8.角砂糖失踪事件③ 真犯人
午後。
店主がカフェオレを置いた。
「はいよ」
「ありがとうございます」
店主はメモ帳を見る。
ずらりと並ぶ数字。
「本気だなぁ」
「当然です」
「そうかそうか」
店主は口元を隠した。
少しだけ笑っている。
「頑張れよ」
「はい」
店主はカウンターへ戻る。
私は張り込みをしていた。
喫茶店の扉近く、その窓際。
カフェオレ。
六法全書。
メモ帳。
録音機。
そして角砂糖。
正確には、
角砂糖を使う人間の観察である。
店内を見渡す。
客が来る。
席に座る。
コーヒーが運ばれる。
砂糖を入れる。
私は記録する。
ただそれだけ。
だが重要だった。
真実は現場にある。
たぶん。
「またやってるの?」
主婦が笑う。
「調査中です」
「頑張ってね」
「ありがとうございます」
メモを取る。
【主婦 砂糖四個 ミルク有】
「今度は何の事件だ?」
「角砂糖です」
「壮大だな」
「深刻です」
男性は笑った。
そしてコーヒーに三個の角砂糖を入れた。
【男性 三個】
ページをめくる。
また書く。
角砂糖。
角砂糖。
角砂糖。
角砂糖。
角砂糖。
気付けば何ページも埋まっていた。
私はメモ帳を見つめる。
数字だけでは見えてこない。
整理が必要だった。
新しいページを開く。
【角砂糖使用量統計】
大きく書く。
さらに項目を増やす。
性別
年齢層
職業
注文内容
角砂糖使用数
教授
男性
五十代
大学教授
ブラックコーヒー
三個
哲学有
主婦
女性
四十代
主婦
コーヒー
四個
会話好き
これまで見てきた人を記憶の限り辿って、特徴を書いていく。
腕を組む。
なるほど。
私はさらに書き込む。
【仮説①】
高齢者ほど使用量が多い
【仮説②】
男性の方が平均使用量が高い
【仮説③】
教授職は三個を好む
少し考える。
教授のものは一人だ。
線を引く。
【保留】
書き直した。
さらに考える。
【角砂糖使用量と年齢の相関】
という見出しを書く。
グラフ。
棒グラフ。
円グラフ。
折れ線。
気付けばページが埋まる。
もはや研究論文だった。
大学のレポートより調べている気がする。
統計学の授業でもここまで集計したことはない。
ノートが欲しい。
専用の。
角砂糖観察ノート。
そんなことまで考え始めていた。
店主がカウンターの向こうから苦笑する。
「瑠夏ちゃん」
「はい」
「大学は?」
「休みです」
「そうじゃない」
店主は額を押さえた。
私は意味が分からなかった。
視線を上げる。
向かい。
恒一。
寝ている。
完全に寝ている。
新聞を顔にかけて。
動かない。
私が調査を始めてから三時間近く。
一度も起きない。
本当に協力する気がない。
探偵というのは困った人を助けるものではないのだろうか。
いや。
そもそも探偵なのだろうか。
本人は否定している。
ならただの昼寝好きなおじさんである。
その可能性が高い。
チリン。
ベルが鳴った。
来客。
私は顔を上げる。
店主が振り向く。
「いらっしゃい」
入ってきたのは老人だった。
初めて見る顔。
新しい容疑者。
私は姿勢を正した。
老人はゆっくり歩く。
杖こそないが足取りは遅い。
店主が声をかける。
「今日は何にするんだ?」
「ブレンドコーヒーを」
「今日もかい?」
「テレビで健康にいいって聞いたからねぇ」
店主が笑う。
「好きな席座っといてくれ」
老人はカウンターに近い席へ向かった。
コーヒーが運ばれる。
私はメモ帳を構えた。
観察開始。
老人は角砂糖の瓶を取る。
蓋を開ける。
一個。
二個。
三個。
四個。
五個。
六個。
私はペンを止めた。
多い。
かなり多い。
「!!」
慌てて新しいページ。
【特異個体確認】
【要観察対象】
七個。
八個。
九個。
十個。
……。
私は瞬きを忘れた。
まだ入れる。
まだ。
入れる。
コーヒーの色が変わっていく。
これはもう。
コーヒーではない。
砂糖味のコーヒー風飲料である。
思わず声が漏れた。
「うわぁ……」
その瞬間。
すぐ横から声がした。
「すげぇな」
「わぁっ!?」
私は飛び上がった。
椅子がガガガッと音を立てる。
心臓が跳ねる。
横を見る。
恒一。
いた。
さっきまで寝ていたはずの恒一。
いつの間にか起きている。
テーブル越しに同じものを見ていた。
「びっくりした……!」
「驚きすぎだろ」
「起きてたんですか!?」
「今起きた」
嘘だと思う。
絶対もっと前から見ていた。
恒一は老人を眺める。
少し感心したような顔。
珍しい。
「あの瓶に二十五個くらい入ってるだろ」
「そうですね」
「半分近く使ってる」
「使ってますね」
「すげぇな」
妙な感心の仕方だった。
私は老人を見る。
老人は満足そうにコーヒーを飲んでいる。
もはや真犯人だった。
「犯人です」
「犯人じゃねぇ」
「大量摂取です」
「それはそう」
「これです」
私はメモ帳を掲げた。
恒一はため息を吐く。
「店主のおじさん!」
店主を呼ぶ
店主が近付く。
「なんだ?」
「この人ですよ」
老人を見る。
店主も見る。
そして。
「ああ」
普通に頷いた。
私は固まった。
「知ってたんですか?」
「そりゃ知ってる」
「え?」
「昨日今日だし」
沈黙。
「聞かなかっただけだ」
「……」
老人はのんびりコーヒーを飲む。
「健康にいいからねぇ」
「砂糖十個入れてますよ」
「そうだねぇ」
「健康に悪いですよ」
「そうかねぇ」
「悪いです」
恒一が吹き出した。
私は振り向く。
「何ですか」
「いや」
笑いを堪えながら。
「お前」
「はい」
「三時間以上かけて常連の食生活調査しただけだぞ」
私は黙った。
店内を見る。
常連客のみんな。
男性も女性も。
みんな笑っている。
ふと気付く。
事件なんて最初から無かったのかもしれない。
角砂糖は盗まれていなかった。
ただ。
よく使われていただけだった。
そして。
どうやら。
それを知っていたのは。
私以外全員だったらしい。




