるんだろ」
ノアは少し納得がいかないような顔をしたあと、ゴブリンの前へしゃがんだ。
「今回は必要ありません」
「タダ?」
「情報への対価です」
「そこまで説明する!?」
ゴブリンがどこまで理解できたのかは分からない。
ただ、お金を払わなくてもいいという部分だけは伝わったらしい。
「タダ!」
嬉しそうに食料を抱える。
「ノア、ありがとう」
「帳簿上、正しい処理をしただけです」
「それでも、ありがとう」
ノアは一瞬だけこちらを見たあと、何も言わず小さく息を吐いた。
すると、治療された小さなゴブリンが俺のところまで歩いてきた。
「ユウト」
「ん?」
小さな手で服の裾を掴み、以前と同じようにぎこちなく口元を緩める。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥にわずかな温かさが広がった。
まだ《縁》としてはっきり形になるほどではない。それでも、このゴブリンへ向かって何かが少しずつ近づいている感覚は確かにあった。
約束を守ったことが、少しは伝わったのかもしれない。
「俺達、旧鉱山へ行く」
俺は床の埃へ指で山の形を描いた。
「フルイアナ」
その言葉を聞いた途端、ゴブリンの笑顔が消えた。
「ダメ」
「危ない?」
何度も強く頷く。
「ダメ。クロイフク」
「黒い服の人がいるのか?」
また何度も頷く。
「イッパイ?」
何人いるのか聞くために指を何本か立ててみせたが、ゴブリンは困ったように首を振った。
「ワカラナイ」
「そっか」
人数までは分からないらしい。
「道は?」
「ワカル」
「案内できる?」
俺が歩く仕草をしてみせると、ゴブリンの顔が明らかに強張った。
「ダメ!」
「無理か」
「コワイ」
それなら仕方がない。
怖がっている相手を無理やり連れていくつもりはなかった。
「分かった。ここにいて」
「ユウト、イク?」
「行く」
ゴブリンはしばらく俺を見たあと、床へ落ちていた細い木片を拾った。
前に見せてくれた地図よりも少し詳しく、山や川、古い道らしき線を描いていく。
そして鉱山へ向かう途中と思われる場所に、小さな印をつけた。
「これは?」
「イシ」
「石?」
ゴブリンは手を自分の胸くらいの高さまで上げる。
「オオキイ、イシ。ソコ、ミギ」
「大きな石があったら右?」
「ミギ」
俺は反射的にリリアを見る。
「右だぞ」
「聞こえました」
「ゴブリンの方が方向分かるかも……?」
ミミナがぼそっと言った。
リリアが無言になる。
「言っちゃダメなやつだった?」
「ミミナさん」
「はい!」
「後でお話があります」
「ユウトと同じこと言われた!」
妙なところで仲間が増えた気分だった。
◇
礼拝堂を出た俺達は、ゴブリンが描いてくれた道を頼りにさらに北へ進んだ。
旧街道は次第に細くなり、周囲の木々も深くなっていく。
ただ、森へ入るほど違和感が強くなった。
「静かすぎるな」
俺が呟くと、リリアも周囲を警戒しながら頷いた。
「そうですね」
「この辺りって、普通ならもっと魔物がいるの?」
「小型の魔物であれば、何体か見えても不思議ではありません」
「それが一匹もいないってことは……」
「すでにこの辺りから離れた可能性があります」
また同じだ。
本来いるはずの魔物達が、何かを避けるように生息域を変えている。
もし原因が旧鉱山にあるのなら、俺達は今、その魔物達が逃げてきた方向へ自分から近づいていることになる。
「ユウト」
「何?」
「戻りますか?」
リリアが真剣な表情で尋ねてきた。
「怖いけどさ」
「はい」
「行方不明の人がいるんだろ」
俺は前方の森を見る。
「だったら、もう少しだけ確認したい」
別に格好つけているわけではない。
本音を言えば、今すぐリベルタへ帰りたいし、宿のベッドで昼寝したい。できることなら明日から薬草採取だけをして平和に暮らしたい。
それでも、誰かが旧鉱山へ連れていかれた可能性を知ってしまった以上、何も見なかったことにして帰れるほど器用ではなかった。
「分かりました」
リリアが少しだけ微笑む。
「危険だと判断した時は、私が強制的に連れ帰ります」
「お願いします」
「素直ですね」
「俺は命を大事にするタイプだからな」
◇
さらに一時間ほど進んだところで、ノアが突然足を止めた。
「待ってください」
「また匂い?」
「はい」
彼女が道の脇を指差す。
「《夜棘》です」
そこには数本の黒紫色の植物が生えていた。
「礼拝堂の近くよりは少ないな」
「ですが、これは不自然です」
ノアが少し離れた場所へしゃがみ込む。
「何が?」
「並び方を見てください」
言われて見ると、《夜棘》は道の脇に沿うように、ほぼ一定の間隔で生えていた。
自然に増えたというより、誰かが意図的に並べたように見える。
「誰かが置いたみたいだな」
「私にもそう見えます」
ミミナが興味深そうに近づこうとしたので、すぐに声をかけた。
「触るなよ」
「分かってる!」
以前なら少し不安だったが、最近は本当に学習している。
「ノア」
「はい」
「それより、この地面を」
リリアが少し先を指差した。
土の上に、細長い二本の跡が残っている。
「車輪?」
俺はしゃがんで確認する。
二本の平行な溝に沿って、馬の蹄らしき跡まで残っていた。
「馬車だ」
「オルドさんのものかもしれませんね」
ノアが跡の先を見る。
車輪の跡は、俺達が向かっている旧鉱山の方向へ続いていた。
「追う?」
「いえ、慎重に行きましょう」
俺達は足音を抑えながら、さらに速度を落として進んだ。
しばらくすると、木々の向こうに大きな灰色の岩が見えてくる。
「あれ」
俺は礼拝堂でゴブリンが描いてくれた地図を思い出した。
「大きな石」
「その先を右でしたね」
リリアが答える。
「覚えてた…」
「私だってそのくらいは覚えます!」
「ほー」
リリアは不貞腐れながら岩の右側へ回り込む。
そこでようやく、森の奥に黒く口を開けた巨大な穴が見えた。
周囲には崩れかけた木製の柵と錆びたレールが残り、入口の上には文字のほとんど消えた古い看板が傾いている。
「……旧鉱山か」
ようやく辿り着いた。
けれど、安心する間もなかった。
「ユウト」
リリアの声が低くなる。
「何?」
「こちらを見てください」
入口の少し手前に、一台の小さな馬車が横倒しになっていた。
車輪は一つ外れ、木箱や布、食器らしき商品が周囲へ散らばっている。
「これ、行方不明の商人の?」
「断定はできませんが、可能性は高いと思います」
ノアが慎重に積み荷を確認する。
「商品はかなり残っています。盗まれた形跡は少ないですね」
「物目当てじゃなかった?」
盗賊や魔物に襲われたのなら、積み荷がこれだけ残っているのは妙だった。
「血は?」
「見当たりません」
リリアも周囲へ視線を走らせる。
「大きく争ったような痕跡もありませんね」
「じゃあ、本当に誰かに連れていかれたのか……」
礼拝堂でゴブリンから聞いた、黒い服の人物が倒れた人間を旧鉱山へ運んだという話が頭をよぎる。
目の前に残された馬車の状況は、その証言と妙に一致していた。
胸の奥へ嫌な感覚が少しずつ溜まっていく。
「ユウト」
ミミナが普段より小さな声を出した。
「これ見て」
「何?」
彼女が指したのは、外れた車輪の近くだった。
割れた木片に、小さな黒い布が引っかかっている。
「黒い服……?」
リリアが慎重に布を取り上げた。
「かなり新しいものですね」
これまで聞いてきた話と、目の前の痕跡が少しずつつながっていく。
偶然だと考えるには、材料が増えすぎていた。
「中にいるのかな」
俺は旧鉱山の入口へ視線を向けた。
昼間だというのに、中は数メートル先から何も見えないほど暗く、奥からは冷たい空気がゆっくりと流れてくる。
「今日は入口だけ確認して、一度戻る?」
本音を言えば、そうしたかった。
この情報をギルドへ持ち帰り、もっと装備と人数を揃えてから来る方が安全だ。
少なくとも、俺のようなF級冒険者が軽い気持ちで入る場所には見えない。
その時だった。
「……けて」
「え?」
かすかな声が聞こえた気がして、全員が同時に動きを止めた。
「今、何か聞こえた?」
「静かに」
リリアが片手を上げる。
俺達が息を殺して耳を澄ませると、鉱山の奥、暗闇の向こうから、今度ははっきりと声が届いた。
「……たすけ……」
人の声だった。
「誰かいる!」
反射的に一歩踏み出した俺の腕を、リリアがすぐに掴んだ。
「待ってください」
「でも、中に誰かいる!」
「だからこそです」
リリアは剣を抜き、暗い坑道から視線を離さない。
「本当に助けを求めている人がいる可能性はあります。ですが、私達を中へ誘うための罠である可能性も捨てられません」
たしかにそうだ。
少しだけ冷静になる。
行方不明の商人。
黒い服の人物。
人為的に置かれたような《夜棘》。
そして、その全てが向かっている旧鉱山から聞こえた助けを求める声。
なるほど、考えてみれば確かに不自然だ。
だが…そうもいかないだろ。
「……分かった」
怖いのは変わらない。
むしろ、さっきよりずっと怖くなった。
それでも、あの声を聞いてしまった以上、誰かいるかもしれない場所をそのままにして帰ることはできなかった。
「リリア」
「はい」
「前を頼む」
「お任せください」
「ミミナ」
「はい!」
「勝手に最大出力は禁止な」
「分かってる!」
「ノア」
「治療が必要になれば、すぐ対応します」
「料金は?」
「状況次第です」
「今こそ柔軟になる時だ!」
ノアがほんの少しだけ笑った。
俺はランタンへ火を灯す。
淡い光が、旧鉱山の入口とその先に続く暗闇をぼんやりと照らした。
「行こう」
リリアを先頭に、俺達四人は慎重に旧鉱山の中へ足を踏み入れた。
――第十二話 終
最後までお読みいただきありがとうございます!
旧鉱山へ向かう途中、ユウト達は古い礼拝堂へ立ち寄り、ゴブリン達との約束を果たしました。
さらに鉱山へ近づくにつれて、
不自然に並ぶ《夜棘》、
馬車の車輪跡、
黒い布、
そして行方不明の商人と思われる荷車を発見。
そして鉱山の奥から聞こえてきたのは、
「助けて」
という人間の声でした。
次回、4人パーティで初めて旧鉱山内部へ入ります。
声の主は行方不明の商人なのか。
そして黒い服の人物は何者なのか。
続きが気になったら、ブックマーク・フォロー・評価で応援していただけると嬉しいです!




