同じ書付
メルシアへ戻って、俺はまっすぐギルドへ行った。
ダウムは、いつもの机にいた。
「ハルト。カランへ行ってたな」
「行ってた」
「向こうから使いが来た」
彼は言った。
「村長からだ。『測量の依頼を断りたい』と」
◇
俺は、椅子に座った。
「ダウム。その依頼は、あんたが出したのか」
「出した」
彼は言った。
「先月だ。帝国の学術団体からの依頼で、正規の申請だった」
「――中身は」
「カラン一帯の再測量。境界の確定」
彼は言った。
「金は前払いで、相場の三倍だった」
◇
「受けたのか」
「受けた」
彼は言った。
「断る理由がなかった」
俺は、その言葉を聞いた。
――断る理由がない。
三倍の金を持って、正規の書式で来る相手を、ギルドは断れない。
◇
「ダウム」
「なんだ」
「その団体の名は」
「星導省附属、地誌調査局」
彼は言った。
「エルダインの役所だ。……名だけは前から知ってる」
「――星導省か」
「知ってるのか」
「知ってる」
俺は言った。
「あんたは、知らんほうがいい」
◇
ダウムは、筆を置いた。
それから、椅子に背を預けた。
「ハルト」
「なんだ」
「四十年、俺はこの仕事をやってる」
彼は言った。
「その間に、二度だけ、依頼を断ったことがある」
◇
「どんな依頼だ」
「一度目は、坑の図面だ」
彼は言った。
「持ち主が『この支柱は書くな』と言った。……書かなければ、次の年に人が死ぬ図面だった」
「二度目は」
「二十三年前だ」
彼は言った。
「よそ者が、ヌイ村の基礎石を測りたいと言ってきた」
◇
俺は、動きを止めた。
ヌイ村。
俺の生まれた村だ。
「――断ったのか」
「断った」
「なぜだ」
「理由は言えんと言われたからだ」
彼は言った。
「理由の言えん依頼は、受けん。……四十年、それだけは守ってる」
◇
俺は、その男を見た。
「ダウム」
「なんだ」
「――カランの依頼の理由は、書いてあったのか」
彼は、少し黙った。
「書いてあった」
彼は言った。
「『農地台帳の整備のため』と」
◇
俺は、その一行を頭に入れた。
――理由が、書いてある。
嘘の理由だ。
だが、書いてあれば、ダウムの四十年の決まりは通る。
「――そこまで調べてるのか」
俺は言った。
「あの男は、あんたの流儀まで調べてる」
◇
ダウムが、顔を上げた。
「――そういう相手か」
「そういう相手だ」
「ハルト」
「なんだ」
「一つだけ言え」
彼は言った。
「人は死ぬか」
◇
俺は、答えを選ばなかった。
「死ぬ」
俺は言った。
「止めなければ、二千人だ」
彼は、動かなかった。
長い時間、動かなかった。
◇
やがて、彼は帳面を閉じた。
「カランの依頼は、取り消す」
「――できるのか」
「できん」
彼は言った。
「前払いを受けてる。取り消せば、ギルドが賠償を払う」
「いくらだ」
「三年分の運営費だ」
◇
「ダウム」
「言うな」
彼は言った。
「お前が『やめろ』と言えば、俺はやめる理由ができる。……それは、お前に払わせることになる」
彼は、俺を見た。
「これは、俺の判で出した依頼だ」
◇
俺は、その言い方を聞いた。
――自分で決める。
この男は、四十年そうやってきた。
「ダウム」
「なんだ」
「――一つ、頼みがある」
「金は取る」
「取れ」
俺は言った。
「取り消すな。……代わりに、俺を担当にしてくれ」
◇
ダウムが、顔を上げた。
「――お前が測るのか」
「そうだ」
俺は言った。
「正規の依頼だ。ギルドが受けた以上、誰かが測る。……なら、俺が測る」
「連中は嫌がるぞ」
「嫌がる理由がない」
俺は言った。
「特級だ。この国で一番高い測量士を出したと言えば、文句は出ん」
◇
ダウムは、しばらく俺を見ていた。
それから、少し笑った。
「――お前、そういう手を使う男だったか」
「今日からだ」
俺は言った。
「向こうが手続きで来るなら、こっちも手続きで返す」
◇
俺は、その言葉を口に出してから、自分で少し驚いた。
――こういう考え方をするようになった。
四月前の俺は、崩落の計算をしていた。
今は、書付の担当を取りに行っている。
どちらが正しいかは、まだ分からない。
だが、後者では誰も死なない。
◇
夜、俺は宿に戻った。
セレンが、帳面を広げたまま卓に突っ伏していた。
南区の帳面だ。六百十四軒。
起こそうとして、やめた。
紙に、印がついている。
◇
俺は、その紙を見た。
名前の横に、小さな印が並んでいる。
全部の行にある。
――一つずつ、指でなぞった跡だ。
六百十四。
この女は、一晩でそれを全部やった。
◇
「ハルト」
マリが、小声で言った。
「なんだ」
「セレンさん、ないてた」
「――そうか」
「うん」
彼女は言った。
「よんひゃくにじゅうろく、かぞえたときも、ないてなかったのに」
◇
俺は、その違いを考えた。
地の底で四百二十六に手を当てたときは、泣かなかった。
町の帳面の六百十四軒では、泣いた。
――生きてる人間だからだ。
死者を数えるのと、これから死ぬかもしれない人間を数えるのは、違う。
俺は、上着をかけてやった。
◇
朝、セレンが起きた。
目が腫れていた。隠そうともしなかった。
「ハルトさん」
「なんだ」
「六百十四軒、見ました」
「――全部か」
「全部です」
彼女は言った。
「世帯主の名だけです。……家族の数までは、帳面にありません」
◇
「二千という数は、どこから出したのですか」
「一軒あたり三人半で計算した」
俺は言った。
「ギルドの目安だ。……正確じゃない」
「では、実際は」
「――もっと多いかもしれん」
俺は言った。
「南区は長屋が多い。一軒に二世帯入ってる場所がある」
◇
彼女は、頷いた。
それから、書付を出した。
「私も、一つ持ってきました」
「なんだ」
「先遣隊の二十二人の名簿です」
彼女は言った。
「四十一から減った、残りの側です」
◇
「カランへ回る二十二人か」
「はい」
彼女は言った。
「レイヴの甥は、こちらに入っています」
俺は、その紙を受け取った。
二十二の名前。
一番下が、十六歳。
◇
「セレン」
「はい」
「――この二十二人は、何をさせられる」
「試掘です」
彼女は言った。
「私が組んだ日程では、村の下の通路を三十歩掘り進めることになっていました」
「三十歩」
「はい」
◇
俺は、その数字を聞いた。
――三十歩。
カランの通路は、突き当たりまで三十歩だ。
その先は、村の下に伸びている。
「セレン」
「はい」
「三十歩掘ったら、どこに出る」
「――村の、中央です」
◇
俺は、卓に地図を広げた。
カラン村の家の並びを写したものだ。
三十歩の地点に指を置いた。
そこには、井戸がある。
五十四尺で底についた、涸れた井戸だ。
◇
「――ここだ」
俺は言った。
「連中は、井戸の下に出ようとしてる」
「なぜ井戸なのですか」
「深いからだ」
俺は言った。
「通路は地表から十尺。井戸は五十四尺。……四十四尺、下に落ちられる」
「では」
「――近道だ」
俺は言った。
「サルカドを二百四十段降りる代わりに、カランから落ちる気だ」




