セレンの解読
六十三日目、俺は町へ戻った。
理由は二つ。
一つは、四十三の区切りだ。
俺とマリでは、これを解けない。
もう一つは、骨のそばで拾った図面を、渡すためだった。
◇
レイヴは、ギルドの前にいた。
この二月、彼はずっとメルシアにいる。
俺が入っている間は、サルカドの石段の前で待ち、俺が上がってくると、町まで送ってくる。
守ると言った通りに、守っている。
「――ご無事で」
「無事だ」
「今日は、何日ぶりで」
「十三日」
「長い」
彼は言った。
「そろそろ、様子を見に行くか迷っておりました」
◇
俺は、荷から紙の束を出した。
湿気で貼りついていたのを、丁寧に剥がしたやつだ。
「これを渡す」
レイヴは、受け取った。
受け取って、一枚目を見て――動きが止まった。
「――これは」
「あんたのところの、三人だ」
俺は言った。
「縁の際に、三体あった。骨だ。……荷物と一緒に」
◇
レイヴは、しばらく何も言わなかった。
紙を持つ手が、少しずつ下がっていった。
「……三人」
「外傷はない」
俺は言った。
「骨は折れてない。水も油も残ってた。……何かに斃されたんじゃない」
「では」
「分からん」
俺は正直に言った。
「分からんが、あんたらの記録では十七人だ。残りの十四人も、たぶんどこかにいる」
◇
レイヴは、紙をもう一枚めくった。
震えた線の図面だ。
彼は、それを長いこと見ていた。
「……下手ですね」
彼は言った。
声が、いつもと違った。
「下手だ」
俺は言った。
「歩数も角度も取ってない。……だが、描いてある」
「――ええ」
「最後まで描いてる」
俺は言った。
「それは、腕とは別の話だ」
◇
レイヴは、紙を胸に抱えた。
抱えて、そのまま少し俯いた。
俺は、何も言わなかった。
やがて、彼は顔を上げた。
目が赤い。
「――ハルトさん」
「なんだ」
「三百年で、十七人です」
彼は言った。
「十七人とも、名を持たずに死にました。我々は名を捨てた者の集まりですから」
彼は紙を見た。
「ですが、この図面には、線があります」
彼は言った。
「この線の引き方は、この人にしか引けない」
◇
俺は、その言葉を、しばらく飲み込んでいた。
――そうだ。
図面には、癖が出る。
百年ぶんのサルカドの綴りを見れば分かる。几帳面な字、雑な字、線の細い字。
名前がなくても、線がある。
「レイヴ」
「はい」
「――その三人の線は、ちゃんと違うか」
彼は、三枚を並べた。
並べて、しばらく見た。
「……違います」
彼は言った。
「一人は、円を最初に描いています。一人は、縁から。もう一人は――階段からです」
◇
俺は頷いた。
「なら、三人だ」
俺は言った。
「三人が、別々にそこへ行って、別々に描いた。……それは、記録になる」
レイヴは、頷いた。
頷いて、それから、深く頭を下げた。
「――ありがとうございます」
「礼を言われる筋合いはない」
「いえ」
彼は言った。
「あなたが測量士でなければ、あれはただの紙屑でした」
◇
セレンは、ギルドの上の部屋にいた。
俺の部屋だ。
ダウムが許可を出したらしい。卓の上が、紙で埋まっている。
二月前に渡した二十八種の写しが、そこら中に貼られていた。
「――勝手に使ってるな」
「使わせていただいております」
彼女は顔も上げなかった。
「進んだか」
「進みました」
彼女は言った。
「三百年ぶんが、二月で」
◇
俺は、四十三の区切りを渡した。
マリが写した、線と間の表だ。
セレンは、それを見て――手を止めた。
「……これは」
「音だ」
俺は言った。
「柱が返してきた。長さと間だけ写してある」
彼女は、しばらくそれを見ていた。
それから、二十八種の表を引き寄せた。
二つを並べる。
◇
「――ハルトさん」
「なんだ」
「これは、音の並びですね」
「そうだ」
「文字の並びも、二十八種あります」
彼女は、両方を指した。
「もし、この二十八種が音を表す字なら」
彼女は言った。
「この音の並びを、この字に置き換えられる」
◇
俺は、その意味を飲み込むのに、少し時間がかかった。
「――逆から解けるのか」
「解けます」
彼女は言った。
「音は、あなたが持ってきた。字は、我々が三百年持っていた」
彼女は、初めて顔を上げた。
「片方だけでは、どちらも読めません」
◇
その日から、三日かかった。
俺は測量の頭で、彼女は文献の頭で、同じ表を睨んだ。
マリが数を数えた。
三日目の夜、セレンが筆を置いた。
「――出ました」
彼女の声は、掠れていた。
「何が」
「対応です」
彼女は言った。
「二十八のうち、十九が確定しました。残り九は、候補が二つずつ」
◇
俺は、その表を見た。
左に音。右に字。
十九行が、線で結ばれている。
「――読めるのか」
「短い語なら」
彼女は言った。
「試しましょう」
彼女は、新しい紙を引き寄せた。
そして、扉に彫ってあった四文字を書いた。
サ、ル、カ、ド。
◇
「これは、地名として既に分かっています」
彼女は言った。
「では、こちらを」
彼女は、俺の句を書いた。
四つの区切り。シャル、カディ、オム、ネイア。
書いて――彼女の手が、止まった。
「……ハルトさん」
「なんだ」
「最初の二つが」
彼女は、二つの表を指した。
「サルカドと、同じ字です」
◇
俺は、その紙を見た。
サ、ル、カ、ド。
シャル、カディ。
――同じ字が、並んでいる。
「……同じ言葉か」
「同じ語根です」
セレンは言った。
「訛りの範囲です。三百年、口で伝えれば、これくらいは変わります」
彼女は言った。
「あなたの句の前半は、この土地の名です」
◇
俺は、椅子にもたれた。
――地名だ。
二十四年、意味も知らずに唱えてきた言葉の、前半分が。
俺が二十年通っている場所の名前だった。
「セレン」
「はい」
「後半は」
「――まだです」
彼女は言った。
「オム、ネイア。……この二つの音に対応する字は、候補が二つずつ残っています」
彼女は表を指した。
「四通りの読み方があります。そのうち三つは、言葉として成立しません」
「残り一つは」
「動詞です」
彼女は言った。
「動詞であることは、間違いありません」
◇
俺は、そこで身を起こした。
「――どういう動詞だ」
「分かりません」
彼女は言った。
「意味を確定するには、同じ動詞が使われている別の文が要ります」
彼女は俺を見た。
「一つでは、読めません。……二つあれば、比べられます」
俺は、四十三の区切りの表を見た。
「これは」
「長すぎます」
彼女は言った。
「四十三です。短い語がどこで切れるかが分からない」
◇
俺は、しばらく考えた。
――もう一つ、要る。
同じ動詞が入った、短い文。
どこにある。
俺は、荷を漁った。
漁って、手が止まった。
――杆の柄だ。
五つの形が、九回。
俺は、それを卓に置いた。
「セレン」
「はい」
「――これを読め」
◇
彼女は、杆を受け取った。
受け取って、灯りに近づけて、柄の銘を見た。
しばらく、動かなかった。
それから、顔を上げた。
「ハルトさん」
「なんだ」
「――これは、いつからお持ちですか」
「師匠の形見だ。二十三年前から」
「その前は」
「知らん」
彼女は、銘をもう一度見た。
「――九つの音のうち、四つが、あなたの句と同じです」
彼女は言った。
「同じ動詞が、入っています」
◇
その夜、俺たちは三人で卓を囲んだ。
俺と、マリと、セレン。
卓の上に、三つ並べた。
一つ、俺の句。四つの音。
二つ、杆の銘。九つの音。
三つ、扉の四文字。
三つを、セレンが字に置き換えていく。
◇
「――前半は、地名です」
彼女は言った。
「サルカド。あるいは、シャルカド。同じ語です」
彼女は、二つ目を指した。
「杆の銘の、五番目から八番目。ここに、同じ動詞が入っています」
「――その前は」
「名前です」
彼女は言った。
「人の名です。……そう読めます」
俺は、身を乗り出した。
「誰の」
「読めません」
彼女は言った。
「音は出ます。ですが、それが誰かは、我々には分かりません」
◇
「音だけでいい」
俺は言った。
「言ってくれ」
セレンは、少し迷ってから、口に出した。
「――オルソ」
部屋が、静かになった。
俺は、動かなかった。
マリが、俺の顔を見た。
◇
「……オルソ」
俺は、その音を繰り返した。
「――ご存じですね」
セレンが言った。
「知ってる」
俺は言った。
「街道で、あんたらの団長に呼ばれた」
「レイヴが」
「オルソ・サルカディア、と」
◇
セレンは、しばらく黙っていた。
それから、杆をもう一度見た。
「……ハルトさん」
「なんだ」
「これは、道具に彫った名ではありません」
彼女は言った。
「名と、動詞と、地名が並んでいます」
彼女は、指で三つを示した。
「――これは、文です」
◇
俺は、その杆を見た。
二十年、握ってきた。
柄の傷は、掌の形に馴染んでいる。
その柄に、文が彫ってある。
名前と、動詞と、この土地の名前が。
「セレン」
「はい」
「――誰が彫った」
「分かりません」
「いつ」
「――分かりません」
彼女は言った。
「ですが、一つだけ言えます」
彼女は、俺を見た。
「これを彫った人は、あなたの家の言葉を、正しく書ける人でした」
◇
俺は、その言葉を飲み込むのに、しばらくかかった。
――正しく書ける人。
俺の家は、口で伝えてきた。
三百年、いや千年、口だけで。
書けなかったから、訛った。
その言葉を、文字で正しく彫った誰かがいる。
「マリ」
「うん」
「――俺の杆は、いつからうちにある」
「しらない」
彼女は言った。
「でも」
彼女は、少し考えた。
「ししょうの、まえも、あったかも」
◇
俺は、その可能性を、初めて考えた。
師匠の形見だと思っていた。
だが、師匠は俺の家の遠縁だ。
その師匠も、誰かから受け取ったかもしれない。
――百年ぶんの図面と、同じだ。
誰かが引き継いで、引き継いで、俺のところに来ている。
誰も、何も言わずに。
「――セレン」
「はい」
「動詞の意味は、いつ出る」
「もう一つ、文が要ります」
彼女は言った。
「短い文が。……同じ動詞の入った、別の文が」
彼女は俺を見た。
「あの柱に、訊けませんか」




