村の下
その晩、俺は村長の家で図面を引いた。
地上の家の並びと、地下の通路を重ねる。
紙を二枚使った。上に薄い紙を載せて、透かして写す。
二十年、俺がやってきた仕事だ。
ただし、いつもは坑と地表を重ねる。
人の住む村を重ねるのは、初めてだった。
◇
「ハルトさん」
「なんだ」
「その線は、何を表しますか」
「地下の通路だ」
俺は、上の紙を指した。
「こっちが家だ。……重ねると、こうなる」
俺は、二枚を合わせた。
セレンが、息を止めた。
◇
通路の線は、村の中央を通っていた。
村長の家。井戸。ハルマの家。
全部、線の上にある。
「――真下ですか」
「深さは分からん」
俺は言った。
「二十段降りた。段の高さが五寸なら、地表から十尺だ」
「十尺」
「井戸より浅い」
◇
彼女は、その言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。
「井戸が……」
「届いてる可能性がある」
俺は言った。
「この村の井戸は、いくつある」
「三つと聞きました」
「明日、全部測る」
◇
翌朝、俺は井戸を測った。
一つ目、深さ二十二尺。届いていない。
二つ目、十九尺。届いていない。
三つ目は、村の一番奥にあった。
古い井戸だ。使われていない。板で塞いである。
◇
「ハルマ。この井戸は」
「涸れた井戸です」
彼は言った。
「じいさんの代からです。水が出なくなって、塞ぎました」
「――涸れた」
「はい」
「深さは」
「知りません。落ちると危ないんで、そのまま塞いだと」
◇
俺は、板を外させた。
中を覗く。
灯りを落とす。
落ちていく。落ちていく。
――音がしない。
俺は、縄に錘をつけて下ろした。
二十尺。三十尺。四十尺。
まだ、底に着かない。
◇
「ハルマ」
「はい」
「涸れたんじゃない」
俺は言った。
「抜けたんだ」
「――抜けた」
「底が抜けて、水が下へ落ちてる」
俺は、縄を引き上げた。
「だから水が出なくなった」
◇
俺は、錘を見た。
濡れている。
舐めはしない。だが、指で触れた。
――冷たい。
井戸水よりも冷たい。
「セレン」
「はい」
「地下に、水がある」
◇
俺は、その日の残りを使って計算した。
井戸の深さ、五十四尺で底についた。
地下通路は十尺。
――四十四尺の差がある。
通路より、はるかに深い場所に水が溜まっている。
俺は、その数字を野帳に書いた。
◇
「ハルトさん。何を考えていますか」
「――層だ」
俺は言った。
「サルカドは、身分が高いほど深いと言われてる」
俺は、指で段を示した。
「一番浅いのが市民の家。深いのが王族。……俺の家は一番深い」
「はい」
「なら、四十四尺下は何だ」
◇
セレンは、答えなかった。
俺も、答えを持っていなかった。
「マリ」
「うん」
「お前、地球で水道を見たか」
「すいどう」
「水を運ぶ仕掛けだ」
「みた。……じゃぐち、ひねると、でる」
「その水は、どこから来る」
彼女は、少し考えた。
◇
「……したから」
「下」
「うん」
彼女は言った。
「くだが、まちのしたに、はいってる。すごく、たくさん」
「――町の下に」
「うん。みちの、したぜんぶ」
彼女は言った。
「くらしてると、みえない。こうじの、ときだけ、みえる」
◇
俺は、その言葉を聞いた。
――暮らしていると、見えない。
この村は、三百年、その上で暮らしてきた。
誰も掘らなかったから、見えなかった。
一つだけ、掘った跡がある。
涸れた井戸だ。
◇
「ハルマ」
「はい」
「この井戸を掘ったのは、いつだ」
「――百年くらい前でしょうか」
彼は言った。
「村を広げた時と聞いてます」
「涸れたのは」
「じいさんの代です。五十年ほど前かと」
◇
俺は、その数字を書いた。
掘ったのが百年前。抜けたのが五十年前。
五十年、この井戸は水を出していた。
そして、抜けた。
――底が抜けるのは、何かが動いたときだ。
地面は、勝手には抜けない。
◇
「セレン」
「はい」
「五十年前、分家に記録はあるか」
彼女は、束をめくった。
長い時間、めくっていた。
やがて、手が止まった。
「――あります」
◇
「読め」
「『五十二年前、サルカド旧市街の南区にて、地の揺れ。三日続く。原因不明』」
彼女は言った。
「短い記録です。二行で終わっています」
「――揺れたのか」
「三日」
「その時、井戸が抜けた」
俺は言った。
「十里離れた場所でだ」
◇
俺は、卓に手をついた。
――繋がってる。
サルカドで何かが動くと、カランで井戸が抜ける。
それは、二つが一つの構造だという証拠だ。
図面や寸法の一致より、はるかに強い証拠だ。
「セレン」
「はい」
「その記録の、前後は」
◇
彼女は、また束をめくった。
「揺れの三月前に、一行あります」
「読め」
「『本家の当主、代替わり』」
俺は、動きを止めた。
――五十二年前。
俺の祖父が死んで、親父が家を継いだ年だ。
◇
俺は、その二つを並べた。
本家の代替わり。
三月後の、三日間の揺れ。
五十年前に抜けた井戸。
偶然かもしれない。三つとも、記録が短すぎる。
だが、俺は現場で覚えている。
――三つ並んだら、四つ目を探せ。
◇
「セレン」
「はい」
「本家の代替わりは、他に何度ある」
「――分家の記録に残っているのは、四度です」
「その全部の、三月後を見ろ」
彼女は、めくった。
今度は、速かった。
◇
彼女の手が、三度止まった。
「三度、揺れています」
彼女は言った。
「四度目は、記録がありません」
「――四度目はいつだ」
「二十三年前です」
彼女は言った。
「あなたの父上が亡くなり、代が途切れた年です」
◇
俺は、その言葉を聞いた。
代が途切れた。
俺は十歳で、家を焼かれて、一年どこかにいた。
誰も、句を継いでいなかった。
「セレン」
「はい」
「――揺れなかったのか」
「記録にはありません」
彼女は言った。
「ですが、記録がないことと、揺れなかったことは、別です」
◇
俺は、その通りだと思った。
そして、もう一つ思った。
――代替わりのたびに、下が動く。
なら、下は数えている。
誰が唱えているかを、ずっと数えている。
俺は、野帳に書いた。
〈下ハ、代ヲ数エテイル〉
◇
その夜、俺はなかなか寝つけなかった。
卓の紙を、何度も見直した。
――二十三年前、揺れなかった。
俺が句を継がなかった年だ。
継がなければ、下は動かない。
それは、こうも言える。
継ぐ者がいなければ、下は止まる。
◇
俺は、その考えを詰めた。
――止まったまま二十三年、誰も気づかなかった。
俺が十一で師匠に引き取られ、句を唱え始めるまでの一年。
その一年、下は誰の声も聞いていない。
千年動いてきた何かが、一年だけ黙った。
◇
「マリ」
「おきてる」
「――寝てないのか」
「かんがえてる」
彼女は、寝台の中で言った。
「ハルト。いっこ、へん」
「言え」
「いちねん、だれも、となえなかった」
「そうだ」
「でも、それ、まえにも、あったはず」
◇
俺は、起き上がった。
「――どういう意味だ」
「せんねん、あるでしょ」
彼女は言った。
「そのあいだに、いちどくらい、つぐひとが、いなかったとき、あるはず」
「――病気か、戦か」
「うん」
彼女は言った。
「せんねんも、ずっと、うまくつづくの、むり」
◇
俺は、その通りだと思った。
千年で三十代か四十代だ。
その全部が、無事に継がれたはずがない。
なら、途切れた年が、他にもある。
「セレン」
「――起きています」
隣の部屋から声がした。
この女も寝ていない。
◇
「記録に、途切れた代はあるか」
「三百年分しかありません」
彼女は言った。
「その中に、二度あります」
「――二度」
「はい。どちらも、次の代が継ぐまでに数年空いています」
「その間、下はどうなってた」
「記録がありません」
◇
俺は、灯りをつけた。
三人とも、起きてしまった。
卓を囲んだ。
夜中に図面を囲むのは、二十年で何度もある。
ただし、いつもは崩落の原因を探している。
今夜探しているのは、千年の空白だ。




