十七人
四十五日目、俺は縁に沿って歩いた。
入るのではない。縁を測るのだ。
差し渡し八百五十歩と出したのは、三十歩ぶんの角度から計算した数字だ。
計算は、確かめないと数字にならない。
俺は、縁の全周を歩くことにした。
◇
二千七百歩の見込みだった。
実際は、二千六百四十歩だった。
俺の計算より、二十歩ぶん小さい。
――誤差、〇・七分。
悪くない。
二十年やってきた腕の値だ。
誰も褒めない。俺も褒めない。ただ、そこにある数字だ。
◇
全周を歩く間に、二つ見つけた。
一つ目は、階段だった。
縁の一点から、下へ降りている。
幅は十二尺。あの表の階段と同じだ。
――下へ続いている。
灯りを向けても、十段ほどで見えなくなる。
俺は、その段の蹴上げを測った。
六寸。
◇
二つ目は、その階段の脇にあった。
最初は、荷物だと思った。
布の塊が、縁の際に寄せてある。
近づいて、灯りを当てて――俺は足を止めた。
骨だった。
◇
三人ぶん、あった。
布は、服だ。すっかり色が落ちて、触ると崩れた。
骨は、乾いていた。
俺は、しばらくそれを見ていた。
「ハルト」
後ろで、マリが息を呑む音がした。
「――見なくていい」
「みる」
彼女は言った。
「わたし、みる」
◇
俺は、屈んで検めた。
こういう時、俺は測量士に戻る。
感情を止めて、数字を取る。
そうしないと、手が動かない。
三体。全部、大人。
外傷は、見当たらない。骨が折れていない。
――斃されたんじゃない。
俺は、その意味を考えた。
斃されたなら、骨が壊れる。あの脚六本のやつは、体当たりで来る。
この三人は、壊れていない。
◇
俺は、周りを照らした。
服の残骸のそばに、金具があった。
留め具だ。外套のものだろう。
俺は、それを拾って灯りに当てた。
――模様がある。
同心円ではない。
細い線が、星のように放射している。
俺は、それを知っていた。
――観星卿団の外套の、襟元の刺繍だ。
◇
「マリ」
「うん」
「――レイヴのところの連中だ」
彼女は、しばらく黙っていた。
「じゅうしちにん」
彼女は言った。
「三百年で、十七人試して、十七人戻らなかった」
俺は言った。
「レイヴが、そう言ってた」
俺は骨を見た。
「――ここに三人。残りも、たぶんどこかにいる」
◇
俺は、その場をもう一度よく調べた。
荷物が、残っていた。
革の袋。中身は、水の革袋と、油と、紙の束。
紙は、湿気で貼りついていたが、剥がせるものが数枚あった。
俺は、慎重にそれを開いた。
――図面だった。
下手な図面だ。
線が震えている。寸法が入っていない。方位もない。
だが、描いてあるのは、この場所だった。
円と、縁と、階段。
◇
俺は、その紙をしばらく見ていた。
「マリ」
「うん」
「――こいつらは、ここまで来た」
俺は言った。
「来て、測ろうとした」
俺は紙を指した。
「測り方を知らないまま、測ろうとしてる」
俺は、その震えた線を指でなぞった。
「歩数を数えてない。角度も取ってない。……見たままを描いてる」
俺は紙を置いた。
「それでも、描いた」
◇
俺は、荷の底から自分の図面を出した。
三日かけて描いた、あの紙だ。
人型標の回廊を落とす計算が入っている。
俺は、その二枚を並べた。
俺の図面と、死んだ男の図面。
――同じことをしている。
どちらも、ここへ来て、測ろうとした。
違うのは、腕だけだ。
◇
「ハルト」
「――ああ」
「なにか、いった?」
「いや」
俺は、二枚を畳んだ。
畳んで、自分の図面のほうを見た。
――こいつらは、潰しに来たんじゃない。
紙に、そういう線が一本もない。
どこが弱いか。どこを叩けば崩れるか。
そういうことを考えた人間の図面には、必ず印が入る。
この図面には、印がない。
ただ、形を写そうとしているだけだ。
◇
俺は、しばらく動かなかった。
――見に来たんだ。
三百年待った組織が、十七人送り出して、十七人とも戻らなかった。
その三人が、ここで、震える手で図面を描いていた。
死ぬと分かっていたかどうかは、分からない。
だが、最後まで描いていた。
俺は、その図面を、自分の荷に入れた。
「持って帰る」
「レイヴさんに?」
「渡す」
俺は言った。
「三百年ぶんの答えだ。……あいつらのものだ」
◇
骨は、そのままにした。
運べない。運ぶ道具もない。
俺は、その場に石を三つ積んだ。
この国では、それが目印になる。墓標の代わりだ。
積んでから、俺は少し迷った。
――唱えるか。
今日の句は、朝に使った。
二度目は、駄目だ。
俺は、しばらく立っていた。
立って、それから、この国の言葉で言った。
「――先に来てたな」
それだけ言って、俺は立ち上がった。
◇
帰り道、マリが訊いた。
「ハルト」
「なんだ」
「あのひとたち、なんで、しんだ?」
「――分からん」
「けが、なかった」
「なかった」
「じゃあ」
彼女は、少し考えた。
「みずと、あぶら、のこってた」
俺は、足を止めた。
――そうだ。
水も油も、袋に残っていた。
尽きて死んだのではない。
◇
「マリ」
「うん」
「――お前、それに気づいてたのか」
「みてた」
彼女は言った。
「わたし、こわかった。……でも、みてた」
俺は、その言葉を飲み込んだ。
――四月半前、この娘は俺の後ろに隠れていた。
今は、骨のそばで荷物の中身を数えている。
俺が教えたのは、測り方だ。
それだけだったはずだ。
◇
その夜、俺は野帳に書いた。
〈骨三体。外傷無シ。水・油、残存〉
〈斃サレタノデハナイ〉
書いて、その下に、書くかどうか迷ってから、書いた。
〈死因不明。……戻ラナカッタ、ノデハナク、戻ラナカッタノカ〉
書いた文が、自分でもよく分からなかった。
だが、そう書きたかった。
俺は、灯りを落とした。
落としながら、あの震えた線の図面を、もう一度思い出していた。
◇
翌朝、俺はもう一度あの場所へ行った。
骨を掘り返すためではない。
階段を測るためだ。
昨日は、骨に気を取られて測っていない。
――測っていないものは、無いのと同じだ。
俺はそう教わって、二十年それでやってきた。
◇
階段は、下へ二十八段まで灯りが届いた。
その先は見えない。
俺は、段の寸法を全部取った。
蹴上げ六寸、踏み面一尺一寸。二十八段とも同じ。
幅、十二尺。
両脇に、台座の跡がある。
――表の階段と、同じ作りだ。
俺は、その意味を考えた。
六十段の階段の下に、扉があった。地下から地上へ出る門だ。
ここにも、同じ作りの階段がある。
――もう一つ、下がある。
◇
俺は、階段の一段目に足を置いた。
置いて、そこで止まった。
――窪みがない。
サルカドの石段の一段目には、窪みがある。百年ぶんの誰かが立った跡だ。
この段には、それがない。
誰も、ここで立ち止まらなかった。
あの三人も、たぶん、ここまでは来た。
来て、降りなかった。
◇
「マリ」
「うん」
「――降りるか」
彼女は、しばらく黙っていた。
「きょう?」
「いや」
俺は言った。
「今日は測るだけだ。……だが、いつか降りる」
「うん」
「その時は、また規則を決める」
俺は野帳を開いた。
「縄。灯り。歩数。三つとも、お前が数える」
彼女は頷いた。
頷いてから、こう言った。
「ハルト」
「なんだ」
「――こんど、いちばん、こわいのは、なんだとおもう」
俺は、少し考えた。
「――あの脚六本のやつだ」
「ちがう」
彼女は言った。
「ハルトが、もどるって、いわないこと」
◇
俺は、答えられなかった。
答えられずに、階段を見下ろした。
二十八段の先は、暗い。
――行きたい。
それだけは、はっきりしていた。
この五月で、俺の中で一番はっきりしているのが、それだった。
「マリ」
「うん」
「――お前が『戻る』と言ったら、戻る」
俺は言った。
「俺が何と言おうと、戻る」
「ほんとうに」
「決めた」
俺は野帳に、それを書いた。
書いて、彼女に見せた。
〈「戻ル」ハ、マリガ言ウ。俺ハ従ウ〉
書いた字を、彼女はしばらく見ていた。
「よめる」
「そうだろうな」
「――これ、まもれる?」
「守る」
俺は言った。
「守れなかったら、その時は、俺はもう測量士じゃない」




