表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された盲目の第一王子に仕える子爵令嬢ですが、手を引かず一歩先を示していたら、甘く執着されて求婚されました  作者: チャーコ
本編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

93/98

93 娘を静かに肯定する母

「入ってもいいかしら」


 ヴェラの声はいつものように落ち着いていた。


「もちろんです」


 ロゼッタがそう返すと、ヴェラは部屋へ入り、扉を閉じた。華やかさが前に出る人ではない。それでも、姿を現しただけで場の空気が変わる。帝国留学の折、母が「静謐の姫君」と呼ばれていたと聞いた理由が、説明なしに伝わるような立ち姿だった。


「お父様は」

「王都であなたを出迎えてからすぐに、領地のマリーニ家側で確認すべきことがあると言って出ていったわ。あの人らしいでしょう」


 ロゼッタは、ほのかに笑う。

 父なら確かにそうするだろう。大袈裟に感情を口へ出すより、必要な場所を支える方を選ぶ。


 ヴェラは娘の前まで来ると、目を細めた。


「顔つきが変わったわね」

「そうでしょうか」

「ええ。でも、別人になったわけではない」


 その言い方に、ロゼッタは目を見開く。


「前より、無理に押さえ込まなくなっただけ」

「……お母様には、わかってしまうのですね」

「母ですもの」


 ヴェラはそれ以上踏み込まなかった。事情をすべて聞き出そうとはしない。その代わり、変化だけは見逃さない。


 ロゼッタは椅子を勧め、向かい合って腰を下ろした。


 しばらく、どちらもすぐには口を開かない。窓から入る光が、ヴェラの髪へ淡く差している。自分の本来の髪色と同じ色を、今はもうロゼッタも隠さずに見られる。


「昨日」


 ロゼッタは視線を落とし、口を開いた。


「ひとつ、受け容れられたものがありました」


 前世のことを、母へ細かく話すつもりはなかった。けれど、それで何が変わったのかだけは、今の自分の中で理解していた。


「私は、ずっと……自分が幸せになることを、どこかで後回しにしていたのだと思います」

「ええ」

「人のことを考える方が先で、自分が受け取る側に回るのを、無意識に避けていました」


 ヴェラは頷くだけで、急かさない。


「でも、それを抱えたままでも、生きていいのだと、昨日やっと思えました」


 言い終えると、胸の中が少し軽くなる。

 ヴェラはアイスブルーの瞳を娘へ向けたまま言った。


「あなたは昔から、残してしまう側の痛みを先に考える子だったわ」

「……」

「それは優しさでもあるけれど、同時に、自分を後ろへ置きやすいということでもあるのよ」


 ロゼッタは視線を上げた。

 母は、責めていない。

 ただ、娘の本質をそのまま言い当てている。


「お母様は、私に何も聞かないのですね」

「聞いてほしいなら聞くわ」

「……今は、うまく話せません」

「だったら、それでいいのよ」


 ヴェラは静かにそう言ってから、ロゼッタの結い上げた髪へ目を向けた。


「その色を、もう隠さずに済むのね」

「はい」


 ロゼッタは自分の髪へそっと触れる。


「まだ、少し落ち着きません」

「そうでしょうね。でも、よく似合っているわ」


 短い一言なのに、深く沁みた。

 ヴェラはさらに、娘の首元から裾まで視線を滑らせる。


「青と金も」

「お気づきになりましたか」

「気づかない母はいないでしょう」


 ロゼッタは頬が熱くなるのを感じた。

 ドレスもリボンも、誰の色を意識して選んだかなど、言わなくても伝わってしまう。


 けれどヴェラは、からかうことはしなかった。代わりに、ほんの少しだけ目を和らげる。


「あなたが自分の意志で身につけたなら、それで十分よ」


 そして、もう一つ言葉を続けた。


「侍女だった過去を消す必要はないわ」

「……はい」

「でも、侍女のままで終わる必要もない」


 その一言が、ロゼッタの中へゆっくり広がっていく。

 ヴェラは、娘をどこに置かれても生き延びられるように育てた。その母が今、こう言っている。


 ならば、離宮で専属侍女だった自分を切り捨てずに、その先へ進んでもいいのだ。


 扉が控えめに叩かれたのは、そのときだった。


「ロゼッタ様」


 外から聞こえたのは、マリアの声だった。公の場へ近い響きで、呼び方も崩れていない。


「はい」

「ニコラス様よりお伝えいたします。王太子殿下が、午後の内々のご挨拶へ、ロゼッタ様にもご同席いただきたいとのことです」


 ロゼッタは立ち上がる。


「承知しました」


 ヴェラもまた椅子から腰を上げた。


「行ってらっしゃい」

「お母様」


 呼び止めると、ヴェラが振り返る。


「……ありがとうございます」

「礼を言われることはしていないわ」


 そう言いながら、ヴェラの表情が柔らかくなった。


「あなたが自分で選んだ道を、今さら驚いたりはしない。それだけよ」


 ロゼッタは深く頭を下げた。


 ◇ ◇ ◇


 内々の挨拶が行われるのは、王太子の執務区画に近い広間だった。


 向かう途中の廊下でも、空気は以前と違う。侍女見習いとして通っていた頃は、人の流れを邪魔しないよう壁際へ寄るのが癖だった。けれど今は、その必要がない。行き交う者たちは、先にロゼッタへ礼を執った。


 広間の前にはルチアーノがいた。


 濃い色の礼装に身を包み、淡い金髪が白い壁を背にしても埋もれない。視力を取り戻した青い瞳が、まっすぐロゼッタを捉える。


 その視線が、ローズゴールドの髪へ止まり、それから青と金の装いへ移った。


「部屋はどうだった」

「過不足なく整えられておりました」

「そうか」


 それから彼は、わずかな間を置く。


「窮屈ではなかったか」

「いいえ。自分の立つ位置が変わったのだと実感いたしました」


 その返答を聞いたルチアーノの瞳が穏やかな色を浮かべる。


「ならばよかった」


 そして、もう一度ロゼッタを見る。


「その髪も、よく似合っている」

「……ありがとうございます」


 頬に朱が走るのがわかった。

 見えるようになった彼の目で、こうして改めて言われるのは、まだ照れてしまう。


 扉の向こうには、今日から王太子へ復位した彼を支える者たちが待っている。離宮の中だけで完結する時間は、もう終わっていた。


 それでもルチアーノは、ロゼッタへ向き直って言った。


「入る前に、ひとつだけ」

「何をでしょう」

「あなたが、私の後ろへ下がるつもりはないか」


 ロゼッタは目を瞬いた。

 そして、少し笑う。


「ございません」

「本当に?」

「はい」


 ロゼッタは胸元の皇女位の胸章へ一度だけ触れた。


「侍女だった自分を恥じるつもりはありません。ですが、もうその延長のまま隠れるつもりもございません」


 ルチアーノはその答えを受け止め、ゆっくり頷いた。


「わかった」


 彼は扉へ手をかけ、それからロゼッタを見た。


「では、隣で受けてくれ」

「はい」


 今度は迷いなく答えられた。


 扉が開く。

 内側に並んだ視線が、一斉にこちらを向く。ローズゴールドの髪も、青と金の装いも、もはや誰の目にも明白だった。けれどロゼッタは、もう足を止めなかった。ルチアーノの半歩後ろではなく、その隣へ並ぶ。


 見えない王子の専属侍女だった日々は、消えない。

 けれど、それだけで終わるわけでもない。


 王宮へ戻るとは、元の場所へ戻ることではなかった。

 ロゼッタは顔を上げたまま、その視線を受けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ