潰す
ゼルの弔いは、三日後だった。
身寄りがないので、商売仲間が三人と、俺と、マリだけだった。
情報屋の弔いに来る人間は、少ない。
来れば、その男と繋がりがあったと知られるからだ。
――そういう商売だ。
俺は、そう思った。
思って、それが言い訳だと分かっていた。
◇
弔いの帰り、俺は市場を通った。
ゼルが立っていた路地の前を、通った。
石畳に、まだ跡が残っていた。
水で流したのだろうが、目地に染みている。
俺は、その前で足を止めた。
しゃがんで、目地の幅を測った。
――癖だ。
測って、何になるわけでもない。
だが、測らずにいられなかった。
◇
その夜、俺は宿の卓に紙を広げた。
ダウムが手配した、ギルドの上の部屋だ。
家が焼けたので、当面はここに住む。
俺は、紙に書き出した。
これまでにやってきたことだ。
一。模様のある場所を数えた。四つが、十一になった。
二。文字を集めた。二十一種が、二十八種になった。
三。句の使用回数を数え始めた。
四。星の周期を計算した。八年三月後。
――全部、数えている。
俺は、その四行を見た。
◇
この四月半、俺は数え続けてきた。
数えて、何が起きたか。
――家が焼けた。
――ゼルが死んだ。
――北の古物商が死んだ。
――二十四年前、両親が死んだ。
俺は、その四つを書き足した。
書き足して、二つの列を並べた。
左に、俺が数えたもの。
右に、死んだ者。
俺は、その二列を、長いこと見ていた。
◇
「――繋がってる」
俺は言った。
「なにが」
マリが、卓の向こうから顔を上げた。
「全部だ」
俺は左の列を指した。
「模様。文字。句。星」
次に、右の列を指した。
「両親。古物商。ゼル」
俺は、二列の間に線を引いた。
「全部、同じものに繋がってる」
俺は言った。
「サルカドの、下にあるものだ」
◇
マリは、しばらく黙っていた。
それから、慎重に訊いた。
「それ、しってた」
「知ってた」
「じゃあ、なにが、あたらしい」
俺は、筆を置いた。
「――順番だ」
「じゅんばん」
「今まで、俺はこう考えてた」
俺は言った。
「あれを狙う奴らが悪い。だから、奴らを止めればいい」
「うん」
「――違う」
俺は言った。
「三百年、誰も止まらなかった」
◇
俺は、立ち上がった。
「観星卿団は、三百年待ってる。名を持たない連中は、三百年削り続けてる」
俺は、部屋の中を歩いた。
「王国は、それで滅んだ。俺の家は、それで焼かれた。ゼルは、それで刺された」
俺は、足を止めた。
「――三百年だ」
俺は言った。
「三百年、誰も止まらなかった。これから止まると思うか」
マリは、答えなかった。
「止まらん」
俺は言った。
「あそこに、あれがある限り、誰かが取りに来る」
◇
「じゃあ」
マリが、静かに訊いた。
「どうする」
俺は、卓の紙を見た。
二列の間に引いた線を見た。
――答えは、簡単だった。
簡単すぎて、二十年やってきた仕事の中で、一番簡単だった。
問題があって、原因が一つに絞れるなら。
原因を、なくせばいい。
「――潰す」
俺は言った。
◇
部屋が、静かになった。
マリは、動かなかった。
「つぶす」
彼女は、繰り返した。
「そうだ」
「なにを」
「あれを、だ」
俺は言った。
「サルカドの下にあるもの。門。機構。何と呼ぶかは知らん」
俺は、掌を見た。
「あれを潰す。二度と開かないようにする」
俺は顔を上げた。
「そうすれば、誰も取りに来ない。……誰も死なない」
◇
マリは、しばらく俺を見ていた。
長い時間だった。
やがて、彼女は口を開いた。
「ハルト」
「なんだ」
「わたし、かえれない」
俺は、動きを止めた。
「――」
「あれ、つぶしたら」
彼女は言った。
「わたし、かえれない」
◇
俺は、口を開いた。
開いて、言葉が出てこなかった。
――考えていなかった。
いや。
考えていた。
考えていて、後回しにしていた。
二列の紙を作った時、俺の頭にはもう「潰す」があった。
その時、この娘のことは、勘定に入れていなかった。
「マリ」
「うん」
「――八年後だ」
俺は言った。
「八年、待てるか」
「え」
「八年待てば、大きい重なりが来る。……その時に、帰す」
俺は言った。
「帰した後で、潰す」
◇
マリの顔が、変わった。
俺は、その変化を、正確には読めなかった。
怒っているのでもない。
悲しんでいるのでもない。
――もっと静かな、別のものだった。
「ハルト」
「なんだ」
「いま、きめた?」
「――何を」
「わたしを、はちねん、ここに、おいて」
彼女は言った。
「それから、かえして、それから、つぶす」
彼女は、俺を見た。
「いま、ぜんぶ、きめた?」
◇
俺は、答えられなかった。
――決めた。
三呼吸で決めた。
この娘の八年を、三呼吸で。
「マリ」
「うん」
「……そうだ」
俺は言った。
「決めた」
彼女は頷いた。
怒らなかった。
怒らないのが、一番こたえた。
「ハルト」
「なんだ」
「まえに、いった」
彼女は言った。
「『かえるか、かえらないか、わたしが、きめる』って」
「――言った」
「ハルト、『わかってる』って、いった」
彼女は言った。
「あれ、ふつかまえ」
◇
俺は、野帳を開いた。
開いて、あの行を見た。
〈選ブノハ、マリ〉
二日前に、俺が自分で書いた行だ。
書いた時、俺はこう思った。
――俺は、守るために勝手に決める男だ。だから書いておく。
書いておいて、二日で破った。
俺は、その行をしばらく見ていた。
見て、閉じた。
「――悪かった」
俺は言った。
「うん」
「決めるのは、お前だ」
「うん」
マリは頷いた。
頷いて、それから、こう言った。
「でも、ハルト」
「なんだ」
「――もう、きめてる、かおしてる」
◇
俺は、答えなかった。
答えられなかった。
この娘の言う通りだった。
謝った。決めるのはお前だと言った。
言いながら、頭の中では、もう次のことを考えていた。
――どうやって潰すか。
石を落とすか。水を入れるか。天井を抜くか。
二十年、俺は崩落を測ってきた。
どこを叩けば崩れるかを、俺は誰よりも知っている。
――知っている。
それが、この四月半で一番、俺を怖がらせた事実だった。
◇
その夜、マリは早く休んだ。
背を向けて、丸くなった。
――眠っていない。
息の仕方で分かる。
四月半前と、同じだ。
あの時、俺は「お前には関係ない」と言った。
四日かけて、言い直した。
――今度は、何日かかる。
俺は、灯りを消さなかった。
消さずに、卓の紙を見ていた。
二列の間に引いた、一本の線を。
◇
――言い直せばいい。
そう思った。
立ち上がって、肩を叩いて、「さっきのは違う」と言えばいい。
簡単なことだ。
簡単なことが、できなかった。
前と、同じだ。
だが、前とは一つ違うことがある。
――前は、言い直すべきだと分かっていた。
今は、分かっていない。
俺は、自分が間違ったとは思っていない。
言い方は間違えた。順番も間違えた。
だが、結論は間違えていない。
あれを潰せば、誰も死なない。
――それは、正しい。
正しいものを、なぜ言い直す。
俺は、その考えを、頭の中で何度も回した。
回すたびに、少しずつ、硬くなっていくのが分かった。
◇
夜が明ける前に、俺は一つだけ決めた。
――確かめる。
図面の上で「潰せる」と出しただけだ。
現場を見ていない。
現場を見ずに結論を出すのは、素人だ。
俺は、そう自分に言った。
言って、少しだけ楽になった。
――まだ、決めていない。
確かめてから決める。
それは、二十年やってきた手順だ。
手順を踏んでいる限り、俺はまだ、まともなつもりでいられた。
朝、マリが起きた時、俺は荷を作っていた。
彼女は、それを見て、何も言わなかった。
何も言わずに、自分の荷を引き寄せた。




