三つを並べる
翌日から、卓の上が変わった。
三つの紙束が並んでいる。
一つは、俺の野帳。二十年分の寸法と、五十日分の音の記録。
一つは、セレンの解読。二十年分の分家の記録。
一つは、測量杆の銘を写したもの。
この三つを並べるのは、初めてだった。
◇
「ハルトさん」
「なんだ」
「杆を、貸していただけますか」
俺は、壁に立てかけた杆を取った。
鉄の棒だ。身長より少し長い。先に硝子玉の装置がついている。
石突きの少し上に、細い彫りがある。
二十年、俺はそれを模様だと思っていた。
◇
セレンは、杆を膝に載せた。
灯りを近づけて、指で彫りをなぞる。
なぞって、動きを止めた。
「――これは」
「読めるか」
「読めます」
彼女は言った。
「ですが、私の知っている綴りではありません」
◇
「どう違う」
「私の記録は、三百年前に分家が持ち出した写しです」
彼女は言った。
「これは、それより古い」
「どのくらい」
「分かりません。ですが、字が単純です」
彼女は、彫りの一つを指した。
「文字は、時間が経つと飾りが増えます。これには、飾りがありません」
◇
俺は、その言葉を頭に入れた。
――飾りが増える。
石も同じだ。古い石積みほど、目地が単純になる。
新しいほど、余計な手が入る。
「読んでくれ」
「時間がかかります」
「二年二月ある」
俺は言った。
「今日中に読めとは言わん」
◇
彼女は、三日かけた。
その間、俺は毎日降りた。
毎日、一言ずつ渡した。
「柱」。「刻み」。「数」。
物の名だ。指させるものから渡していった。
指させないものは、まだ渡せない。
「なぜ」も、「いつ」も、指させない。
◇
四日目の朝、セレンが起きて待っていた。
目が赤い。
「読めました」
「――全部か」
「六語です」
彼女は言った。
「杆の銘は、六語の文です」
俺は、卓に着いた。
◇
彼女は、紙を広げた。
六つの区切りに、印がついている。
「一つ目は、名前です。オルソ」
「――前に言ってたやつだ」
「はい」
彼女は言った。
「二つ目は、動詞です。……『作る』か『直す』のどちらかです」
「どっちだ」
「分かりません。同じ形です」
◇
「三つ目は」
「これが、問題です」
彼女は言った。
「地名です。ですが、サルカドではありません」
俺は、顔を上げた。
「別の場所か」
「はい」
「なんという」
「――カランです」
◇
俺は、動きを止めた。
カラン村。
あの村の床に、模様がある。四つ数えたうちの三つ目だ。
カラン草の生える村。ハルマがいる村。
「マリ」
「うん」
「――カラン村だ」
「いった、ことある」
「二度な」
◇
「四つ目と五つ目は、数です」
セレンは続けた。
「二つ並んでいます。……おそらく、寸法か、年です」
「読めるか」
「読めます。ですが、意味が取れません」
彼女は、二つの数を書いた。
俺は、それを見た。
◇
――九と、十二。
俺は、その二つの数を見た。
見て、椅子から立ち上がった。
「ハルトさん」
「――尺だ」
俺は言った。
「九尺かける十二尺。この国の家の、標準の一部屋の寸法だ」
◇
セレンが、紙を見直した。
「家の寸法が、なぜ杆に」
「分からん」
俺は言った。
「だが、この二つが並んで出るのは、家を測るときだけだ」
俺は、杆を見た。
二十年、握ってきた棒だ。
◇
「六つ目は」
「六つ目は、短いです」
彼女は言った。
「一音です。……『為』という意味の語だと思います」
「――ため」
「はい。『〜のために』の『ため』です」
◇
俺は、六つを並べた。
オルソ。作る(直す)。カラン。九。十二。ため。
順を、この言葉の並びに直す。
俺は、紙に書いた。
〈オルソガ、カランノ、九×十二ノ、タメニ、作ッタ〉
◇
部屋が、静かになった。
「――道具だ」
俺は言った。
「これは、道具の銘だ」
「はい」
「オルソという男が」
俺は言った。
「カラン村の、九尺かける十二尺の部屋のために、この杆を作った」
◇
マリが、口を開いた。
「ハルト」
「なんだ」
「へやを、はかるために、つくった」
「そうだ」
「――ひとつの、へや?」
彼女は、紙を指した。
「ひとつの、へやのために、これ、つくったの?」
◇
俺は、その問いに手を止めた。
――そうだ。
おかしい。
部屋を一つ測るのに、杆は要らない。縄でいい。
この杆は、遺跡の深部を測るための道具だ。硝子玉の装置は、暗がりで距離を出すためのものだ。
九尺かける十二尺の部屋なら、腕を伸ばせば届く。
「――道具が、目的に対して大きすぎる」
◇
「どういう意味です」
セレンが訊いた。
「現場ではよくある」
俺は言った。
「大げさな道具を持ってくる奴がいる。理由は二つだ」
俺は、指を折った。
「一つ。素人で、何が要るか分かってない」
「もう一つは」
「――その部屋が、普通の部屋じゃない」
◇
俺は、杆を手に取った。
二十年、握ってきた。
親父から受け取った。親父は、その前の誰かから受け取った。
俺は、この棒がどこで作られたかを、一度も考えたことがなかった。
「セレン」
「はい」
「カラン村へ行く」
◇
「いつです」
「明日だ」
俺は言った。
「床に模様がある。俺は二度見た。二度とも、模様としか思わなかった」
俺は、野帳を開いた。
「今なら、違うものが見えるかもしれん」
◇
支度をしながら、俺はセレンに訊いた。
「あんたはどうする」
「――どう、とは」
「連中は、あんたを探すだろう」
俺は言った。
「二十年分の読み方を持って出た女だ。放っておくわけがない」
彼女は、手を止めた。
「……考えていませんでした」
「学者だな」
「はい」
彼女は言った。
「そこは、私の欄にありませんでした」
◇
俺は、ダウムのところへ行った。
名前は出さなかった。
「客を一人、しばらく置きたい」
「女か」
「――なぜ分かる」
「三日前から、上の部屋に湯呑みが三つ出てる」
彼は言った。
「うちの女中が数えてる」
俺は、この町の情報の速さを、また見誤っていた。
◇
「事情は訊かん」
ダウムは言った。
「訊かんが、一つだけ言っとく」
「なんだ」
「先月から、町に人が増えてる」
彼は帳面を叩いた。
「宿の帳面だ。よそ者の泊まりが、去年の同じ月の三倍ある」
「――三倍」
「商人じゃない」
彼は言った。
「商人は荷を持ってくる。こいつらは、手ぶらで来て、手ぶらで帰る」
◇
俺は、その数字を持って帰った。
三倍。
二年二月後に四十一人を入れるなら、その前に町を調べる。
当たり前の手順だ。俺が向こうなら、そうする。
「セレン」
「はい」
「町に、あんたらの人間が増えてる」
「……はい」
彼女は言った。
「先遣隊の下見だと思います。私が組んだ日程では、この夏から始まる予定でした」
◇
「あんたが組んだのか」
「日程は、私です」
彼女は言った。
「解読と、日程。その二つが私の役目でした」
俺は、彼女を見た。
――そうか。
この女は、四十一人が入る日付まで自分で書いていた。
その紙を持って、逃げてきた。
◇
「セレン」
「はい」
「明日、カラン村へ行く。あんたも来い」
「私が、ですか」
「町にいるより安全だ」
俺は言った。
「それに、床の模様を読める人間が要る」
彼女は、少し目を見開いた。
「……読み手として、扱ってくださるのですか」
「他に何がある」
俺は言った。
「あんたは字が読める。俺は物が測れる。それだけの話だ」
◇
その夜、俺は野帳に書いた。
〈杆ハ、カランノ一室ノタメニ作ラレタ〉
〈九尺×十二尺〉
書いて、その下に足した。
〈道具ガ大キスギル。部屋ノ方ガ異常〉
◇
書いてから、俺はもう一つ思い出した。
カラン村の床の模様は、他のどれより大きくて単純だった。
十八話で、俺はそう書いている。
――大きくて、単純。
セレンは言った。文字は時間が経つと飾りが増える、と。
なら、単純なほうが古い。
俺は、野帳にもう一行足した。
〈カランノ模様ガ、一番古イカモシレナイ〉




