重なる夜の計算
九日目の朝――と、俺が決めた時刻に――マリが紙を並べていた。
俺が起きた時には、もう三枚広げていた。
「早いな」
「ねてない」
「――寝ろ」
「あとで」
彼女は顔も上げなかった。
この顔をしている時のこの娘は、止めても無駄だ。
四月で、それは学んだ。
◇
「ハルト。みて」
俺は横に座った。
三枚あった。
一枚目は、星表の写しだ。ドルスが十日で写した、二百年ぶんのやつ。
二枚目は、神隠しの年表。五十六件。
三枚目は――
「これ、なんだ」
「かけざん」
彼女は言った。
「〈杯〉と〈環〉と〈天秤〉。まわる、はやさ、ちがう」
彼女は指で示した。
「〈環〉、さんねん。〈天秤〉、いちねんはん。〈杯〉、ななねんと、すこし」
「そうだ」
「みっつが、おなじ、ほうこうに、くるの、じゅういちねんと、さんげつ」
「ドルスがそう言ってた」
「でも」
彼女は顔を上げた。
「それ、みっつ、だけ」
◇
俺は、その言葉の意味を、少し遅れて理解した。
「――他にも星がある」
「ある」
マリは星表を指した。
「ドルスさんの、ひょう。ほし、じゅうろく、かいてある」
「十六」
「みっつだけ、みた。……のこり、じゅうさん、みてない」
俺は、星表を引き寄せた。
――そうだ。
俺たちは、十一年という数字が先にあった。
だから、十一年で寄る組み合わせを探した。
探して、見つけて、そこで止めた。
「――探し方が、逆だったか」
「ぎゃく」
彼女は頷いた。
「じゅういちねん、さがした。……じゅういちねん、みつけた。あたりまえ」
◇
俺は、その通りだと思った。
答えを決めてから探せば、答えは出る。
二十年、俺はそれを何度も見た。
崩落の原因を先に決めて調べる奴は、必ずその原因を見つける。
見つけて、外す。
「じゃあ、どうする」
「ぜんぶ、やる」
マリは言った。
「じゅうろくの、ほし。ぜんぶの、くみあわせ」
「――何通りある」
彼女は、少し考えた。
「ふたつずつ、なら、ひゃくにじゅう」
「三つずつなら」
「ごひゃくろくじゅう」
彼女は即答した。
俺は、その速さに驚いた。
「――計算したのか」
「けいさん、した」
彼女はあっさり言った。
「ねてないの、それ」
◇
その日、俺たちは丸一日、数字を出した。
俺が周期を割り、マリが表に落とす。
五百六十通り。
多くは、意味のない数字になった。
四年と七月。九年と二月。二十三年。
人が消える周期とは、合わない。
だが、夕方に、一つ出た。
◇
「――ハルト」
マリの声が、変だった。
「なんだ」
「これ」
彼女は、一行を指した。
五つの星の組み合わせだった。
周期は――
俺は、その数字を読んだ。
読んで、二度読み直した。
「……百三十二年」
「ひゃくさんじゅうに」
「十一年の、十二倍だ」
俺は言った。
マリが頷いた。
「じゅういちねんの、なかで、いちばん、おおきいの」
彼女は言った。
「じゅうにかいに、いっかい。……ぜんぶ、そろう」
◇
俺は、年表を引き寄せた。
五十六件の記録。百四十年ぶん。
十一年ごとに跳ねている。
――百三十二年に一度なら、この百四十年の中に一回だけ入る。
俺は、探した。
あった。
一番古い記録の、少し後。
その年だけ、件数が異常に多い。
他の跳ねる年が三件から五件。
その年は――
「……十九件」
俺は言った。
◇
「じゅうきゅう」
「十九人だ」
俺は年表を叩いた。
「一年で、十九人消えてる」
俺は、その行を指でなぞった。
「他の年の、四倍だ」
「ハルト」
「――ああ」
「つぎは、いつ」
俺は、計算した。
百三十二年前に、それが起きた。
次は、百三十二年後。
俺は、指を折った。
折って、止まった。
◇
――近い。
「ハルト」
「……八年だ」
俺は言った。
「はちねん」
「今から、八年後」
俺は野帳に書いた。
「いや――」
俺は、書いた数字を見直した。
「八年と、三月」
◇
部屋が、静かになった。
灯りが、じりじり鳴っていた。
「ハルト」
マリの声は、落ち着いていた。
落ち着きすぎていた。
「はちねん、ある」
「ある」
「わたし、はちねん、まつ?」
俺は、答えられなかった。
――八年。
この娘は、十九だ。
八年後は、二十七になる。
俺は四十二だ。
八年、この娘は帰らずにここにいる。
「……分からん」
俺は言った。
「小さい重なりは十一年ごとだ。次は――」
俺は年表を見た。
「三年後だ。三年後に、十一年の周期が来る」
「それ、ちいさい」
「小さい」
俺は言った。
「小さいのが、帰るのに足りるかどうかは、分からん」
◇
マリは、しばらく紙を見ていた。
それから、こう言った。
「ハルト」
「なんだ」
「わたし、いま、ちょっと、ほっとした」
俺は顔を上げた。
「――ほっとした?」
「うん」
彼女は、少し困った顔をした。
「わるい?」
「いや」
「はちねん、あるって、きいて。……あ、まだ、いていい、って、おもった」
彼女は、紙を揃えた。
「それ、わるい、きがする」
「――悪くない」
俺は言った。
「悪くない。だが」
俺は、そこで言葉を選んだ。
「八年は、長い」
「ながい」
「その間に、いろいろ変わる」
俺は言った。
「俺は死ぬかもしれん。お前も変わる。……八年後に、まだ帰りたいかどうかも、分からん」
マリは、俺を見ていた。
「だから」
俺は続けた。
「三年後を狙う」
◇
「三年後の小さい重なりで、帰れるかどうかを確かめる」
俺は言った。
「確かめて、駄目なら八年後に賭ける。……その時は、五年ぶんの準備ができてる」
マリは、頷いた。
頷いてから、こう言った。
「ハルト」
「なんだ」
「わたしが、きめる」
俺は、動きを止めた。
「かえるか、かえらないか」
彼女は言った。
「それ、わたしが、きめる。……ハルトが、きめない」
俺は、その言葉を、しばらく飲み込んでいた。
「――分かってる」
「うん」
「いま、俺が『三年後を狙う』と言った」
「いった」
「あれは、決めたんじゃない。……道を出しただけだ」
俺は言った。
「どれを行くかは、お前が決める」
マリは、しばらく俺を見ていた。
それから、頷いた。
「うん」
彼女は言った。
「それなら、いい」
◇
その夜、俺は野帳に書いた。
〈次ノ大重ナリ、八年三月後。小重ナリ、三年後〉
書いて、その下に、もう一行足した。
〈選ブノハ、マリ〉
書いてから、しばらくその行を見ていた。
――なぜ書いた。
誰に読ませるつもりでもない。
だが、書いておかないと、いつか忘れる気がした。
俺は、そういう男だ。
守るために、勝手に決める。
――前に一度、やった。
「お前には関係ない」と言った夜だ。
あの時は、四日かけて言い直した。
次にやったら、四日で済むとは限らない。
だから、書いた。
◇
書いてから、俺はもう一つ考えていた。
――八年三月後。
レイヴたちは、何かを待っている。三百年待っている。
あの連中も、星を読む。
なら、同じ日を知っているはずだ。
俺たちが昨日出した数字を、向こうは三百年前から持っている可能性がある。
――だとしたら。
連中が今、急に動き出した理由が変わる。
「削るものが尽きた」と、あの男は言った。
三百年ぶんの面を、十年で使い切ったと。
――間に合わせようとしている。
八年三月後に間に合わせるために、この十年で無理をした。
無理をして、材料が尽きた。
だから、鍵を取りに来た。
「マリ」
「うん」
「――向こうにも、締切がある」
「しめきり」
「八年三月後だ。……向こうも、同じ日を目指してる」
俺は野帳を開いた。
「なら、これから八年、連中は必死になる」
俺は、その意味を口に出した。
「――だんだん、乱暴になるってことだ」




