守っていたもの
扉の先は、部屋だった。
広くはない。三十歩四方ほど。
だが、造りが違った。
これまでの通路は、全部が同じ規格だった。四尺五寸、八尺二寸、六寸。
この部屋は、そのどれにも合わない。
――後から作った。
俺は、その結論を先に出した。
◇
根拠は、床だ。
継ぎ目がある。
石を敷いてある。目地に指がかかる。
この深さで、初めて見る「人が積んだ床」だった。
壁も同じだ。
継ぎ目のない元の壁の上に、石を積み足してある。
部屋を、後から仕切った跡だ。
「マリ」
「うん」
「この部屋は、遺跡より新しい」
「どのくらい」
「――分からん」
俺は目地を削って、粉を見た。
「だが、遺跡が千年なら、これは数百年だ」
俺は立ち上がった。
「誰かが、門の内側に、後から部屋を作った」
◇
部屋の奥に、棚があった。
石を組んだ、簡素な棚。
三段。
上の二段は、空だった。
一番下に、箱が一つ残っていた。
俺は、しばらくそれを見ていた。
「――開けるぞ」
「うん」
俺は、刷毛で埃を払った。
木の箱だ。鉄の帯で補強してある。
鍵は、なかった。
蓋を持ち上げると、乾いた音がして開いた。
◇
中身は、紙束だった。
俺は、慎重に一枚持ち上げた。
脆い。触れた端が、粉になって落ちた。
「マリ。板を出せ」
彼女が野帳の裏板を出した。
俺は、その上に紙を移した。
――読める。
この国の字だ。
古い書き方だが、読める。
俺は、最初の一行を読んだ。
◇
〈門番ノ覚〉
――そう書いてあった。
俺は、その四文字を、しばらく見ていた。
「なんて、かいてある」
「――『門番の覚え書き』だ」
俺は言った。
「たぶん、引き継ぎのための書き付けだな」
俺は、次の行を読んだ。
〈一、門ハ開ケズ。上ヨリノ求メニモ応ゼズ〉
〈二、下ヨリノ音アラバ、書キ留メ、答エズ〉
〈三、句ハ日ニ一度ヲ超エズ〉
俺は、そこで手を止めた。
◇
「――三つ目だ」
俺は言った。
「なに」
「『句は、日に一度を超えず』」
俺は読み上げた。
「一日に、一度より多く唱えるな、と書いてある」
マリが、身を乗り出した。
「なんで」
俺は、次の行を探した。
あった。
〈句ハ日ニ一度ヲ超エズ。超ユレバ減ル〉
――減る。
セレンの言った言葉が、ここにあった。
三百年前の本家の者が言い残した、という言葉が。
◇
俺は、さらに読んだ。
だが、そこから先は、はっきりしなかった。
紙が欠けている。虫が食っている。
読めたのは、断片だけだ。
〈……ノ数ハ限リ有リ。使エバ戻ラズ〉
〈…者ノ代ニ、既ニ半バヲ……〉
〈残リヲ数エ、書キ継グベシ。子ニ伝……〉
俺は、その断片を書き写した。
書き写しながら、手が冷たくなっていくのが分かった。
◇
「マリ」
「うん」
「――限りがある、と書いてある」
「かぎり」
「回数だ」
俺は言った。
「句を使える回数に、限りがある。使えば戻らない」
俺は、自分の口に手を当てた。
「そして、『既に半ばを』と書いてある。三百年前の時点で、半分使ってる」
◇
俺は、その場に座り込んだ。
――数えていない。
俺は、二十年、毎日唱えている。
仕事に入る前に、一度。
危ないと思ったら、もう一度。
――一日に、二度も三度も唱えた日がある。
サルカドに入る時。カラン村で。ヌイ村の墓の前で。
墓の前でも唱えた。
あれは、遺跡ですらない。
「……阿呆だ」
俺は言った。
「なんで」
「俺は、二十年、意味も知らずに使い潰してた」
俺は野帳を握った。
「親父は、知らなかったのか」
◇
――いや。
俺は、そこで止まった。
親父は、知っていたかもしれない。
知っていて、俺には言わなかった。
俺が笑ったからだ。
うちは昔、王の家だった、と言われて、行商の家だぞと笑った。
あの時、親父はそれ以上言わなかった。
――言えなかったんだ。
言うには、順番があった。
まず血の話をして、次に句の話をして、それから回数の話をする。
最初でつまずいたら、そこで終わる。
俺が、終わらせた。
「――十だぞ」
俺は言った。
「十の子どもが、そんな話を信じるか」
誰も答えなかった。
◇
マリが、隣に座った。
しばらく黙っていた。
それから、こう言った。
「ハルト」
「なんだ」
「かぞえよう」
俺は顔を上げた。
「――何を」
「のこり」
彼女は、俺の野帳を指した。
「ここに、『のこりを、かぞえ、かきつぐべし』って、あるんでしょ」
「――ある」
「じゃあ、かぞえる」
彼女は言った。
「だれかが、かぞえてない。だから、わかんない」
彼女は、まっすぐ俺を見た。
「わたしたち、かぞえる、しごと」
◇
俺は、しばらくその言葉を飲み込んでいた。
――数える。
残りが何回かは、分からない。
三百年前に半ばだった。そこから何回使われたかも、分からない。
分からないものは、数えられない。
――だが。
数えられないなら、今日から数える。
それはできる。
俺は野帳を開いた。
新しい頁を開いて、一番上に書いた。
〈句、使用記録〉
そして、その下に一行目を書いた。
――今朝、石段で一度。
書いて、線を引いた。
「一だ」
俺は言った。
「いち」
「今日から、数える」
俺は野帳を閉じた。
「戻ったら、ダウムに預ける。俺が死んでも、記録は残る」
◇
その夜、俺は眠れなかった。
考えていたのは、回数のことではなかった。
――親父も、これを読んだのか。
この部屋に、親父は来たのか。
来たなら、あの人は「残りを数え、書き継ぐべし」を読んだはずだ。
書き継いだのか。
どこに。
俺は、暗がりの中で目を開けていた。
――家は、焼けた。
もし親父が書き継いでいたなら。
それは、あの家にあった。
昨日、燃えた。
◇
――いや。
俺は、暗がりで起き上がった。
燃えたとは、限らない。
あの家に置いてあったとは、限らない。
俺は、記憶を辿った。
ヌイ村の家。八歩と六歩。狭い家だった。
あそこには、隠す場所がない。
――なら、どこに置く。
俺は、自分ならどうするかを考えた。
二十年、俺は図面を扱ってきた。
大事な図面は、家に置かない。
家は焼ける。盗まれる。人が入る。
だから、ギルドの書庫に預ける。
――書庫だ。
俺は、その考えに行き着いて、それから頭を振った。
ギルドの書庫は、ダウムが十八年見ている。
あの男は、〈上〉の綴りしか見つけていない。
〈下〉は、四十二年前に消えている。
――四十二年前。
俺は、その数字を数え直した。
俺が生まれる前だ。
俺が十で家を焼かれたのが、二十四年前。
その十八年前に、〈下〉は消えている。
――親父じゃない。
親父は、まだ子どもだ。
消したのは、その前の代だ。
俺は、暗がりの中で、指を折った。
祖父。あるいは、その兄弟。
誰かが、四十二年前に、ギルドの書庫から〈下〉を持ち出した。
そして――
俺は、目の前の空の棚を見た。
――ここへ運んだ。
運んで、また誰かが持ち去った。
俺は、その順序を野帳に書いた。
書いて、線で繋いだ。
繋がった線の端は、どちらも空白だった。
誰が運んだのかも、誰が持ち去ったのかも、分からない。




