答えを持って降りる
朝、答えは出ていなかった。
俺は寝台に座ったまま、天井を見ていた。
二十年、俺は「なぜ」を訊かれる仕事をしてこなかった。
依頼人が訊くのは「どこが危ないか」「いつ崩れるか」だ。理由は要らない。数字が要る。
だから、答え方を知らない。
◇
土間に降りると、マリがもう起きていた。
卓に紙を広げている。
昨日の二つの句が、大きく書き写してあった。
「ねてないのか」
「ねた。よじかん」
「――足りん」
「たりてる」
彼女は顔も上げなかった。
「ハルト。ひとつ、きづいた」
◇
「言え」
「これ」
彼女は、柱が返した句を指した。
〈シャル・カディ・オム・ネイア〉
「『シャル』と『カディ』、わけてる」
「そうだ」
「セレンさんの、かみに、『シャルカド』って、あった」
彼女は別の紙を引き寄せた。
「『シャル』が、『サル』。……『カド』が、『カド』」
俺は、その二枚を並べた。
◇
――サルカド。
この土地の名だ。
旧市街も、遺跡も、俺の家が代々請け負ってきた区画も、全部その名で呼ばれる。
俺は、その名を四十二年、疑ったことがなかった。
「マリ」
「うん」
「『サル』は、何だ」
「わかんない」
「『カド』は」
「わかんない」
彼女は言った。
「でも、わけられる、ってことは、いみが、ふたつ、ある」
◇
俺は、その一言に手を止めた。
――そうだ。
分けられるということは、二つの意味の合成だということだ。
「サルカド」は一つの名前ではない。二語だ。
俺は野帳を開いた。
〈サル〉+〈カド〉
書いて、その下に書き足した。
〈家ノ名モ、地ノ名モ、後カラ付イタ〉
◇
「ハルト。かおが」
「分かってる」
俺は言った。
「――順が逆だった」
「ぎゃく?」
「俺はずっと、『サルカディア家』が土地の名を名乗ったと思ってた」
俺は立ち上がった。
「違う。逆だ。『サル』と『カド』という言葉が先にあって、そこから土地の名も家の名も出た」
俺は、灯りの消えた炉を見た。
「――千年前の言葉が、まだ地面に残ってる」
◇
その日、俺はギルドへ行った。
ダウムは奥の部屋にいた。
図面の山に埋まっている。
「ハルトか」
「ああ」
「潜ってないな。三日ぶりだ」
「休んでる」
「――嘘だな」
彼は顔も上げずに言った。
「お前が休むときは、道具を磨く。磨いてない手をしてる」
◇
俺は椅子に座った。
「ダウム」
「なんだ」
「一つ訊いていいか」
「金は取る」
「――取れ」
俺は言った。
「あんたは、なぜギルド長をやってる」
彼は、初めて顔を上げた。
「そりゃまた、妙な訊き方だ」
「答えられるか」
◇
ダウムは、筆を置いた。
それから、少し笑った。
「若い頃は、答えられた」
「今は」
「今はな」
彼は椅子に背を預けた。
「今は、答えられん。……だが、やめる理由もない」
「それは、答えになってない」
「なってないな」
彼は言った。
「だが、四十年やってきた男の本当だ」
◇
俺は、その言葉を持って帰った。
持って帰って、卓に置いて、しばらく見ていた。
――やめる理由もない。
それは、俺の答えではない。
俺には、やめる理由がある。荷の底に、その図面が入っている。
持っていて、やめない。
なら、俺の答えは「やめない理由がある」ということだ。
俺は、そこまで書いて筆を止めた。
◇
「マリ」
「うん」
「――答えが出た」
彼女は顔を上げた。
「はやい」
「早くない。二十年かかってる」
俺は野帳を見せた。
一行だけ書いてある。
〈知リタイカラ、デハナイ〉
「ちがうの?」
「違う」
俺は言った。
「知りたいだけなら、二十年も同じ場所に通わん。もっと面白い遺跡はいくらでもある」
◇
「じゃあ、なに」
「――俺は、ここで生まれた」
俺は言った。
「親父が死んだのもここだ。師匠が測ったのもここだ。俺が最初に縄を張ったのもここだ」
俺は、掌を見た。
「あれは、俺の家の仕事だ。誰かが引き継がなきゃならん」
「それ、しごと、でしょ」
「仕事だ」
「りゆう、それだけ?」
「――それだけだ」
俺は言った。
「立派じゃないが、本当だ」
◇
マリは、しばらく俺を見ていた。
それから、頷いた。
「いいと、おもう」
「――そうか」
「うん。ハルト、りっぱなこと、いうと、うそっぽい」
彼女は言った。
俺は、思わず口の端が動いた。
五月半で、この娘は俺の嘘を見分けるようになった。
◇
翌日、俺は降りた。
二百四十歩。柱の前。
マリが灯りを構える。斜め後ろ、少し高く。
俺は息を吸った。
――今日の一言だ。
答えを、四音で伝える手段はない。
だから俺は、こうすることにした。
◇
俺は、荷の底から図面を出した。
柱の前の床に、それを広げた。
崩落の計算が書いてある紙だ。どこを叩けばこの場所が潰れるか、俺が二十年の経験で出した数字だ。
あれには読めない。文字が違う。
それでも、俺は広げた。
「――これを、持ってきていた」
俺は言った。
この国の言葉で。
「あんたを潰すための紙だ」
◇
柱は、光らなかった。
当然だ。俺はまだ句を唱えていない。
俺は、その紙を手に取った。
そして、両手で裂いた。
二つに。四つに。
音が、地下に妙に大きく響いた。
マリが、息を呑む音がした。
◇
俺は、裂いた紙を床に置いた。
置いてから、句を唱えた。
――シャルカディ・オム・ネイア。
柱が、光った。
今度は速かった。
一万の刻みが、端から端まで一度に明るくなった。
これまでで、一番強い光だった。
◇
俺は、その光の中に立っていた。
――見えている。
この五十日、俺は「あれは俺を測っている」と思ってきた。
規則的な入力にしか応えない。数え、比べ、判断している。
なら、今のも見ているはずだ。
紙を裂いた音も、その前に俺が何を持っていたかも。
◇
光が、ゆっくり消えた。
消える直前、柱は一度だけ鳴った。
音は一つ。
――シャル。
それだけだった。
俺は、その一音を野帳に書いた。
書いて、しばらく見ていた。
◇
マリが、俺の横に来た。
裂いた紙を見ている。
「ハルト」
「なんだ」
「それ、ずっと、もってた」
「持ってた」
「なんで、いま、やぶった」
俺は、少し考えた。
「――お前に見せるためだ」
◇
「わたし?」
「そうだ」
俺は言った。
「あれに見せるためじゃない。あれは紙が読めん」
俺は、床の紙片を集めた。
「お前は、俺がこれを持ってるのを知ってた。知ってて、何も言わなかった」
「……いった」
「一度だけな」
俺は言った。
「一度言って、それきり言わなかった。俺が自分で捨てるのを待ってたんだろう」
◇
彼女は、答えなかった。
答えないのが答えだった。
「マリ」
「うん」
「二月、待たせた」
「にかげつ」
「六十二日だ」
俺は言った。
「数えてた。……お前が『もどる』と言ってから、六十二日、俺はこれを持ったままだった」
◇
彼女は、しばらく黙っていた。
それから、こう言った。
「わたしも、かぞえてた」
「――そうか」
「うん。ろくじゅうにち、って、おもってた」
「二日ずれてる」
「ハルトの、ほうが、あってる」
彼女は言った。
「ハルト、そういうの、まちがえない」
◇
俺は、紙片を懐に入れた。
捨てなかった。
裂いたが、捨てはしない。
――ダウムの言った通りだ。
無かったことにはしない。
「マリ」
「うん」
「これは持って帰る。……もう使えん形にしただけだ」
「それで、いい」
彼女は言った。
「つかえない、って、じぶんで、きめたなら、いい」
◇
石段を上がりながら、マリが言った。
「ハルト」
「なんだ」
「あれ、なまえ、よんだ?」
俺は、足を止めた。
――名前。
「サルカド」から「カド」を落とした、前半だけ。
「マリ」
「うん」
「――俺の家の名の、前半だ」
俺は言った。
「あれは今、俺を呼んだのかもしれん」




