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測量士と転移者  作者: ごま


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98/120

入る

 俺は、その穴の前で止まった。


 入るかどうかを決める前に、やることがある。


 ――測る。


 高さ三尺。幅二尺。奥行き、灯りを差し込んで見た。


 三歩ほどで、床が落ちている。


    ◇


「マリ。ここは、俺が先に入る」


「うん」


「三歩で床が落ちてる。……深さは分からん」


「うん」


「もし俺が落ちたら」


 俺は言った。


「――追ってくるな」


    ◇


 彼女は、答えなかった。


「マリ」


「……きこえてる」


「返事をしろ」


「――やだ」


    ◇


 俺は、その返事を受け取った。


 二年二月、この娘が「やだ」と言ったのは、これが二度目だ。


 一度目は、二年二月前。蓋の前で「さがらない」と言った時だ。


「マリ」


「なに」


「――なら、条件を出す」


    ◇


「俺が落ちたら、縄を引け」


 俺は、腰の縄を示した。


「引いて、返事がなければ、そこで止まれ」


「とまって、どうする」


「――待て」


 俺は言った。


「十を五十数えるまでだ。……さっき決めた通りだ」


    ◇


 彼女は、しばらく黙っていた。


「わかった」


 彼女は言った。


「でも、ひとつ、いう」


「言え」


「ハルトは、いつも、じぶんが、さきにいく」


    ◇


「――そうだ」


「なんで」


「測れるからだ」


 俺は言った。


「二十年やってる。どこが危ないか、俺のほうが分かる」


「それだけ?」


    ◇


 俺は、少し黙った。


「――それだけじゃない」


 俺は言った。


「お前を、落としたくない」


「うん」


「それは、正しい理由じゃない」


 俺は言った。


「仕事なら、軽いほうを先に行かせる。……そっちが合理だ」


    ◇


「じゃあ、なんで、しない」


「――できん」


 俺は言った。


「二十年、俺は合理でやってきた。……お前に対してだけ、できん」


 俺は、穴に手をかけた。


「それは、俺の弱さだ。……分かってて、直さん」


    ◇


 彼女は、しばらく何も言わなかった。


 それから、こう言った。


「ハルト」


「なんだ」


「それ、はじめて、いった」


「――言ったか」


「にねんにかげつ、いってない」


 彼女は言った。


「いま、はじめて」


    ◇


 俺は、その通りだと思った。


 二年二月、俺はこの娘に何も言わなかった。


 言わなくても伝わると思っていた。


 ――伝わらない。


 二年前、俺は野帳にそう書いた。


 書いて、二年守らなかった。


    ◇


「マリ」


「うん」


「――遅くなった」


「いい」


 彼女は言った。


「いまで、いい」


    ◇


 俺は、穴に入った。


 屈んで、三歩。


 床が落ちている場所で止まった。


 灯りを下ろす。


    ◇


 ――階段だ。


 落ちているのではない。


 段になっている。


 蹴上げ、六寸。


 俺は、測った。


 六寸。


    ◇


「マリ。降りていい」


「――だいじょうぶ?」


「階段だ」


 俺は言った。


「蹴上げ六寸。……いつもと同じだ」


    ◇


 彼女が、入ってきた。


 俺たちは、その階段を降りた。


 十二段。


 降りきると、部屋だった。


    ◇


 九尺かける十二尺。


 俺は、二度測った。


 同じだった。


「――また、この寸法だ」


 俺は言った。


「カラン村。柱の下。……ここで三つ目だ」


    ◇


 部屋は、乾いていた。


 水が入っていない。


 水面より下にあるはずなのに、乾いている。


 俺は、壁に手を当てた。


 濡れていない。


    ◇


「セレンが、いたら」


 マリが言った。


「――何て言うと思う」


「『そんなはずはありません』」


 彼女は言った。


 俺は、少し笑った。


 似ている。


    ◇


 部屋の中央に、床の刻みがあった。


 同心円と、枝分かれする線。


 そして、その周りに四つの弧。


 斜路の壁で見たものと、同じ形だ。


 ただし小さい。直径、一尺八寸。


    ◇


 俺は、四つの弧を測った。


 一つ目、四寸。


 二つ目、四寸。


 三つ目、四寸。


 四つ目、三寸。


 ――同じだ。


 一つだけ、小さい。


    ◇


「マリ」


「うん」


「四つ目が小さいのは、偶然じゃない」


 俺は言った。


「二か所で、同じ比率だ。……五尺八寸の方も、一尺八寸の方も、四つ目だけ四分の三になってる」


    ◇


「よっつめが、ちいさい」


 彼女は言った。


「なんで」


「――分からん」


 俺は言った。


「だが、意味がある」


 俺は、その四つ目の弧に手を当てた。


    ◇


 冷たい。


 他の三つは、床と同じ温度だ。


 四つ目だけが、冷たい。


「マリ。触ってみろ」


「――つめたい」


「三つ目は」


「ふつう」


    ◇


 俺は、その差を野帳に書いた。


 〈四ツ目ノ弧ノミ、寸法四分ノ三。且ツ冷タイ〉


 書いて、俺は考えた。


 ――冷たいということは、向こうに何かがある。


 温度が違うのは、境目だからだ。


 二十年、坑でそれを見てきた。


    ◇


「マリ」


「うん」


「――ここが、四つ目の門だ」


 俺は言った。


「三つは開いてる。……四つ目だけ、まだ小さい」


「ちいさい、って」


「閉まりかけてる、ということだ」


    ◇


 俺は、その考えを口に出してから、背筋が冷えた。


 ――閉まりかけている。


 千年かけて。


 オルソが一人になったのと、同じ速さで。


    ◇


 俺は、その前にもう一つ確かめた。


 部屋の四隅を見た。


 三つは、何もない。


 四つ目の隅に、物が置いてあった。


 俺は、灯りを寄せた。


    ◇


 ――道具だ。


 鉄の棒。長さ、俺の背丈より少し長い。


 先端に、球体がついている。


 俺は、動きを止めた。


「マリ」


「――ハルト。それ」


「杆だ」


    ◇


 俺は、自分の杆を横に置いた。


 並べた。


 同じ長さ。同じ太さ。


 石突きの形も同じ。


 違うのは、握りの革だけだ。こちらは巻いていない。


    ◇


 俺は、その杆の柄を見た。


 銘が彫ってある。


 俺のものと同じ位置に。


 俺は、それを読んだ。


 ――〈オルソガ、サルカドノ、九×十二ノ、タメニ、作ッタ〉


    ◇


 俺は、自分の杆の銘を思い出した。


 ――〈オルソガ、カランノ、九×十二ノ、タメニ、作ッタ〉


 カランと、サルカド。


 地名だけが違う。


「マリ」


「うん」


「――二本あった」


    ◇


「にほん」


「そうだ」


 俺は言った。


「同じ職人が、同じ日に、二本作った。……一本はカランへ、一本はここへ」


 俺は、二本の杆を見た。


「片方が、千年かけて俺の手に来た」


    ◇


 俺は、その意味を組んだ。


 俺の杆は、師匠から来た。師匠は親父から。親父はその前から。


 百年、二百年、誰かが握って、次に渡した。


 ――カラン村の部屋を測るために作られた道具が。


 誰も、それを知らずに。


    ◇


 俺は、立ち上がった。


 今日の一言を、まだ使っていない。


「マリ。灯りを」


「うん」


 斜め後ろ、少し高く。


 二年二月、一度もずれていない位置に。


    ◇


 俺は、息を吸った。


 ――七百二十七回目だ。


 この二年で、俺はこの句の意味を三分の二知った。


 サルの繋ぎ目へ、帰る。


 知って唱えるのは、初めてだった。

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