目印の石
俺は、その夜のうちにカラン村へ発った。
荷馬は使わなかった。歩きのほうが速い場所がある。
マリが付いてきた。止めなかった。
セレンは残した。町の帳面を見せる約束をしていた。
――一人にするのは、危ない。
だが、ダウムに預けた。あの男は、預かったものを落とさない。
◇
夜通し歩いて、明け方にカラン村へ着いた。
跡地へ直行した。
囲いは、そのままだった。
三日前、俺とハルマと村の男二人で組んだものだ。
壊されていない。
◇
俺は、穴の縁を見た。
石が、置いてある。
カラン村で拾った、ただの石だ。
俺は、その位置を測った。
――動いてる。
二寸。
縁から二寸、内側にずれていた。
◇
「マリ」
「うん」
「――誰か来た」
「いつ」
「分からん」
俺は言った。
「だが、石は勝手には動かん」
俺は、周りの地面を見た。
足跡はない。乾いた石畳だ。
◇
俺は、囲いの木を見た。
組んだときに、俺は縄を八の字に巻いた。
測量の癖だ。荷を縛るときと同じ巻き方をする。
「――巻きが違う」
俺は言った。
「解いて、結び直してある」
「わかるの」
「分かる」
俺は言った。
「俺は八の字だ。これは片結びだ」
◇
俺は、灯りを穴に落とした。
二十段の階段。
下に、光が届く。
届いた先に――
俺は、動きを止めた。
◇
道具が置いてある。
鶴嘴が二本。楔の束。
それから、木の箱。
「マリ。ここで待て」
「いや」
「――今日は本当に待て」
俺は言った。
「箱の中身が火薬なら、灯りを近づけただけで終わる」
◇
彼女は、しばらく俺を見ていた。
それから、灯りを俺に渡した。
「――いいのか」
「ハルトが、あぶないっていうときは、ほんとうに、あぶない」
彼女は言った。
「ごかげつはん、いっかいも、はずれてない」
◇
俺は、一人で降りた。
二十段。
灯りを、箱から十分に離して置いた。
それから、箱に近づいた。
蓋は、釘で打ってある。
――封は切ってない。
置いただけだ。
◇
俺は、箱の外を見た。
側面に、焼き印がある。
鉱山の印だ。この国の東の坑で使われるものだ。
量は、印の下に書いてある。
――五貫。
「――五貫」
俺は言った。
四十貫のうちの、五貫だ。
◇
俺は、その意味を測った。
――試し撃ちだ。
いきなり四十貫は使わない。
まず少量で、材の壊れ方を見る。
俺なら、そうする。
当主も、そうする。
◇
俺は、通路を進んだ。
三十歩。突き当たりの壁。
その手前で、止まった。
――削ってある。
横の壁だ。俺が「軽い」と言ったほうの壁に、鶴嘴の跡がある。
浅い。三分ほど。
◇
俺は、その跡を測った。
幅、二寸。深さ、三分。
叩いた回数は、跡の重なりから出る。
――二十回程度。
二十回叩いて、三分しか入っていない。
俺は、その材の硬さを思い出した。
九話の壁と同じだ。
◇
俺は、しゃがんで削り屑を拾った。
粉になっている。
指で潰しても、それ以上細かくならない。
「――割れてない」
俺は言った。
欠けているだけだ。
この材は、割れずに削れる。
火薬を使えば、割れずに周りが崩れる。
◇
俺は、上へ戻った。
マリが、穴の外で待っていた。
「――いた?」
「いない」
俺は言った。
「置いていっただけだ。……試したのは、たぶん昨日だ」
「なんで、わかる」
「削り屑が乾いてない」
◇
俺は、村へ行った。
ハルマを探した。
畑にいた。
「ハルトさん。また来たんですか」
「ハルマ。昨日、よそ者が来たか」
「――来ました」
彼は言った。
「五人。測量士だと名乗って」
◇
俺は、その言葉を聞いた。
「――測量士」
「はい」
彼は言った。
「ギルドの書付を持ってました。だから、跡地に入れました」
「書付を見たか」
「見ました」
彼は言った。
「本物でしたよ。ダウムさんの判が押してありました」
◇
俺は、そこで手を止めた。
――ダウムの判。
偽物か。
あるいは――
「ハルマ」
「はい」
「その書付の日付は」
「先月です」
「――先月」
俺は言った。
「俺がここへ来る前だ」
◇
「ハルマ」
「はい」
「その五人は、何をしていった」
「跡地で穴を覗いて、下に降りて」
彼は言った。
「半日いて、荷を置いて帰りました」
「村の者と話したか」
「一人だけ、話しました」
◇
「誰と」
「村長です」
彼は言った。
「秋までに、この一帯の地図を作り直すと」
「地図を」
「はい」
彼は言った。
「田畑の境も引き直すそうです。……村長は喜んでました」
◇
俺は、その話を聞いて、腹の底が冷えた。
――地図を作る。
境を引き直す。
村の人間に、それを喜ばせる。
二十年、俺がやってきた仕事だ。
喜ばれる仕事だ。
◇
「ハルマ」
「はい」
「その地図は、作らせるな」
「――なぜです」
「境が引き直されると、村の外の土地が変わる」
俺は言った。
「跡地は、今は村の共有だ。……境が変われば、誰かの私有地になる」
「そうしたら」
「――そこで何をしても、村は口を出せなくなる」
◇
ハルマの顔が、変わった。
「村長に言います」
「言い方を考えろ」
俺は言った。
「『測量士が反対してる』では駄目だ。俺も測量士だ。……揉めるだけになる」
「じゃあ、何と」
「――決まりを持ち出せ」
◇
「あそこに家を建てるなという決まりがあるだろう」
「あります」
「境を引き直せば、あそこは畑になる」
俺は言った。
「畑になれば、小屋が建つ。……決まりが破れる」
彼は、頷いた。
「それなら、村長も分かります」
◇
俺は、その言い方を教えながら、自分がやっていることに気づいた。
――理屈を作って、人を動かしている。
嘘はついていない。境が変われば小屋は建つ。
だが、俺の本当の理由はそこではない。
二十二人と、五貫の火薬だ。
俺は、それを言わずに、別の正しい理由を渡した。
◇
俺は、村を出た道で、その意味を考えた。
ギルドの書付は、正規のものだ。
なら、連中はギルドを通して申請している。
――正面から来てる。
隠れていない。
測量の依頼として、ギルドに金を払って、正式に入っている。
◇
「マリ」
「うん」
「――連中は、犯罪をやってない」
「え」
「遺跡を測る許可を取って、測ってるだけだ」
俺は言った。
「火薬も、鉱山では普通に使う。持ってるだけなら罪にならん」
「じゃあ」
「――止める理由が、法にない」
◇
俺は、歩きながら考え続けた。
当主は、待てる男だ。
三十一年待った。
その男が選んだのは、力ずくではない。
手続きだ。
◇
――正面から、全部正規にやる。
ギルドに金を払い、書付を取り、許可された範囲で掘る。
そして重なりの夜に、許可の範囲を一歩だけ越える。
その一歩の前に、止める手段がない。
「マリ」
「うん」
「――厄介だ」
俺は言った。
「相手は、俺と同じやり方をしてる」
◇
俺は、その言葉を口に出してから、少し嫌な気分になった。
手順を踏む。基準を動かさない。記録を残す。
二十年、俺がやってきたことだ。
同じやり方で、二千人を巻き添えにできる。
――やり方の問題じゃない。
何のためにやるかだ。
俺は、その当たり前を、四十二になって初めて考えた。




