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測量士と転移者  作者: ごま


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9/43

開かずの扉

抜けたのは、その日の夕方だった――と、思う。


 地の底に夕方はない。俺の腹と、灯りの減り方が、そのくらいだと言っていた。


 最後の一撃で、石が内側へ落ちた。


 俺は先に頭を入れて、灯りを差し込んだ。


 通路だ。


 人が立って歩ける高さ。幅も足りている。


 俺は身をよじって抜け、それからマリの腕を引いて通した。彼女は肩を擦りむいたが、声を上げなかった。


 立ち上がって、灯りをかざす。


 通路は、まっすぐ先へ続いていた。


 俺は歩数を数え始めた。


 数えるのをやめられない。こういう時こそ、やめてはいけない。


    ◇


 三十二歩で、終わった。


 壁だった。


 通路の突き当たり。左右に分岐はない。上にも下にもない。


 俺は灯りを近づけて、壁を撫でた。


 石を積んでいる。目地は、ほとんどない。爪が入らない。


 ――〈此ヨリ奥、目地一分未満〉。


 親父の字が、頭に浮かんだ。


 俺は杆の石突きで叩いた。


 鈍い。詰まっている。厚い。


 もう一度、少し高い場所。同じ。


 膝の高さ。同じ。


 俺はしばらく、その壁の前に立っていた。


 風は、確かにここから来ていた。今も、ほんのわずかに来ている。壁のどこかに隙間があるのだ。目には見えないほどの。


 その隙間の向こうに、空気がある。


 こちら側には、もうあまりない。


    ◇


 俺は座り込んだ。


 灯りを床に置く。炎はもう、指の先ほどしか立っていない。


 油はまだある。空気がない。


 マリが、俺の隣に座った。


 黙っていた。


 この娘は、こういう時に喋らない。喋れないのではなく、喋らない。


 ――あと、どのくらいだ。


 俺は勘定を立て直した。


 人ひとりが一日に吸う空気の量は、だいたい決まっている。ギルドの教本に書いてある。密閉された坑で何日保つか、鉱山の連中が数えた数字だ。


 この区画の広さは測ってある。


 部屋十一、通路七本。天井高を掛けて、床の面積を掛けて、瓦礫のぶんを引く。


 二人で割る。


 ――七日。


 ただし、それは「動かずに座っていれば」の話だ。


 鶴嘴を振れば、その倍は吸う。


 四日振った。


 俺は数字を出し直して、野帳を閉じた。


 閉じたのは、書きたくなかったからだ。


 俺は野帳を開き直した。


 開いたが、書くことがなかった。


 図面はもう埋まっている。この区画のすべてを、俺は測り終えている。部屋が十一。通路が七本。行き止まりが六つ。


 六つ目を書き足した。


 筆先が震えて、線が曲がった。


 ――ドルスに言われたことを、思い出した。


 寸法だけ書け。それが一番嘘をつかない。


 俺は正しく測って、正しく書いた。


 正しく書いた図面が、出口はないと言っている。


    ◇


 しばらく、そうしていた。


 どのくらいだったか分からない。


 マリが、俺の荷から水袋を出して、俺の前に置いた。


 俺は首を振った。


 彼女は袋を押した。俺はまた首を振った。


 三度目に、彼女は袋の栓を抜いて、自分で一口飲んで、それから俺に押しつけた。


 ――先に飲んだから、飲め、ということらしい。


 俺は受け取って、一口飲んだ。


 温い。


 温い水が喉を通る間、俺は妙なことを考えていた。


 この娘は五日前まで、俺のことを知らなかった。


 言葉も通じない。名前の意味も知らない。どこから来たかも言えない。


 それが今、地の底で、俺に水を飲ませようとしている。


 ――こういうのを、なんと言うんだったか。


 言葉が出てこなかった。


 俺は栓を閉めて、袋を返した。


 やがて俺は立ち上がって、荷を担ぎ直した。


 もう一度、壁を見た。


 ――理屈では、ここで終わりだ。


 だが、俺の家は百年この遺跡に通っている。百年通って、誰も死んでいない。それは腕がいいからではなく、たぶん、諦めが悪かったからだ。


 俺は壁の前に立った。


 杆を持ち替えて、石突きを床に置く。


 いつもの構えだ。


 ――危ない場所に入る前に唱えろ。


 親父の声が、なぜかその時に出てきた。


 顔は、もうよく思い出せない。


 声だけが残っている。低くて、少し掠れた声だ。


 あの人は、家の中では滅多に喋らなかった。喋るのは仕事の話と、この言葉を教える時だけだった。


 ――意味は。

 ――知らん。

 ――知らないのに、唱えるのか。

 ――ああ。

 ――なんで。

 ――親父がそうしてたからだ。


 子どもの俺は、それで納得しなかった。


 納得しないまま、二十四年唱えている。


 入る前も何も、俺はもう中にいる。


 今さら唱えて、何になる。


 それでも、口が動いた。


 癖というのは、そういうものだ。祈りでも願いでもない。ただ、そうしないと収まりが悪い。


 俺は短く息を吸って、いつもの調子で唱えた。


 ――シャルカディ・オム・ネイア。


    ◇


 音もなく、壁が動いた。


 俺は、それを理解するのに、たっぷり三つ数えるだけかかった。


 壁が――正面の、目地一分未満の、厚い石の壁が、上へ滑っていた。


 軋みも、埃も、抵抗もなかった。


 水が引くように、静かに。


 俺は杆を落とした。


 落としたことにも、しばらく気づかなかった。


 開いた先から、空気が来た。


 冷たい、乾いた空気だった。


 俺は思い切り吸い込んで、咳き込んだ。


 咳き込みながら、床に手をついた。


 息ができる。


 それだけのことが、こんなに違うのかと思った。


 頭の奥に張りついていた鈍い痛みが、二つ数えるうちに薄れていった。


 自分がどれだけ鈍くなっていたか、その時になって初めて分かった。


 俺は四日間、正しく考えていたつもりでいた。


 つもりだった。


 マリが隣で咳をしていた。背中を叩いてやろうとして、手が震えていて、うまく当たらなかった。


    ◇


(――光った)


 私は、それを見ていた。


 ハルトさんが壁の前に立って、いつものあれを言った。


 シャルカディ・オム・ネイア。


 毎回言うから、私はもう音を覚えてしまっている。


 言った瞬間だった。


 壁の――目の高さより少し上のところに、細い模様が浮かんだ。


 いや、浮かんだんじゃない。もともとそこにあった。


 彫ってあったのが、光ったんだ。


 白い光じゃなかった。青みがかっていて、蛍光灯みたいに、ゆっくり明るくなって、ゆっくり消えた。


 一秒か、二秒。


 それだけだった。


 消えた後、壁が上に動いた。


 私は声も出せずに、それを見ていた。


 ハルトさんは、壁を見ていた。


 光ったところを、見ていなかった。


 彼はちょうど息を吸うところで、下を向いていたから。


    ◇


 俺は壁の断面に手を当てた。


 厚みは一尺以上ある。石だ。間違いなく石だ。


 これが、動いた。


 軋まずに、埃も上げずに、真上へ。


 ……仕掛けだ。


 昔の建物には、そういうものがある。重りと縄で釣り合わせた戸。踏むと開く床。学士院の書物に書いてあると、ドルスも言っていた。


 揺れで何かが外れて、たまたま今、釣り合いが崩れた。


 そういうことだろう。


 俺は自分にそう説明した。


 説明しながら、手が震えているのに気づいて、握り込んだ。


 偶然だ。


 百年通って、一度も動かなかった壁が、俺が唱えた直後に動いた。


 そういう偶然も、ある。


 ――ある、はずだ。


 マリが、俺の袖を引いた。


 振り返ると、彼女は壁の上のあたりを指していた。何度も、強く。


 何か言っている。早口だった。


 俺は灯りを上げて、そこを見た。


 彫り込みがある。


 六話の広間で見た、あの帯状の模様と同じ作りのものだ。


 だが、ただ彫ってあるだけだった。


 俺は手を伸ばして、触れた。


 冷たい。ざらついている。ただの石だ。


「……何もないぞ」


 マリは首を振った。


 激しく振った。それから、自分の目を指して、壁を指して、両手をぱっと開いた。


 光った、と言っているように見えた。


 俺は、もう一度その彫り込みを見た。


 暗い。


 何も光っていない。


「疲れてるんだ」


 俺はそう言って、杆を拾い上げた。


 言ってから、それが自分に向けた言葉だと気づいた。


    ◇


 開いた先を、灯りで照らす。


 通路が続いていた。


 俺は一歩、踏み出した。


 足音が、違った。


 石を踏む音ではない。もっと硬くて、もっと平たい音がした。


 灯りを下げる。


 床に、継ぎ目がない。


 一枚の板を敷いたように、ずっと先まで、切れ目なく続いている。


 顔を上げる。


 壁も同じだった。積んでいない。刳り抜いてもいない。


 どうやって作ったのか、まったく分からない面が、灯りの届く限りまっすぐ伸びていた。


 その表面が、灯りを受けて、鈍く光っている。


 俺は動けなかった。


 三十四年、遺跡を測ってきた。


 こんな造りは、一度も見たことがない。


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