水の底
次の日、柱は俺たちを待っていた。
降りきる前から、光っていた。
二百四十段の途中で、下が明るいのが見えた。
「――向こうから開いてる」
俺は言った。
「初めてだ」
◇
広間に着くと、床の光の並びが変わっていた。
昨日の十七ではない。
もっと多い。
俺は、数え始めた。
「セレン、逆から数えろ。突き合わせる」
「はい」
「マリ、間隔を書け」
「うん」
◇
三人で数え終わるのに、半刻かかった。
俺が四百二十六。
セレンが四百二十六。
合っている。
「――四百二十六」
俺は言った。
「十七じゃない」
◇
「セレン。この数に心当たりは」
「ありません」
彼女は言った。
「分家の記録に、四百二十六という数はありません」
「マリ。間隔は」
「くぎってる」
彼女は、紙を見せた。
◇
俺は、その紙を見た。
四百二十六が、二つに分かれている。
大きく二つ。
前が、少ない。
後が、はるかに多い。
「数えろ」
「まえが、じゅうく」
彼女は言った。
「うしろが、よんひゃくなな」
◇
俺は、その二つを書いた。
十九と、四百七。
――十九。
覚えがある。
俺は、野帳をめくった。
五十六話の欄だ。
◇
あった。
〈百三十二年前ノ年、神隠シ十九件〉
二月前、マリと二人で年表を突き合わせて出した数だ。
他の年が三件から五件のところ、その年だけ十九件あった。
「マリ」
「うん」
「――十九だ」
「かみかくし」
◇
俺は、床の光を見た。
十九と、四百七。
前の十九が、百三十二年前に消えた人間だとすれば。
後の四百七は、何だ。
「セレン」
「はい」
「四百七という数に、心当たりは」
◇
彼女は、長い時間考えた。
それから、こう言った。
「――一つだけ、あります」
「言え」
「サルカディア王国が滅んだ年の、死者の数です」
俺は、顔を上げた。
「記録に残っているのは、王都の内側だけです」
彼女は言った。
「四百七名。……王族と、その家に仕えた者の数です」
◇
俺は、床を見た。
十九と、四百七。
消えた者と、死んだ者。
――両方、数えてる。
「セレン」
「はい」
「――向こうは、こっちの死人も数えてるのか」
「そう見えます」
◇
俺は、その意味を組み直そうとした。
組めなかった。
――なぜだ。
あれにとって、地上の人間は「かつて自分たちを追いやった側」のはずだ。
その死者を、なぜ数える。
「マリ」
「うん」
「――お前は、どう思う」
◇
彼女は、床の光を見ていた。
長いこと見ていた。
それから、こう言った。
「わけて、ない」
「――何がだ」
「ひとつの、ならびに、なってる」
彼女は言った。
「じゅうくと、よんひゃくなな。……あいだ、あいてるけど、おなじ、ならび」
◇
俺は、床を見直した。
――そうだ。
二つの塊は離れているが、同じ一列の中にある。
十七のときは、四つの塊が同じ列だった。
あれは「入って戻らなかった者」の列だった。
なら、この列は――
◇
「――同じ扱いだ」
俺は言った。
「消えた十九人と、死んだ四百七人を、同じ列に入れてる」
「どういう意味です」
セレンが訊いた。
「――分からん」
俺は言った。
「だが、区別してない。……敵の死人と味方の死人を、分けてない」
◇
俺は、そこで足を止めた。
――分けていない。
三百年、十七人を数え続けた相手だ。
その相手が、地上の四百七人も同じ列に入れている。
「セレン」
「はい」
「王国が滅んだのは、なぜだ」
◇
「――記録では、内乱です」
彼女は言った。
「王家が二つに割れ、片方が滅びました」
「本家と分家か」
「はい」
「その内乱の原因は」
「記録にありません」
彼女は言った。
「ですが、時期が一致します。……分家が句を持ち出した年です」
◇
俺は、その並びを見た。
三百年前、句が二つに分かれた。
同じ年に、王国が滅んだ。
四百七人が死んだ。
――言葉が割れて、人が死んだ。
◇
俺は、床の光の前に膝をついた。
昨日と同じことをした。
一つずつ、手を当てた。
十九。
それから、四百七。
四百二十六回、手を当てた。
◇
半刻かかった。
途中で、マリが隣に来た。
何も言わずに、反対側から手を当て始めた。
セレンも来た。
三人で、残りをやった。
◇
最後の一つに手を当てたとき、光が全部消えた。
真っ暗になった。
灯りだけが残った。
柱も、消えていた。
――終わりだ。
俺は、そう思った。
◇
だが、終わりではなかった。
柱の下の方が、細く光った。
人の背丈ほどの高さで、横一線に。
その線が、床まで下りた。
そして、床の一部が沈んだ。
◇
三尺四方だ。
カラン村の蓋と、同じ寸法だった。
沈んで、横へ滑る。
穴が開いた。
その下から、風が来た。
◇
俺は、灯りを近づけた。
――階段だ。
狭い。二尺八寸。
そして、下が明るい。
自分で光っている。
「マリ」
「うん」
「――招かれてる」
◇
俺は、その穴の縁に立った。
二年二月。四十一人。四百二十六。
全部、この五日で出た数だ。
そして今、下が開いた。
「セレン」
「はい」
「今日は降りん」
「――なぜです」
「今日は、四百二十六に手を当てた」
俺は言った。
「それで終わりだ。……一日に二つやると、片方が雑になる」
◇
その夜、俺たちは三人とも黙って飯を食った。
誰も、あの穴の話をしなかった。
話せば、明日降りることになる。
降りると決めるのが怖いのではない。
降りた先で何を訊くか、まだ決まっていないのが怖かった。
◇
「ハルトさん」
セレンが、先に口を開いた。
「なんだ」
「訊きたいことを、決めておくべきです」
「――同じことを考えてた」
「はい」
彼女は言った。
「あなたは、いつも順を決めてから現場に入ります」
「よく見てるな」
「記録官ですから」
◇
俺は、紙を出した。
訊きたいことを、書き出した。
一。あんたは何者だ。
二。あの十七人に何をした。
三。二年二月後に何が起きる。
四。この娘は帰れるのか。
書いて、俺はその四行を見た。
◇
「――多い」
俺は言った。
「四つは訊けん」
「一つですか」
「一つだ」
俺は言った。
「日に一度だ。……五十日通って、渡せたのは三語と二つの数だけだ」
◇
マリが、紙を覗き込んだ。
「ハルト」
「なんだ」
「よっつめ、けせば」
「――消せば」
「うん」
彼女は言った。
「わたしの、こと。……いま、きかなくて、いい」
◇
俺は、彼女を見た。
「それは、お前が一番訊きたいことだろう」
「うん」
「なら消すな」
「でも」
彼女は言った。
「よんひゃくにじゅうろく、かぞえたあとで、わたしのこと、きくの。……じゅんばん、へん」
◇
俺は、その言い方に手を止めた。
――順番。
この娘は、順番を気にした。
四百二十六人の死者に手を当てた翌日に、自分一人の帰り道を訊く。
それは、順番として違うと。
「マリ」
「うん」
「――お前は、俺より測量士に向いてる」
「それ、ほめてる?」
「褒めてる」
◇
俺は、四行目を線で消した。
消して、残り三つを見た。
一。あんたは何者だ。
二。あの十七人に何をした。
三。二年二月後に何が起きる。
◇
「セレン」
「はい」
「どれだと思う」
彼女は、少し考えた。
「二つ目です」
「――なぜ」
「一つ目と三つ目は、こちらの都合です」
彼女は言った。
「二つ目だけが、向こうの話です」




