決行の夜
翌朝、降りようとしたところで、フェイラが走ってきた。
息を切らしている。
この女がこの顔をするのは、二度目だ。
一度目は、ゼルが死んだと知らせに来た時だった。
「ハルト」
「――誰だ」
「違う」
彼女は言った。
「まだ、誰も死んでない」
◇
「なら、なんだ」
「町に、人が入った」
彼女は言った。
「夜中に。荷馬車が六台」
「――荷は」
「見てない。布がかかってた」
彼女は言った。
「でも、車軸が沈んでた。……空じゃない」
◇
俺は、その言い方を評価した。
この女は、飯屋をやっている。物の重さを見る目がある。
「フェイラ」
「うん」
「車輪の跡は残ってるか」
「東の門から、宿場までは」
「見に行く」
◇
俺は、轍を測った。
深さ、二寸五分。
乾いた地面で、二寸五分沈む荷馬車は重い。
石か、金属か。
「セレン」
「はい」
「先遣隊は、何を持ち込む予定だった」
◇
彼女は、書付を開いた。
「掘削の道具です」
彼女は言った。
「鶴嘴、楔、それから――」
彼女は、そこで止まった。
「それから、何だ」
「……火薬です」
◇
俺は、轍を見ていた。
二寸五分。
「量は」
「私が組んだ日程では、四十貫でした」
彼女は言った。
「岩を割るためです。……壁を壊すためではありません」
「四十貫で、何ができる」
◇
「坑道なら、三十尺の岩盤を抜ける」
俺は言った。
答えたのは、俺だ。
二十年、崩落を測ってきた。火薬の量と壊れ方は、嫌というほど見ている。
「――だが、あの壁には効かん」
「効きませんか」
「効かん」
俺は言った。
「継ぎ目がない材だ。力を分散させる。……割れずに、周りが崩れる」
◇
俺は、そこで手を止めた。
――周りが崩れる。
サルカド旧市街は、無数の廃邸が沈んだ場所だ。
その上に、メルシアの南区が乗っている。
「セレン」
「はい」
「南区の下は、何層ある」
「――知りません」
◇
「俺は知ってる」
俺は言った。
「四層だ。二十年、俺が測った」
俺は、野帳を開いた。
「一番浅いところで、地表から十八尺。……その下に、三層」
俺は、彼女を見た。
「四十貫を最深部で使えば、上の四層が全部落ちる」
◇
セレンの顔から、色が引いた。
「南区には」
「六百軒ある」
俺は言った。
「住んでるのは、二千人くらいだ」
◇
俺は、その数を口に出してから、少し黙った。
――二千。
軽い。
数字は軽い、とこの女が言った通りだ。
「セレン」
「はい」
「南区の名簿は、ギルドにある」
俺は言った。
「区の税を集める帳面だ。世帯主の名が全部載ってる」
◇
「――なぜ、その話を」
「覚えろとは言わん」
俺は言った。
「二千は多すぎる。だが、見ておけ」
俺は、彼女を見た。
「あんたは、日程を組んだ人間だ。……その日程で誰が死ぬかを、一度は見ておいたほうがいい」
◇
彼女は、頷いた。
顔色は悪かったが、目は逸らさなかった。
「見ます」
「――そうか」
「ハルトさん」
「なんだ」
「一つ、確認させてください」
◇
「言え」
「あなたは、四月前、同じことをしようとしていました」
彼女は言った。
「サルカドを潰すために、崩落の計算を出しました」
俺は、動きを止めた。
「――知ってたのか」
「レイヴから聞きました」
彼女は言った。
「あなたが図面を破ったことも」
◇
俺は、しばらく黙っていた。
「――そうだ」
俺は言った。
「俺の計算は、あんたらの四十貫より小さかった」
俺は、掌を見た。
「玄関の戸を釘で打つ程度だと、自分で言った」
「では、当主の計算は」
「――大きすぎる」
◇
「大きすぎるとは」
「あの男は、開けるつもりだ」
俺は言った。
「壊すつもりじゃない。……だから量を惜しまない」
俺は、轍を見た。
「開けるために四十貫使って、開かなかったら、上が落ちる。それだけの話だ」
◇
その日、俺は降りなかった。
代わりに、ギルドへ行った。
ダウムは、帳面を積んだ机にいた。
「ハルト。顔が悪いぞ」
「ダウム」
「なんだ」
「南区の家の帳面を見せてくれ」
◇
彼は、筆を置いた。
「――何に使う」
「見るだけだ」
「ハルト」
彼は言った。
「二十年、お前は俺に嘘をついたことがない」
「ついてない」
「今も、ついてないな」
「――ついてない」
俺は言った。
「だが、全部は言えん」
◇
ダウムは、しばらく俺を見ていた。
それから、立ち上がって棚から帳面を出した。
「南区、六百十四軒」
彼は言った。
「持っていけ」
「――いいのか」
「よくない」
彼は言った。
「よくないが、お前が『見せろ』と言うときは、たいてい人が死ぬ話だ」
◇
その夜、俺は帳面を開いた。
六百十四の世帯主の名前。
一枚に二十四名。
二十六枚ある。
俺は、その一枚目を見た。
◇
名前が並んでいる。
知っている名が三つあった。
フェイラの店の名義。
ゼルが住んでいた長屋の家主。
それから――
俺は、その行で手を止めた。
◇
俺の家の跡地が、まだ載っていた。
焼けて、柱三本になった場所だ。
名義は、俺の名前のままだった。
俺は、その行をしばらく見ていた。
◇
「ハルト」
マリが訊いた。
「なんだ」
「みつけた?」
「――俺の家だ」
俺は言った。
「焼けたのに、まだ帳面に残ってる」
「なんで」
「取り消してないからだ」
俺は言った。
「誰も、取り消しに来なかった」
◇
その時、戸が鳴った。
三度。間を置いて、二度。
――レイヴだ。
この叩き方は、あの男が使う。五十日前に決めた合図だ。
俺は、戸を開けた。
◇
レイヴは、外に立っていた。
雨も降っていないのに、髪が乱れている。
走ってきたのだろう。
「ハルトさん」
「入れ」
「――いえ」
彼は言った。
「見られると困ります。ここで話します」
◇
「日付が出ました」
彼は言った。
「決行の日です」
俺は、身構えた。
「星の重なりの夜です」
「――知ってる」
「そうではありません」
彼は言った。
「重なりの夜の、何刻に開始するかが決まりました」
◇
「言え」
「夜半の四刻前です」
彼は言った。
「そして、もう一つ」
彼は、周りを見た。
「先遣隊は、四十一人ではありません」
◇
俺は、動きを止めた。
「――増えたのか」
「減りました」
彼は言った。
「二十二人です」
「なぜ減る」
「――半分を、別の場所に回すからです」
◇
「どこだ」
彼は、答えなかった。
答えないのが答えだと、俺はもう知っている。
「レイヴ」
「はい」
「――カラン村か」
彼の顔が、動いた。
◇
「なぜ、それを」
「行ってきたからだ」
俺は言った。
「あそこの下に、同じ規格の通路がある」
「――当主は、二十年前から知っています」
彼は言った。
「二十三年前に人を送ったのは、探すためです。見つけて、そのままにしてありました」
◇
「なぜ、そのままにした」
「入口が開かなかったからです」
彼は言った。
「開け方が分からず、二十三年、待っていました」
俺は、その言葉の意味を理解した。
――俺が、開けた。
三日前に、句を組み替えて。
囲いまで作って、目印の石を置いて。
◇
俺は、その帳面を閉じた。
閉じて、野帳を開いた。
〈南区六百十四軒。二千名前後〉
〈火薬四十貫。決行ハ星ノ重ナリノ夜〉
書いて、その下に足した。
〈二年二月ノ間ニ、止メル〉




