九尺十二尺
カラン村までは、荷馬で二日だ。
三人と一匹になった。
コトリは、マリの荷の上に載っている。動かない。
セレンは、それを何度も見ていた。
「――触ってもいいですか」
「訊くのは、そいつにだ」
「え」
「返事はせん」
俺は言った。
「だが、嫌がるときは背中が鳴る」
◇
セレンは、指先で背中に触れた。
鳴らなかった。
彼女は、ほっとした顔をした。
この女は、学者の顔と、そうでない顔がはっきり分かれる。
二十年、記録だけを読んで生きてきた人間の顔だ。
◇
「ハルトさん」
「なんだ」
「この模様は、遺跡の壁と同じですね」
「同じだ。だが、こっちのほうが細かい」
「――細かい」
「四か所で見比べた」
俺は言った。
「狐が一番細かい。次が遺跡の壁。カランの床が一番大きくて単純だ」
◇
彼女は、しばらく黙って歩いた。
それから、こう言った。
「それは、逆かもしれません」
「――どういう意味だ」
「精密なほうが後です」
彼女は言った。
「字も道具も、後の世ほど細かくなります。……最初は、大きくて単純です」
俺は、足を止めた。
◇
――そうか。
俺は、精度の順で並べていた。
細かいほうが上等だと思っていた。
だが、時間の順で並べれば逆になる。
カランの床。遺跡の壁。狐の背。
この順で、新しくなる。
「セレン」
「はい」
「狐は、一番新しいのか」
「そうなります」
◇
俺は、マリの荷の上を見た。
金属に細い毛を植えた小さな狐。千年、錆びない。
――一番新しい。
千年前の遺跡より、新しい。
だとすれば、この狐が作られたのは、ムーが沈んだ後だ。
誰かが、沈んだ後も作り続けていた。
◇
カラン村に着いたのは、二日目の夕方だった。
ハルマが、村の入口で薪を割っていた。
俺を見て、斧を置いた。
「ハルトさん」
「久しぶりだ」
「三月ぶりですよ」
彼は、俺の後ろを見た。
マリと、セレン。
「――増えましたね」
◇
その夜、俺たちは村長の家に泊めてもらった。
カラン草の汁を煮た匂いがしていた。
俺は、その匂いを覚えている。
空腹を紛らわせる草だ。二月前、マリが「地球に帰ったらダイエットにいいかも」と言った。
――帰ったら。
あの時は、八年先の話だった。
今は、二年二月だ。
◇
翌朝、俺は例の建物へ行った。
村の外れの、石の基礎だけが残った場所だ。
上物は何もない。床石だけが残っている。
三月前、俺はここで模様を見た。
埃を払って、同心円と枝分かれする線を見つけた。
その時、俺は模様しか見なかった。
◇
「マリ。縄だ」
「うん」
俺は、基礎の外周を測った。
東西、十八尺。
南北、九尺。
――半分だ。
俺は、もう一度測った。
同じだった。
◇
「ハルトさん、何か」
「セレン。杆の銘は、九尺かける十二尺だったな」
「はい」
「ここは、九尺かける十八尺だ」
俺は言った。
「合わん」
俺は、床石を見回した。
「――だが、外周が合わんのは珍しくない。中が問題だ」
◇
俺は、床石の目地を追った。
基礎の上に、仕切りの跡がある。
石に溝が彫ってある。壁を立てるための溝だ。
俺は、その溝を追った。
追って、九尺のところで止まった。
◇
――ここで、区切ってある。
九尺かける十二尺。
残りは、九尺かける六尺。
「セレン」
「はい」
「――あった」
俺は言った。
「九尺かける十二尺の部屋だ。この建物の、東半分だ」
◇
俺は、その区画に入った。
模様は、その中央にある。
三月前に俺が埃を払った場所だ。
まだ、うっすら見えている。
俺は、しゃがんで手をついた。
――冷たい。
周りの石より、明らかに冷たい。
◇
「マリ。灯りを寝かせろ」
「うん」
炎を細くして、床に近づける。
模様の上。
――揺れた。
風が来ている。
下から。
◇
「セレン」
「はい」
「下に空洞がある」
俺は言った。
「三月前は、気づかなかった」
「なぜ、今は」
「――探し方が違う」
俺は言った。
「三月前は、模様を見に来た。今日は、部屋を測りに来た」
◇
俺は、床石を叩いた。
模様の上は、鈍い。
その周りは、軽い。
――逆だ。
普通、空洞の上は軽い音がする。
模様の下だけが詰まっている。
◇
「――蓋だ」
俺は言った。
「模様のところが蓋になってる。周りは空洞だ」
「開けるのですか」
「開けん」
俺は言った。
「まだだ。位置と寸法を出す。……開け方を間違えると、下が潰れる」
◇
その日、俺は一日かけて測った。
床石の厚み。目地の幅。石の継ぎ目の向き。
夕方までに、図面が一枚できた。
九尺かける十二尺の部屋。中央に、三尺四方の蓋。
その下に、深さ不明の空洞。
◇
「マリ」
「うん」
「ここは、何のための部屋だと思う」
彼女は、図面を見た。
「……いりぐち?」
「そうだろうな」
俺は言った。
「だが、入口にしては小さい。三尺四方だ。荷は通らん」
「ひとは、とおる」
「人は通る」
俺は言った。
「一人ずつ、な」
◇
村へ戻る道で、ハルマに会った。
畑から帰るところだった。
「ハルトさん。あの跡地で何を」
「測ってた」
「あそこ、何もないでしょう」
「基礎がある」
俺は言った。
「ハルマ。あの建物のこと、村で何か言い伝えはあるか」
◇
彼は、少し考えた。
「――話じゃないんですが」
「なんだ」
「あそこには、家を建てちゃいけないことになってます」
「理由は」
「知りません」
彼は言った。
「じいさんもそう言ってました。そのじいさんも、そう言われたと」
◇
俺は、その言い方を聞いた。
――理由の落ちた決まり。
現場でよく見る。「この坑は西から掘るな」という決まりがある。理由を知る者はいない。
守っている間は、事故が起きない。
誰かが理由を訊いて、答えられないから捨てる。
捨てた翌年に、人が死ぬ。
◇
「ハルマ」
「はい」
「破った奴はいるか」
「一人います」
彼は言った。
「二十年くらい前に、よそから来た男が小屋を建てました」
「――どうなった」
「一冬で出て行きました」
彼は言った。
「音がすると言って」
◇
「どんな音だ」
「石が擦れるような、と」
彼は言った。
「みんな笑いましたよ。風だろうって」
俺は、笑わなかった。
――石が擦れるような音。
五十一日前、俺は同じ音を地の底で聞いた。
◇
「ハルマ」
「はい」
「その男は、どこに小屋を建てた」
「跡地の、東側です」
俺は、足を止めた。
九尺かける十二尺の部屋は、東半分だ。
蓋の真上に、その男は寝ていたことになる。
◇
俺は、村長の家に戻ってセレンに話した。
彼女は、書付を広げていた手を止めた。
「二十年前ですか」
「そう言ってた」
「――記録があります」
彼女は、束をめくった。
「二十三年前、分家はカラン村に人を送っています。名目は、薬草の買い付けです」
「――二十三年前」
俺は言った。
「俺の親が死んだ年だ」
◇
夜、俺は野帳を開いた。
〈カラン村、九尺×十二尺ノ室ヲ確認〉
〈中央ニ三尺四方ノ蓋。下ニ空洞〉
書いて、その下に足した。
〈杆ハ、コノ室ヲ測ルタメニ作ラレタ〉
◇
そこまで書いて、俺は手を止めた。
――違う。
杆は、この部屋を測るためではない。
この部屋の「下」を測るために作られた。
硝子玉の装置は、暗がりで距離を出す道具だ。
俺は、書いた行を線で消して、書き直した。
〈杆ハ、コノ下ヲ測ルタメニ作ラレタ〉
◇
書き直して、俺はしばらくその行を見ていた。
――親父は、これを知っていたのか。
知っていて、俺に何も言わずに渡したのか。
それとも、親父も知らずに握っていたのか。
どちらでも、話は同じだ。
俺の家は、二つの入口を預かっていた。
サルカドと、ここと。




