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9.角砂糖失踪事件④

 


 誰も悪くなかった


 事件は解決した。


 もっとも。


 最初から事件ではなかったのかもしれない。


 喫茶店の窓の外。

 夕方の光が商店街を橙色に染めている。


 人が歩く。

 自転車が通る。

 店先から聞こえる呼び込みの声。


 いつも通り。

 何も変わらない景色だった。


 私の前には半分ほど残ったカフェオレ。


 脇には六法全書。


 そして何ページにも渡って角砂糖の記録が書かれたメモ帳。


 今見ると少しだけ恥ずかしい。


 私はテーブルに突っ伏した。

 腕を枕にする。


 頬がひんやりして気持ちいい。


 向かい。

 おじさんはコーヒーを飲んでいた。


 相変わらずだった。

 いつ見ても。

 事件の前も後も。


 何も変わらない。


「解決しました」


 私が言う。


「ああ」


 短い返事。


 いつも通り。


「犯人はいませんでした」


「ああ」


 また返事。


 短い。

 変わらない。


 私は少しだけ顔を上げた。


 おじさんを見る。


「よかったです」


「そうか?」


 思わず眉を寄せる。


 どうしてそうなるんだろう。

 少し考える。


 答えはすぐに出た。


「誰も悪くなかったので」


 言ってから。


 ああ。

 そういうことかと思った。


 私は犯人を探していた。


 でも。

 本当に探していたのは犯人じゃなかった。


 角砂糖が無くなった理由。


 それを知りたかった。

 ただそれだけだった。


 おじさんは黙って私を見る。


 コーヒーを一口。

 ゆっくり飲み込む。


 それから背もたれに体重を預けた。

 椅子が小さく軋む。


「そういうのが一番珍しい」


 ぽつりと言った。


 私は首を傾げる。


「そうですか?」


「ああ」


 おじさんは窓の外を見る。


「大体は誰かが悪い」


 商店街。


 歩く人。


 信号待ち。

 帰宅する学生。


 何気ない景色。


「誰かが嘘を吐いてたり」



「誰かが誤魔化してたり」



「誰かが見て見ぬふりしてたりな」


 静かな声だった。


 私は黙って聞いていた。


「今回は違った」


 コーヒーカップを置く。


 小さな音。


「爺さんが砂糖を食ってただけだ」


 思わず吹き出した。


「食べてはいません」


「似たようなもんだろ」


 違いない。


 十個だった。


 いや。


 店主の話だと昨日は十二個だったそうだ。

 もはや健康法なのか何なのか分からない。


 少し笑う。


 笑って、

 それから窓の外を見る。


 夕方だった。


 何も起きていない。

 誰も傷付いていない。


 角砂糖も盗まれていなかった。


 平和だった。

 私はそのことが少し嬉しかった。


 それで良かったはずだった。


 なのに。

 ふと。


 何をすればいいのか分からなくなる。


 静かだった。


 追うものがない。

 考えることもない。


 次の聞き込みも。

 次の資料も。

 次の張り込みもない。


 ただ。

 今日が終わっただけ。


 胸の奥にぽっかりと穴が空いたような。

 ほんの一瞬だけ。


 そんな感覚があった。


 おじさんが私を見る。


 珍しく。


 少しだけ、柔らかい目だった。


「で」


「はい?」


「面白かったか?」


 私は瞬きをした。


 面白かったか。


 そう聞かれるとは思わなかった。


 事件。

 調査。

 張り込み。

 聞き込み。


 統計。

 角砂糖。

 犯人探し。


 そして。

 犯人がいなかったこと。

 全部思い返す。


 気付けば口元が少し緩んでいた。


「はい」


 即答だった。


「面白かったです」


 おじさんは鼻で笑った。


「そうか」


 それだけ。

 それだけだった。


 けれど。

 少しだけ。

 本当に少しだけ。


 満足そうに見えた。



 私は少し考えた。

 そして聞く。


「おじさんは?」


「何がだ」


「楽しかったですか?」


 おじさんはコーヒーカップを持つ。

 少しだけ考える。

 本当に少しだけ。


 窓の外を見る。


 商店街の夕陽を。


 それから。

 私を見る。


「俺か」


 一口飲む。


「まぁ」



「退屈はしなかった」



 それだけ。

 私は思わず笑った。


「楽しかったんですね」


「言ってない」


「言いました」


「言ってない」


「同じです」


「違う」



 不服そうだった。

 けれど。



 少しだけ。

 本当に少しだけ。

 口元が緩んでいた。



 私は残ったカフェオレを飲む。


 冷たさはもう無い。


 けれど甘かった。

 いつもより少しだけ。

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