数えなかった者たち
八日目、俺は部屋の残りを全部さらった。
棚の上二段が空だった理由も、床を見て分かった。
埃の積もり方が違う。
棚の下に、埃の薄い長方形がいくつもある。
――物が置いてあった跡だ。
置いてあって、後から持ち去られた。
持ち去った時期は、埃の厚みから推定できる。
俺は測った。
◇
「――四十年から五十年前だ」
「そんなの、わかるの」
「積もる速さが分かれば、割り算だ」
俺は言った。
「この部屋は密閉されてる。風がない。埃は上から落ちるぶんだけだ」
俺は、床の三か所で厚みを測った。
「元の床の埃が、四分。持ち去られた跡の埃が、一分弱」
俺は野帳に書いた。
「千年で四分積もるなら、一分は二百五十年だ。……だが、この部屋は後から作ってる。積もり始めたのは部屋を作った後だ」
「じゃあ」
「部屋が四百年前なら、四分は四百年ぶん。一分は――」
俺は計算した。
「――百年」
言ってから、自分の計算を疑った。
◇
俺は、もう一度測った。
同じだった。
「……百年前だ」
俺は言った。
「もっていったの、ひゃくねんまえ」
「そうなる」
俺は野帳を閉じた。
「連中じゃない」
「――え」
「三百年前に分かれた側なら、持っていくなら三百年前だ」
俺は言った。
「百年前ってのは、中途半端すぎる」
俺は、部屋を見回した。
「――誰かが、百年前にここへ来て、上二段だけ持っていった」
◇
百年前。
俺は、その数字を頭の中で回した。
ギルドの綴りは、百二十年前のものだった。基準線のない図面。
俺の家が引き継ぐ前の図面だ。
そして、消えた〈下〉の綴りは、四十二年前に棚から消えている。
――繋がらない。
百年前、百二十年前、四十二年前。
三つとも、噛み合わない。
「マリ」
「うん」
「数字が三つある。全部ばらばらだ」
俺は言った。
「こういう時、どうすると思う」
「……ほかの、すうじを、さがす?」
「そうだ」
俺は頷いた。
「三点でばらけたら、四点目を探す。……それでもばらけたら、俺の見立てが間違ってる」
◇
四点目は、その日の午後に出た。
部屋の隅、床の目地に、小さな金属片が挟まっていた。
俺は錐で掻き出した。
――留め具だ。
箱か、綴りの背に使うやつ。
俺はそれを灯りにかざした。
そして、動きを止めた。
――模様がある。
同心円ではない。
もっと単純な、二重の輪。
その中に、線が一本。
これは、知っている。
「マリ」
「うん」
「――ギルドの紋だ」
◇
俺は、その留め具を掌に載せた。
「測量士ギルドの紋章だ。看板にも、書付にも入ってる」
「……なんで、ここに」
「ギルドの綴りが、ここにあったからだ」
俺は言った。
「棚の上二段は、ギルドの書庫の綴りが置いてあった」
俺は立ち上がった。
「――逆だ」
「ぎゃく?」
「持っていったんじゃない」
俺は言った。
「持ってきたんだ。誰かが、ギルドの書庫からここへ運んだ」
◇
俺は、その順序を頭の中で組み直した。
ギルドの書庫に、綴りが二冊あった。〈上〉と〈下〉。
四十二年前、〈下〉が消えた。
――ここへ運ばれた。
そして、その後で、誰かがここから持ち出した。
埃の測定では、百年前。
だが、四十二年前に消えたものが百年前に持ち出されるわけがない。
――俺の測定が間違ってる。
俺は、もう一度、埃を測った。
三度目だ。
同じ値だった。
値は間違っていない。
なら――前提が間違っている。
◇
「マリ」
「うん」
「この部屋は、密閉されてない」
俺は言った。
「――え」
「風がある。どこかに」
俺は灯りを寝かせた。
炎を細くして、床に近づける。
部屋の中央。動かない。
東の壁際。動かない。
北の壁際――
炎が、傾いた。
◇
俺は、その壁の前に膝をついた。
目地に、指を這わせる。
――隙間がある。
髪の毛ほどだが、確かに開いている。
風が来ている。
風が来ているなら、埃も動く。
動く場所の埃は、薄くなる。
――だから、俺の計算は短く出た。
実際は、もっと古い。
どのくらい古いかは、風の量が分からないと出せない。
「……百年じゃない」
俺は言った。
「もっと前だ」
◇
俺は、その壁を叩いた。
軽い。
――四度目だ。
サルカドは、四度塞がれている。
「マリ」
「うん」
「ここ、抜くぞ」
「まだ、ぬく?」
「抜く」
俺は鶴嘴を取った。
「――ハルト」
「なんだ」
彼女は、少し迷ってから言った。
「くち、へってる」
俺は、手を止めた。
「……ああ」
「きょう、ひとつ。……いち」
彼女は、俺の野帳を指した。
「かぞえてる」
◇
俺は、鶴嘴を下ろした。
――そうだ。
この先に、また扉があるかもしれない。
あれば、唱えることになる。
今日はもう、一度使っている。
「――明日にする」
俺は言った。
「うん」
「日に一度だ。守る」
俺は野帳を開いて、今日の欄に線を引いた。
一。
それだけだ。
たった一本の線を引くのに、妙な緊張があった。
◇
その夜、マリが言った。
「ハルト」
「なんだ」
「わたし、かんがえた」
「なんだ」
「もし、のこりが、すくなかったら」
彼女は、灯りを見ていた。
「あと、じゅっかい、とか」
「――そうだな」
「そしたら、なにに、つかう」
俺は、答えられなかった。
「わたし、かえる、とき、つかう?」
彼女は言った。
「それとも、ハルト、たすかる、とき、つかう?」
俺は、灯りを見た。
「……両方だ」
俺は言った。
「両方使う。足りなければ、足りるようにする」
「どうやって」
「分からん」
俺は正直に言った。
「分からんが、俺は測量士だ」
俺は野帳を叩いた。
「足りない時に、どこを削れば足りるかを出すのが仕事だ」
マリは、しばらく黙っていた。
それから、小さく笑った。
「――それ、たよりに、なるの、ならない、の」
「なる」
俺は言った。
「たいていは、なる」
◇
その夜、俺は野帳に、別の表を作った。
〈句ヲ使ッタ者〉
分かる範囲で、名前を並べる。
俺。二十年、毎日。数えていない。
親父。何年やったかは分からない。
師匠。――使っていない。
俺は、そこで手を止めた。
師匠は、句を知らなかった。
あの人は俺を引き取って、測量を教えて、星の見方を教えた。
だが、句は教えなかった。
教えられなかったのだ。あの人は遠縁で、血が薄い。
――だとすると。
二十四年前から二十三年前までの一年。
俺の記憶がない一年。
あの一年、俺は誰といた。
師匠が引き取ったのは、その翌年だ。
「マリ」
「うん」
「――一年、抜けてる」
「なにが」
「俺の記憶だ」
俺は言った。
「十で親が死んで、十一で師匠に引き取られた。その間の一年が、まるごとない」
彼女は、起き上がった。
「いちねん」
「一年だ」
「――どこに、いた」
「分からん」
俺は言った。
「分からんが、一つだけ言える」
俺は野帳を叩いた。
「その一年、俺は句を忘れなかった」
◇
そこが、おかしい。
十の子どもが、家を焼かれて、親を失って、一年どこかにいた。
その一年で、意味も分からない四つの音を、忘れなかった。
――誰かが、忘れさせなかった。
誰かが、その一年、俺に唱えさせ続けた。
俺は、その考えに行き着いて、動けなくなった。
「ハルト」
「――ああ」
「かおが」
「分かってる」
俺は言った。
「顔に出てる」
俺は、灯りを見た。
「――誰かが、俺を教育した」
俺は言った。
「一年かけて。……それから、師匠に渡した」




