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測量士と転移者  作者: ごま


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65/120

番人

 五十日目、俺たちは階段を降りた。


 規則は三つ。縄、灯り、歩数。全部マリが数える。


 それに、四つ目を足した。


 ――「戻る」は、マリが言う。


 野帳に書いて、二人で確かめた。


    ◇


 二十八段の先は、まだ階段だった。


 五十段。八十段。


 百二十段で、踊り場に出た。


 台座が二つ。何も載っていない。


 俺は、そこで一度止まった。


「マリ。数は」


「かいだん、ひゃくにじゅう。なわ、まだ、ある」


「灯りは」


「ふたつ、ついてる」


 俺は頷いた。


「――続ける」


「うん」


    ◇


 二百段を過ぎたあたりで、空気が変わった。


 温かい。


 地の底で温かいのは、おかしい。


 俺は、壁に手を当てた。


 ――こちらも、温かい。


 人肌より、少し低い程度。


 あの床と、同じだ。


    ◇


 二百四十段で、階段が終わった。


 平らな床に出る。


 そして、そこは――明るかった。


 薄い。青みがかっている。


 灯りが要らないほどではない。だが、灯りを消しても、輪郭は見える。


 俺は、灯りを一つ落とした。


 油を節約するためだ。


 落として、その光の中に立った。


    ◇


 広い。


 だが、あの穴ほどではない。


 差し渡し、百歩ほど。天井は高い。


 そして、真ん中に、柱があった。


 いや――柱ではない。


 太い。差し渡し二十歩はある。


 床から天井まで、まっすぐ立っている。


 表面は滑らかで、継ぎ目がない。


 その表面全体に、模様が走っていた。


    ◇


 同心円と、枝分かれする線。


 だが、これまで見たどれとも違った。


 大きさが違う。


 柱の全面に、同じ模様が、大小さまざまに彫られている。


 小さいものは掌ほど。大きいものは、人の背丈より大きい。


 それが、隙間なく重なっている。


 そして、その全部が、薄く光っていた。


 ――呼吸している。


 ゆっくり明るくなって、ゆっくり暗くなる。


 狐と、同じ速さで。


    ◇


「ハルト」


 マリの声が、掠れていた。


「――ああ」


「これ」


「――ああ」


 俺は、野帳を開いた。


 開いて、手が止まった。


 ――何を書く。


 寸法を書く。それが仕事だ。


 だが、目の前のものは、寸法で書けるものではない気がした。


 俺は、それでも書いた。


 〈中央ニ柱状体。差シ渡シ約二十歩。全面ニ模様。発光ス〉


 書いて、少し楽になった。


    ◇


「マリ。歩数を」


「にひゃくよんじゅうだん。それから、じゅうごほ」


「縄は」


「――あと、すこし」


 俺は頷いた。


「縄が尽きたら、そこまでだ」


「うん」


 俺は、柱のほうへ歩いた。


 二十歩で、縄が張った。


 俺は足を止めた。


 柱までは、まだ三十歩ある。


    ◇


 その時だった。


 ――音がした。


 柱の向こうから。


 低い。区切りがある。抑揚がある。


 ――知っている音だ。


 毎朝、俺が聞いている返事の音。


 俺は、動かなかった。


 動けなかった。


    ◇


 音は、続いた。


 四つの区切り。長い、短い、短い、長い。


 ――俺の句だ。


 向こうが、俺の句を唱えている。


 正しい形で。


 俺は、口を開いた。


 開いて、閉じた。


 今日の句は、朝に使っていない。


 ――使える。


 俺は、息を吸った。


    ◇


「――シャル・カディ・オム・ネイア」


 向こうの言い方で、唱えた。


 柱の光が、強くなった。


 一瞬だけ。


 それから、音が返ってきた。


 長い。


 これまでで一番、長かった。


 十を超える区切り。


 俺は、それを聞き取ろうとした。


 聞き取れなかった。


    ◇


 だが、その中に、二つだけ分かるものがあった。


 一つは、俺の句の四つの区切り。


 もう一つは――


 ――サルカド。


 昨日、扉に彫ってあった四文字。


 その四つの音が、確かに入っていた。


「マリ」


「――きいた」


「サルカドと言った」


「いった」


 彼女は言った。


「ハルトの、くにの、ことば、じゃない。……でも、サルカド」


    ◇


 俺は、その場に膝をついた。


 膝をついたのは、敬意ではない。


 立っていられなかった。


 ――通じている。


 五十日、俺は音を交換してきた。


 意味の分からない音を、規則正しく。


 今、向こうは、俺の知っている言葉を使った。


 地名だ。この場所の名だ。


 俺が二十年、毎年通ってきた場所の名を。


    ◇


「――俺は」


 俺は、口を開いた。


 この国の言葉で。


「俺は、ハルトだ」


 通じるはずがない。


 通じるはずがないが、言った。


「測量士だ。……この上を、二十年測ってる」


 声が、震えていた。


「うちの家が、百年やってる。その前も、たぶん、誰かがやってる」


 俺は、柱を見た。


「――あんたは、誰だ」


    ◇


 返事は、なかった。


 しばらく、何もなかった。


 柱の光が、ゆっくり明滅していた。


 やがて、音がした。


 短い。


 二つの区切り。


 ――何を言っても同じ返事が返る、あの音だ。


 俺は、その音を聞いた。


「――分からない、か」


 俺は言った。


「そうだろうな」


 俺は、少し笑った。


 笑って、それから、少しだけ悔しかった。


    ◇


 その時、光が変わった。


 柱の模様のうち、一つだけが強く光った。


 人の背丈より大きい、一番大きな模様だ。


 俺は、そちらを見た。


 光は、点滅した。


 三度。


 それから、消えた。


 しばらくして、また三度。


    ◇


「ハルト」


「――数えてる」


 俺は言った。


「三度。間を空けて、また三度」


「なに、それ」


「――合図だ」


 俺は野帳を開いた。


「意味は分からん。だが、これは繰り返してる」


 俺は書いた。


 〈三度点滅。間ヲ置キ、再ビ三度〉


 書きながら、俺は一つのことを考えていた。


 ――三は、何だ。


 三日か。三度か。三人か。


    ◇


「マリ」


「うん」


「――縄が尽きてる」


「うん」


「規則だ。ここまでだ」


 俺は立ち上がった。


 立ち上がってから、動けなかった。


 目の前に、答えがある。


 あと三十歩で、触れる。


「ハルト」


 マリの声がした。


 いつもより、はっきりしていた。


「――もどる」


    ◇


 俺は、しばらく動かなかった。


 動かずに、柱を見ていた。


 ――あと三十歩。


 縄を解けば、行ける。


 解いて、三十歩歩いて、触れて、戻ってくればいい。


 それだけのことだ。


「ハルト」


 もう一度、声がした。


 俺は、目を閉じた。


 閉じて、開けた。


「――戻る」


 俺は言った。


 言って、背を向けた。


 背を向けるのに、思ったより力が要った。


    ◇


 階段を上がりながら、俺は野帳に書いた。


 〈縄尽キ、退去。柱ニ触レズ〉


 書いて、その下に一行足した。


 〈マリガ「戻ル」ト言ッタ。従ッタ〉


 書きながら、俺は自分の手が震えているのに気づいた。


 ――守れた。


 昨日、書いた約束を、今日、守れた。


 それだけのことに、これほど力が要るとは思っていなかった。


    ◇


 二百四十段を上がりきったところで、マリが言った。


「ハルト」


「なんだ」


「――ありがとう」


 俺は、振り返った。


「何がだ」


「もどってくれた」


 彼女は言った。


「わたし、いって、ハルトが、いかない、かもしれない、っておもった」


 俺は、その言葉を飲み込んだ。


「……次も、言え」


 俺は言った。


「言われたら、戻る」


「ハルト」


「なんだ」


「――こんどは、もうすこし、さきまで、いける、かも」


 彼女は言った。


「なわ、ながいの、かえば、いい」


 俺は、思わず笑った。


 この娘は、止めた次の呼吸で、次の準備を考えている。


    ◇


 その夜、俺は円の広間で野帳を開いた。


 書き足すことが多すぎて、どこから書くか迷った。


 迷った末に、まず数字を書いた。


 〈階段二百四十段。踊リ場一。蹴上ゲ六寸、踏面一尺一寸、幅十二尺〉


 〈下ノ間、差シ渡シ約百歩。中央ニ柱状体、差シ渡シ約二十歩〉


 〈壁・床、温シ。人肌ヨリ低シ〉


 〈自然光ニアラズ。柱ノ発光ニヨル〉


 ここまでは、寸法だ。


 書ける。


    ◇


 その先が、書けなかった。


 ――向こうは、俺の句を正しく言った。


 ――「サルカド」と言った。


 この二つを、どう書く。


 寸法ではない。


 だが、書かないわけにいかない。


 俺は、少し考えて、こう書いた。


 〈柱ノ向コウヨリ応答。当方ノ句ヲ正シキ形デ復唱。及ビ「サルカド」ノ音ヲ含ム〉


 書いて、その下に足した。


 〈意味、不明。但シ、当方ノ言葉ヲ知ル者ガ居ル〉


    ◇


 書き終えて、俺は筆を置いた。


「マリ」


「うん」


「――番人だな」


「ばんにん」


「門番の、向こう側だ」


 俺は言った。


「うちの家が門番なら、あっちにも門番がいる。……当たり前の話だ」


 俺は野帳を見た。


「門は、両側から守るものだ」


    ◇


 マリは、しばらく考えていた。


「じゃあ」


「なんだ」


「――ハルトと、おなじ、しごと?」


 俺は、手を止めた。


 ――同じ仕事。


 毎日、決まった場所に立って、決まったことをする。


 意味は分からないまま。


 誰も来ないまま。


 千年。


「……そうかもしれん」


 俺は言った。


「なら」


 マリは言った。


「あのひとも、ずっと、ひとり?」


 俺は、答えられなかった。


 答えられずに、灯りを見た。


    ◇


 その夜、俺は荷の底の図面を出した。


 人型標の回廊を落とす計算が入った、あの紙だ。


 出して、しばらく見た。


 ――潰せば、あれも埋まる。


 千年、あそこに立っていたものが。


 俺は、その紙を持ったまま、動かなかった。


 破らなかった。


 だが、初めて、破ろうかと思った。

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