蓋
三日かけて、俺は開け方を決めた。
三尺四方の蓋だ。石ではない。叩いた音が違う。
周りの床石は花崗岩だが、これは違うものだ。灰色で、目が細かく、傷がつかない。
――遺跡の壁と同じ材だ。
俺は、それを確かめるのに二日使った。
◇
「ハルトさん、まだですか」
セレンが、四度目に訊いた。
「まだだ」
「三日です」
「三日で済めば早いほうだ」
俺は言った。
「二十年前、東の坑で急いだ奴がいる。三人埋まった」
彼女は、それきり訊かなくなった。
◇
三日目の夕方、俺は縁を掘った。
蓋と床石の継ぎ目に、錐を入れる。
入らない。
――目地がない。
九話の壁と同じだ。石と石の間に、隙間がない。
だが、あの壁は句で開いた。
◇
「マリ」
「うん」
「――ここで唱えていいと思うか」
彼女は、少し考えた。
「きょうの、いっかい、つかってない」
「使ってない」
「じゃあ、いい」
「そうじゃない」
俺は言った。
「訊いてるのは、そこじゃない」
◇
「――ここは、サルカドじゃない」
俺は言った。
「あの句は、サルカドの句だ。前半は地名だとセレンが読んだ」
俺は、蓋を見た。
「別の場所で、その地名を言うのは……」
「まちがい?」
「かもしれん」
俺は言った。
「別の家の戸を、他人の家の合言葉で開けようとしてる」
◇
セレンが、書付から顔を上げた。
「ハルトさん。杆の銘です」
「なんだ」
「三つ目の語は、カランでした」
彼女は言った。
「サルカドではなく」
「――そうだった」
「なら」
彼女は言った。
「句の前半を、カランに替えてみては」
◇
俺は、その提案を三度考えた。
――言葉をいじる。
二十年、俺は一度も変えずに唱えてきた。
親父の発音を、そのまま守ってきた。
変えるということは、家の外に出るということだ。
「セレン」
「はい」
「替えて、どうなる」
「分かりません」
彼女は言った。
「ですが、間違った合言葉なら、何も起きないだけです」
◇
「何も起きない、とは限らん」
俺は言った。
「六十四話で、俺は骨を三つ見た。十七人のうちの三人だ」
俺は、彼女を見た。
「あいつらは、傷もなく、水も油も残して死んでた」
セレンの顔から、色が引いた。
◇
「――間違えると、死ぬのですか」
「分からん」
俺は言った。
「だが、可能性の欄には入れる」
俺は、蓋の前に立った。
「だから、俺が唱える。あんたらは二十歩下がれ」
「ハルト」
マリが言った。
◇
「わたし、さがらない」
「下がれ」
「いや」
彼女は言った。
「あかりの、いちは、ななめうしろ。……はたち、さがったら、とどかない」
「今日はいい」
「よくない」
彼女は言った。
「ごかげつはん、いっかいも、ずらしてない」
◇
俺は、彼女を見た。
この娘は、めったにこういう言い方をしない。
――五月半、一度もずらしていない。
それは、俺が数えていたことだ。
この娘も、数えていた。
「――分かった」
俺は言った。
「位置は変えるな。ただし、俺が手を上げたら走れ」
「うん」
◇
俺は、蓋の前に立った。
息を吸う。
――カラン。
地名を、この土地の名に替える。
残りは、そのまま。
俺は、唱えた。
――カランディ・オム・ネイア。
◇
何も、起きなかった。
十を数えた。
二十を数えた。
蓋は、動かない。
「――違うか」
俺は言った。
「セレン。発音の綴りを見せろ」
彼女は、紙を出した。
◇
俺は、その字を見た。
三つ目の語。カラン。
その下に、小さな印がある。
「これは」
「――区切りの印です」
彼女は言った。
「二語に分かれるという意味です」
俺は、顔を上げた。
「カランも、二語なのか」
◇
「はい」
彼女は、印の位置を指した。
「カ、と、ラン、です」
「――サルカドと同じ形だ」
俺は言った。
「サル+カド。カ+ラン」
俺は、野帳を開いた。
二つを並べた。
◇
――「カド」と「カ」。
似ている。
サルカドの後半と、カランの前半。
俺は、その二つを見た。
見て、あることに気づいた。
「セレン。『カド』の意味は分かるか」
「いいえ」
「『カ』は」
「――同じ字です」
◇
俺は、蓋の前に戻った。
もう一度、組み直す。
サルカドは、サル+カド。
カランは、カ+ラン。
同じ「カ」が、片方は後ろ、片方は前にある。
――順が違う。
柱は、順を変えて訊き返してきた。
◇
「マリ」
「うん」
「順を変えると、意味が変わるんだったな」
「といに、なる」
「そうだ」
俺は言った。
「なら、この二つの地名は……」
俺は、そこで止まった。
◇
――片方が問いで、片方が答えかもしれない。
根拠はない。
だが、二つの入口が、一つの言葉を分け合っている形に見える。
俺は、句をもう一度組み直した。
カの位置を、後ろに置く。
――ランカディ・オム・ネイア。
◇
蓋が、光った。
同心円が、青みがかった光を帯びる。
ゆっくり明るくなって、ゆっくり――
消えなかった。
光ったまま、止まっている。
◇
俺は、手を上げなかった。
走れとは言わなかった。
――待っている。
柱と同じだ。
こいつは、こちらが次に何かするのを待っている。
「セレン」
「はい」
「――何か、言うことがあるか」
◇
「杆です」
彼女が言った。
「銘に『ため』とありました。……この部屋の下のために作られた道具です」
俺は、杆を持ち直した。
そして、石突きを蓋の中央に立てた。
同心円の、真ん中に。
◇
――かち。
小さく鳴った。
狐を直した時と、同じ音だった。
蓋が、動いた。
音もなく、下へ。
下へ沈んで、横へ滑った。
◇
三尺四方の穴が開いた。
俺は、灯りを差し込んだ。
――階段だ。
狭い。二尺八寸。
あの点検口と、同じ幅だった。
「マリ」
「うん」
「――同じ規格だ」
俺は言った。
「ここは、サルカドと繋がってる」
◇
三人とも、しばらく穴を覗いていた。
誰も、降りようとしなかった。
「セレン」
「はい」
「今、何時だ」
「――日暮れ前です」
「なら、今日は降りん」
俺は言った。
「暗くなってから未知の階段に入るのは、素人だ」
◇
俺は、蓋を戻そうとした。
戻らなかった。
滑った蓋は、そのまま止まっている。
押しても、引いても動かない。
「――閉まらんな」
「サルカドと同じですね」
セレンが言った。
「ええ」
俺は言った。
「あっちも開けたら開いたままだ。……こういう作りをした奴は、閉める気がない」
◇
俺は、荷から石を出した。
カラン村で拾った石だ。五十一日前から、重しに使っている。
それを、穴の縁に置いた。
「――目印か」
セレンが訊いた。
「そうだ」
俺は言った。
「誰かが来て動かせば、石がずれる。……前も同じことをした」
◇
村へ戻る道で、マリが言った。
「ハルト」
「なんだ」
「あなが、あいたまま」
「ああ」
「むらの、ひと、おちない?」
俺は、足を止めた。
――そうだ。
考えていなかった。
◇
俺は、村へ戻ってハルマを呼んだ。
「跡地の東側に穴が開いた」
「――穴」
「俺が開けた。深さは分からん」
俺は言った。
「囲いを作る。木を貸してくれ」
「今からですか」
「今からだ」
俺は言った。
「一晩あれば、子どもが落ちる」
◇
その夜、俺たちは灯りを持って囲いを組んだ。
ハルマと、村の男が二人。
誰も理由を訊かなかった。
この村の男たちは、俺が「危ない」と言えば、それで動く。
――二十年の仕事だ。
こういう時にだけ、役に立つ。
◇
組み終わって、ハルマが言った。
「ハルトさん」
「なんだ」
「あそこ、何なんですか」
俺は、少し考えた。
嘘をつくこともできた。
二月前の俺なら、ついていた。
「――分からん」
俺は言った。
「分からんが、分かったら、あんたに言う」
彼は、頷いた。
「じゃあ、待ちます」




