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測量士と転移者  作者: ごま


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70/120

本邸

 答えが出たのは、九つ目の綴りだった。


 百二十年前のものではない。


 一番古い、百四十年前の一冊。


 紙が脆すぎて、ダウムが触らせなかったやつだ。


 三日目に、彼が折れた。


「――破いたら、殴るぞ」


「破きません」


「破いたら、殴る」


 彼は二度言った。


    ◇


 その綴りの余白には、ムーの文字が十二行あった。


 これまでで、一番多い。


 セレンは、それを半日で写した。


 写して、読み始めて――途中で手が止まった。


「――ハルトさん」


「なんだ」


「これは、報告書ではありません」


「では」


「――引き継ぎです」


    ◇


 彼女は、一行目を指した。


「『次に来る者へ』」


 彼女は言った。


「そう書いてあります」


 俺は、その行を見た。


 読めない字だ。


 だが、そこにそう書いてあると言われれば、そう見えた。


「読め」


「読みます」


 彼女は言った。


「ただし、十二行のうち、確実なのは七行です」


    ◇


 七行は、こうだった。


 一。この場所を、毎年測ること。


 二。数は、書き継ぐこと。


 三。門は、開けないこと。


 四。句は、日に一度を超えないこと。


 五。(読めず)


 六。下から音があれば、書き留めること。


 七。(読めず)


 俺は、その七行を見ていた。


 ――門番の覚え書きと、同じだ。


 地下で見つけた、あの紙と。


    ◇


「セレン」


「はい」


「――これは、同じ文書の写しか」


「いいえ」


 彼女は言った。


「書き方が違います。……こちらのほうが、新しい」


 彼女は言った。


「地下の紙が元で、これはその要約です。……代を継ぐ時に、書き直したのでしょう」


 俺は頷いた。


「残りの五行は」


「一つだけ、読めます」


 彼女は、下から二行目を指した。


「――ここです」


    ◇


 彼女は、その行を紙に書き写した。


 音に直して、俺に見せた。


 俺は、それを読んだ。


 途中まで読んで、手が止まった。


 ――サルカド。


 その音が、入っている。


 そして、その隣に、もう一つ。


 ――サルカディア。


    ◇


「セレン」


「はい」


「――二つ、入ってる」


「はい」


「サルカドと、サルカディア」


「はい」


 彼女は言った。


「別の語として、並んでいます」


 彼女は、その二つを指した。


「同じ語根ですが、形が違う。……片方は場所、片方は」


 彼女は、そこで言葉を止めた。


 止めて、俺を見た。


「――人、あるいは家です」


    ◇


 俺は、その行を、しばらく見ていた。


「読め」


「順に読みます」


 彼女は言った。


「主語が『サルカディア』。……つまり、あなたの家です」


「うん」


「次が、場所を示す語。『サルカドの』」


「うん」


「その次が、名詞です」


 彼女は言った。


「これが、読めませんでした」


    ◇


「今は」


「今は、読めます」


 彼女は言った。


「二十八種が揃ったので」


 彼女は、その名詞を書いた。


 四つの音。


 俺は、それを見た。


「――何と読む」


「音は出ます」


 彼女は言った。


「意味は、我々の側にも残っています。……分家の詠唱に、この語が二度出ます」


 彼女は、俺を見た。


 目が、初めて揺れていた。


「――『番人』です」


    ◇


 俺は、動かなかった。


「――サルカディア家は、サルカドの番人である」


 セレンは、そう読んだ。


 部屋が、静かになった。


 マリが、俺の顔を見ていた。


 ダウムが、扉のところで足を止めていた。


 俺は、しばらく何も言えなかった。


    ◇


 ――番人。


 二月前、俺は地下でそう書いた。


 〈うちの家は、門の脇に住んでたんだ〉


 あれは、俺の推測だった。


 根拠は、階段の幅と、扉の開く向きだけだった。


 今、それが文字で出た。


 百四十年前の誰かが、次に来る者へ、そう書き残していた。


    ◇


「セレン」


「はい」


「――残りの四行は」


「読めません」


 彼女は言った。


「ですが、この行の直前に、一つだけ読める語があります」


 彼女は、その上の行を指した。


「――『初めより』」


 俺は、その言葉を飲み込んだ。


「初めより、サルカディア家は、サルカドの番人である」


 俺は、そう読んだ。


「――初めって、いつだ」


    ◇


 その日、俺はサルカドへ戻らなかった。


 ギルドの上の部屋で、荷を全部出した。


 野帳。図面。杆。狐。


 それに、あの紙。


 人型標の回廊を落とす計算が入った、三日かけて描いた紙。


 俺は、それを卓に広げた。


    ◇


 ――潰す。


 二月前、俺はそう決めた。


 理由は、はっきりしていた。


 あれがある限り、誰かが取りに来る。取りに来れば、誰かが死ぬ。


 だから、なくす。


 その理屈は、今も間違っていない。


 ――だが。


 俺の家は、初めから、あれの番人だった。


 千年、あるいはもっと前から。


    ◇


 俺は、その紙を持ったまま、動かなかった。


 ――番人が、門を潰す。


 それは、何だ。


 仕事を辞めるのとは違う。


 辞めるなら、誰かに渡せばいい。


 潰すというのは、渡す相手ごとなくすということだ。


 百四十年前の誰かが「次に来る者へ」と書いた。


 その次の次の次が、俺だ。


    ◇


「マリ」


「うん」


「――親父は、これを知ってたか」


 彼女は、しばらく考えた。


「わからない」


「――そうだな」


「でも」


 彼女は言った。


「おとうさん、まいとし、いってた。ハルトも、いってる」


 彼女は言った。


「しらなくても、やってた」


    ◇


 俺は、その言葉に打たれた。


 ――そうだ。


 俺の家は、意味を知らないまま、千年やってきた。


 句の意味を知らない。番人だと知らない。


 知らないまま、毎年降りて、寸法を測って、〈相違無シ〉と書いてきた。


 ――そして、俺の代で、意味が分かった。


 分かった俺が、最初に考えたのが、潰すことだった。


    ◇


 俺は、卓の紙を見た。


 三日かけて描いた線。


 どこを叩けば、どこまで落ちるか。


 ――捨てるか。


 ダウムは、捨てるなと言った。


 持っておけ。たまに見ろ。見て、今日は違うと思えるうちは大丈夫だ、と。


 俺は、その紙を畳んだ。


 畳んで、荷の底に戻した。


 ――捨てない。


 だが、上には置かない。


    ◇


 その夜、俺は野帳を開いた。


 新しい頁に、こう書いた。


 〈サルカディア家、初メヨリ、サルカドノ番人ナリ〉


 書いて、その下に、自分の言葉で足した。


 〈俺ハ、番人ノ家ノ人間デアル。二十年、知ラズニ番ヲシテイタ〉


 書いて、しばらく見た。


 それから、もう一行足した。


 〈知ッタ以上、辞メルカ続ケルカハ、俺ガ決メル〉


    ◇


 書き終えて、俺は筆を置いた。


「マリ」


「うん」


「――俺は、続けると思う」


「うん」


「潰すのは、やめる」


 俺は言った。


「――ほんとうに」


「たぶんな」


 俺は正直に言った。


「たぶん、だ。……明日また変わるかもしれん」


 彼女は頷いた。


「わかった」


「――怒らないのか」


「おこらない」


 彼女は言った。


「ハルト、いま、じぶんで、いってる」


 彼女は言った。


「まえは、いわなかった」


    ◇


 俺は、その違いを、しばらく考えていた。


 ――そうだ。


 二月前、俺は黙って決めた。


 黙って図面を引いて、黙って荷の底に入れた。


 今日、俺は口に出している。


 迷っていることも、変わるかもしれないことも。


 ――言葉にすると、少し軽くなる。


 軽くなった分だけ、俺はまだ、こちら側にいる。


    ◇


 灯りを落とす前に、マリが言った。


「ハルト」


「なんだ」


「――『ばんにん』って、あっちにも、いた」


 俺は、顔を上げた。


「あの、はしらの、むこう」


 彼女は言った。


「ハルト、あのとき、いった。『もんは、りょうがわから、まもるもの』って」


 俺は、その言葉を思い出した。


 二十日前に、自分で言った言葉だ。


「――ああ」


「じゃあ」


 彼女は言った。


「あっちの、ばんにんも、しらないまま、やってる、かも」


    ◇


 俺は、暗がりでその可能性を考えた。


 ――千年、意味も知らずに。


 誰も来ない門の、向こう側で。


 毎日、決まったことをして。


 こちらが五十日通って、初めて返事を返した相手。


「マリ」


「うん」


「――明日、降りる」


「うん」


「訊きたいことができた」


 俺は言った。


「あんたは、なぜそこにいるのか、と」

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