↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
測量士と転移者  作者: ごま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
61/120

一日一言

 俺たちは、サルカドに住むことにした。


 正確には、円の広間に荷を降ろして、そこを拠点にした。


 家が焼けたので、戻る場所がない。ギルドの上の部屋はあるが、往復に半日かかる。


 ――ここで寝たほうが、早い。


 そう言った時、マリは何も言わなかった。


 何も言わずに、自分の毛布を広げた。


    ◇


 二日目の朝、俺は狭い部屋へ降りた。


 開口部は、開いたままだった。


 置いた石も、動いていない。


 俺は、その前に立って、野帳を開いた。


 今日の欄は、空白だ。


 ――一度だけ。


 俺は息を吸って、唱えた。


 ――シャルカディ・オム・ネイア。


    ◇


 返事は、すぐに来た。


 四つの区切り。


 最初が長く、次が短く、三つ目が短く、最後が長い。


 だが、少し違った。


 昨日より、ゆっくりだった。


 ――繰り返してくれている。


 そう感じた。


 俺は、その音を頭の中で三度なぞった。


 なぞって、野帳に書いた。


 書いたのは、文字ではない。


 線の長さと、間の空きだ。長い線、短い線、短い線、長い線。その間に、どれだけ空くか。


 ――測量と同じだ。


 意味は分からなくていい。まず、寸法を取る。


    ◇


 三日目。


 俺は、昨日聞いた通りに唱えてみた。


 自分の癖ではなく、向こうの言い方で。


 ――シャル・カディ・オム・ネイア。


 区切りを、少し変えた。


 返事があった。


 今度は、短かった。


 二つの区切り。


 俺は、それを書いた。


    ◇


「ハルト」


 その晩、マリが訊いた。


「いま、なにしてるの」


「――辞書を作ってる」


「じしょ」


「そうだ」


 俺は野帳を見せた。


 線と、空きと、日付が並んでいる。


「毎日、一言。向こうが返す。……それを全部書く」


「どのくらい、かかる」


「分からん」


 俺は正直に言った。


「だが、二百日あれば二百言だ」


 俺は野帳を閉じた。


「二百言あれば、規則が見える」


    ◇


 マリは、しばらく黙っていた。


 それから、こう訊いた。


「ハルト」


「なんだ」


「――つぶすのに、じしょ、いる?」


 俺は、手を止めた。


 止めて、答えなかった。


 答えられなかった。


 ――要らない。


 潰すだけなら、辞書は要らない。


 どこを叩けば崩れるかは、もう出ている。図面に線を引いてある。


 なのに、俺は毎朝ここへ降りて、一言唱えて、返事を書き取っている。


「……分からん」


 俺は言った。


「分からんが、やってる」


 マリは、頷いた。


 それ以上、訊かなかった。


    ◇


 十日目、俺は気づいた。


 同じ返事が、三度来た。


 一日目、四日目、九日目。


 どれも、二つの区切り。短い、短い。


 俺は、その三日に自分が何を言ったかを見返した。


 ――違う。


 一日目は、いつもの句。四日目は、向こうの言い方を真似た句。九日目は、区切りを一つ抜いた句。


 三つとも違うことを言って、返事は同じ。


「マリ」


「うん」


「同じ返事が三度来た」


「なんて」


「分からん。だが、三度とも同じだ」


 俺は野帳を見せた。


「――何を言っても、同じ返事が返る言葉ってのは、何だと思う」


 マリは、少し考えた。


「……『はい』?」


「そうかもしれん」


 俺は言った。


「あるいは、『分からない』だ」


    ◇


 その考えは、俺を少し暗くさせた。


 ――向こうも、分かっていないのかもしれない。


 俺が意味の分からない音を唱えて、向こうが「分からない」と返している。


 それを二十日続けている。


 二人とも分からないまま、規則正しく音を交換している。


「マリ」


「うん」


「――間抜けな話だ」


「なんで」


「向こうも分かってないかもしれん」


 俺は言った。


「なら、これは会話じゃない。ただの、音の往復だ」


 マリは、しばらく黙っていた。


 それから、こう言った。


「わたしと、おなじ」


 俺は顔を上げた。


「さいしょ、ハルト、なにか、いった。わたし、まねした」


 彼女は言った。


「いみ、しらない。おとだけ」


 彼女は、自分の口を指した。


「でも、いまは、はなしてる」


    ◇


 俺は、その言葉を、しばらく飲み込んでいた。


 ――そうだ。


 四月半前、俺とこの娘は、まったく同じことをしていた。


 意味の分からない音を交換して、絵を描いて、指を差して。


 あれを会話ではないと言うなら、俺たちは今もまだ、他人だ。


「マリ」


「うん」


「――続ける」


「うん」


「二百日でも、三百日でも」


 俺は野帳を開いた。


 開いて、その日の欄に線を引いた。


 ――十日目。句、一度。


    ◇


 だが、その夜、俺は別の紙も開いた。


 サルカドの図面だ。


 人型標の回廊。その真上の、旧市街の廃邸三軒。


 どこを抜けば、どこまで落ちるか。


 俺は、その計算を三度やった。


 三度とも、同じ答えが出た。


 ――消していない。


 毎日、辞書を作りながら、俺はこの紙も持ち歩いている。


 捨てていない。


 破ってもいない。


 俺は、しばらくその紙を見ていた。


 見て、また畳んで、荷の底に入れた。


 ――まだ、決めていない。


 そう自分に言った。


 言うたびに、その言葉が薄くなっていくのが分かった。


    ◇


 十四日目、コトリが動いた。


 布に包んで、荷の一番上に入れてある。


 あれ以来、一度も光っていない。


 その夜、包みの中で、かたり、と音がした。


 俺は起き上がった。


 布を開ける。


 狐は、そのままの姿勢で転がっていた。


 だが――背中の模様の、一番内側が。


 薄く、光っていた。


    ◇


 消えなかった。


 いつもは一秒か二秒で消える。


 今度は、消えなかった。


 ゆっくり明るくなって、ゆっくり暗くなって、また明るくなる。


 息をしているようだった。


「ハルト」


 マリが、隣で起き上がっていた。


「――見てる」


 俺は言った。


 俺たちは、しばらくそれを見ていた。


 狐は、二十数える間、光り続けた。


 それから、ふっと消えた。


 二度と光らなかった。


    ◇


 俺は、野帳にそれを書いた。


 〈十四日目ノ夜、狐、光ル。約二十数エル間〉


 書いて、しばらく考えた。


 ――なぜ今日だ。


 昨日でも、明日でもなく。


 今日、この場所で。


 俺は、荷の中を見た。


 狐。水。食料。図面。野帳。


 ――何も変わっていない。


 変わったのは、場所でも物でもない。


 変わったのは、深さだ。


 俺たちは今、円の広間にいる。


 地上から、四層下。


「マリ」


「うん」


「――こいつは、近づくと光るんじゃない」


 俺は狐を持ち上げた。


「近くに、何かが来ると光るんだ」


    ◇


 マリが、狐を覗き込んだ。


「なにが、くる」


「――分からん」


「でも、きた」


「来たか、通ったかだ」


 俺は狐を布に戻した。


「こいつは、たぶん、見張り番の一部だ」


 俺は言った。


「壊れて、棄てられて、拾われて、直された。……本来の仕事は、何かを知らせることだったんだろう」


「だれに」


「――それだ」


 俺は手を止めた。


 知らせる相手が、いる。


 千年、この狐は誰かに知らせるために作られて、誰にも知らせないまま転がっていた。


 俺が直したせいで、また知らせ始めた。


「マリ」


「うん」


「――俺は、たぶん、余計なことをした」


 彼女は、しばらく黙っていた。


「なおしたこと?」


「そうだ」


「わたしは」


 彼女は言った。


「なおして、よかった、とおもう」


「なぜ」


「だって」


 彼女は狐を見た。


「こわれたまま、ずっと、ここに、あった」


 彼女は言った。


「だれも、しらない、まま」


    ◇


 俺は、その夜も眠れなかった。


 考えていたのは、狐のことではない。


 ――知らせる相手が、いる。


 その相手が、あの暗がりの向こうにいるなら。


 あれは、俺が毎朝一言だけ交わしている相手だ。


 だとしたら。


 ――俺が来たことは、とっくに知られている。


 二十日、俺は毎朝挨拶をしている。


 挨拶をしながら、荷の底に、この場所を潰す図面を入れている。


 俺は、暗がりのほうを見た。


 見えるはずがない。ここは広間で、あれは二層下だ。


 それでも、見た。


    ◇


 二十一日目、俺は規則を破りかけた。


 朝、一度唱えて、返事を書いた。


 書いて、荷を担いで上がろうとして――足が止まった。


 もう一度、唱えたくなった。


 理由は、はっきりしている。


 昨日の返事が、いつもと違ったからだ。


 三つの区切り。長い、長い、短い。


 初めて聞く形だった。


 ――もう一度、同じことを言えば、もう一度返るかもしれない。


 俺は、口を開いた。


 開いて、閉じた。


 ――日に一度。


 三百年前の門番が書いた規則だ。


 守る理由は、俺には分からない。回数に限りがあると書いてあっただけだ。


 分からない規則を、分からないまま守る。


 ――俺の家は、それを千年やってきた。


 俺は梯子に手をかけた。


 かけて、しばらく動かなかった。


「ハルト」


 上から、マリの声がした。


「――上がる」


 俺は言った。


 言って、上がった。


 上がりながら、指が震えているのに気づいた。


 欲しかった。


 もう一言が、欲しかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。