止まっていた一年
夜が明けるまでに、俺たちは三百年分を並べ終えた。
セレンの記録から、代替わりと揺れを抜き出す。
紙一枚に、年だけを書いた。
俺は、その紙を見た。
――規則がある。
だが、はっきりしない。
◇
「セレン。もう一度、順に読め」
「はい」
彼女は読んだ。
代替わり四度。揺れ三度。空白二度。
俺は、それを線で結んだ。
結んで、手を止めた。
「――間隔が違う」
◇
「どういうことです」
「揺れの三度は、代替わりの三月後だ」
俺は言った。
「だが、空白の二度は、そのあと何年も揺れてない」
「はい」
「揺れないまま、次の代が継いだ。……そこで、揺れてるか」
彼女は、記録を見た。
◇
「――揺れています」
彼女は言った。
「どちらも、次の代が継いだ三月後に」
「何日だ」
「一度目は五日。二度目は八日です」
俺は、顔を上げた。
「三日じゃないのか」
「違います」
彼女は言った。
「通常は三日。……空白の後だけ、長いです」
◇
俺は、その数字を書いた。
三日。三日。三日。
空白の後だけ、五日と八日。
――溜まる。
現場と同じだ。
水を抜かずに置いた坑は、抜くときに時間がかかる。
空白が長いほど、揺れが長い。
◇
「セレン」
「はい」
「空白の年数を出せ」
「一度目が三年。二度目が六年です」
「揺れは五日と八日」
俺は書いた。
「三年で五日。六年で八日」
俺は、その二つを見た。
「――一年で一日ずつ増えてる」
◇
マリが、紙を覗き込んだ。
「ハルト」
「なんだ」
「それ、けいさんできる」
「してみろ」
「もとが、みっか」
彼女は指を折った。
「くうはくが、いちねんで、いちにち、ふえる」
「そうだ」
「にじゅうさんねん、なら」
◇
彼女は、顔を上げた。
「にじゅうろくにち」
俺は、その数字を見た。
――二十六日。
二十三年、誰も唱えなかった。
次に継ぐ者が現れたとき、下は二十六日揺れる。
◇
「――待て」
俺は言った。
「俺は、十一で継いだ」
「うん」
「二十三年前に途切れて、その一年後だ」
俺は言った。
「空白は一年だ。二十三年じゃない」
マリが、少し考えた。
「じゃあ、よっか」
「四日だ」
俺は言った。
「三十一年前に、四日揺れてるはずだ」
◇
「セレン」
「はい」
「三十一年前は」
彼女は、束をめくった。
長い時間だった。
やがて、手が止まった。
「――ありません」
「記録がないのか」
「いえ」
彼女は言った。
「その年の欄が、破られています」
◇
俺は、その紙を受け取った。
綴りの背に近いところで、切られている。
刃物だ。手で破ったのではない。
切り口が真っ直ぐだ。
「――誰がやった」
「分かりません」
彼女は言った。
「ですが、この綴りは私の管理下にありました」
「いつからだ」
「十二年前からです」
◇
「その前は」
「当主です」
彼女は言った。
「代替わりの前は、あの人が記録を預かっていました」
俺は、切り口を見た。
埃の乗り方が違う。
切ってから、しばらく経っている。
――十二年より前だ。
◇
「セレン」
「はい」
「あの男は、俺を知ってるのか」
彼女は、答えなかった。
答えないのが答えだった。
「――いつからだ」
「分かりません」
彼女は言った。
「ですが、私が『本家の生き残りがいるかもしれない』と報告したとき、あの人は驚きませんでした」
◇
俺は、椅子に背を預けた。
――知っていた。
三十一年前、四日の揺れがあった。
あれは、十一の子どもが句を唱え直した合図だ。
地面が、四日かけてそれを知らせた。
それを読める者は、その時点で気づく。
「本家に、継いだ子がいる」と。
◇
「三十一年、放っておかれたのか」
俺は言った。
「なぜ、今になって動く」
「――星です」
セレンが言った。
「二年二月後の重なりが近づいたからです」
「三十一年前には、まだ遠かった」
「はい」
彼女は言った。
「あの人は、待てる人です」
◇
俺は、その言葉を頭に入れた。
――待てる。
三十一年待った男が、いま四十一人を入れようとしている。
待てる男が急ぐときは、理由がある。
「セレン」
「はい」
「当主は、いくつだ」
◇
彼女は、少し黙った。
「――六十八です」
「二年二月後は」
「七十です」
俺は、その数字を書いた。
三十一年待って、七十。
次の重なりは、その百三十二年後だ。
◇
「――最後の一回だ」
俺は言った。
「あの男にとって、これが最初で最後だ」
セレンが、顔を上げた。
「……そう考えたことは、ありませんでした」
「あんたは若い」
俺は言った。
「若い人間は、次があると思ってる。……六十八には、次がない」
◇
俺は、卓の紙を見た。
四十一人の名簿。
三十一年前の、破られた欄。
二年二月後の日付。
全部、一人の男の時間の中にある。
――安い、と言った男。
その男は、自分の残り時間で計算していた。
◇
朝になった。
窓が白んで、村の音が始まった。
水を汲む音。薪を割る音。
その下に、四百年閉じられた通路がある。
「セレン」
「はい」
「メルシアへ戻る」
「――今日ですか」
「今日だ」
◇
「ここは、どうしますか」
「囲いは残す」
俺は言った。
「横の壁は開けん。……開けたら、この村の下が全部繋がる」
俺は、村を見た。
「二十軒ある。……人が住んでる場所の下を、俺は勝手に開けん」
◇
マリが、荷をまとめながら言った。
「ハルト」
「なんだ」
「あけない、って、きめたの、はじめて」
俺は、手を止めた。
――そうか。
二十年、俺は開けられるものは全部開けてきた。
測るとは、そういうことだ。
◇
「マリ」
「うん」
「――開けないのも、測量だ」
俺は言った。
「どこを開けたら何が壊れるか。それを出すのも仕事だ」
彼女は、少し笑った。
「それ、いいこと、いってる」
「言ってない」
俺は言った。
「二十年前から、そう教わってる。……忘れてただけだ」
◇
村を出る前に、俺はハルマのところへ寄った。
約束したからだ。分かったら言う、と。
「ハルマ」
「はい」
「まだ、全部は分からん」
「はい」
「だが、一つだけ言える」
俺は言った。
「あの跡地に家を建てるなという決まりは、守れ」
◇
「守ります」
彼は言った。
理由を訊かなかった。
「――訊かないのか」
「訊いたら、言えないでしょう」
彼は言った。
「言えることだけ言いに来た。……そういう顔をしてます」
俺は、この男を見た。
三月前、俺はこの男に薬草の使い道を教わった。
◇
「ハルマ」
「はい」
「二年後に、何か起きるかもしれん」
「――何か」
「分からん」
俺は言った。
「だが、起きるなら、この村も無関係じゃない」
彼は、少し黙った。
「その時は、知らせてもらえますか」
「知らせる」
俺は言った。
「間に合えば」
◇
帰りの道で、セレンが訊いた。
「ハルトさん。なぜ、あの人に言ったのですか」
「――なぜ」
「言えば、怖がらせるだけです」
彼女は言った。
「二年後に何が起きるかも分からないのに」
「怖がらせるのが目的じゃない」
俺は言った。
「知らせておけば、あの男は考える。……考える時間を、二年やっただけだ」
◇
彼女は、しばらく歩いてから言った。
「私は、逆をしてきました」
「――どういう意味だ」
「知らせずに、時間を稼ぎました」
彼女は言った。
「日付を一年ずらして、誰にも言わずに」
彼女は、前を見ていた。
「あれは、あの人を止めるためではなく、私が決めたくなかっただけです」
◇
俺は、その言葉を聞いた。
――決めたくなかった。
覚えがある。
二月前、俺は「まだ決めていない、確かめてから決める」と自分に言った。
手順を踏んでいる間は、まともなつもりでいられた。
「セレン」
「はい」
「それは、俺もやった」
「――あなたが、ですか」
「二月前だ」
俺は言った。
「同じことを、違う言い方でやった」




