下の入口
七日目、俺たちは円の広間から下へ降りた。
降り口は、外周の一点にあった。
二百四十歩の円を測った時、俺は壁の一か所だけ、音が違うのを控えていた。
叩けば分かる。
薄い。
◇
抜くのに、半日かかった。
鶴嘴で崩した断面を、俺は灯りで照らした。
――塗ってある。
未踏区画の時と同じだ。
石を積んで、上から何かを塗って、周りと同じに見せてある。
誰かが、後から塞いだ。
「マリ」
「うん」
「これで三度目だ」
俺は言った。
「サルカドは、三度、塞がれてる」
◇
降りた先は、通路ではなかった。
――階段だった。
幅が違う。
これまでの通路は、四尺五寸。
この階段は、十二尺ある。
人が六人、横に並べる。
俺は、その幅を三度測った。
三度とも、十二尺だった。
「ハルト」
「――ああ」
「ひろい」
「広い」
俺は言った。
「こういう幅を、何と言うか知ってるか」
「しらない」
「表の階段だ」
俺は言った。
「人を迎える階段の幅だ。……使用人が通る階段は、狭く作る」
◇
降りながら、俺は数えた。
六十段。
途中に、踊り場が三つ。
踊り場ごとに、左右の壁がわずかに開く。
――両脇に、何かを置いていた跡がある。
台座だ。
像か、灯りか。何かを据えていた。
今は、何もない。
全部、持っていかれている。
「――綺麗に持っていったな」
俺は言った。
「だれが」
「三百年、誰かが通ってる」
俺は台座の跡に手を置いた。
「ここは、塞がれてた。だが、塞ぐ前に通ってた奴がいる」
◇
六十段の下は、扉だった。
開いていた。
というより、扉そのものが、床に落ちていた。
外されている。
俺は、その扉を照らした。
――厚い。
一尺以上ある。石ではない。石より重い。
そして、表に何か彫ってあった。
俺は膝をついた。
刷毛で埃を払う。
――出た。
◇
同心円。
枝分かれする線。
三本ある。削られていない。
そして、その下に――
文字が、四つ。
俺は、息を止めた。
「マリ」
声が、掠れた。
「灯りを」
彼女が、正しい位置に灯りを構えた。
四つの形が、はっきり見えた。
「――四つだ」
「よっつ」
マリの声も、掠れていた。
「ハルト。これ」
「言うな」
俺は言った。
「先に、写す」
◇
俺は、写した。
三度、写した。
一度目は素早く。二度目は寸法を測って正確に。三度目は、拓を取るように紙を当てて擦った。
擦る道具がないので、炭を使った。
――ドルスがいたら、もっと上手くやるだろう。
そう思った。
思って、少し寂しかった。
あの学者は、たぶん、これを見たら泣く。
写し終えて、俺は紙を三枚並べた。
同じ形が、三枚とも出ていた。
◇
「――四つの音だ」
俺は言った。
「サ、ル、カ、ド」
「かもしれない」
マリが慎重に言った。
「そうだ。かもしれない、だ」
俺は頷いた。
「確かめる方法がある」
俺は野帳を開いた。
「二十八種の表を出せ」
彼女が出した。
俺は、扉の四文字を、その表と突き合わせた。
――一つ目。表にある。
二つ目。ある。
三つ目。ある。
四つ目――
「……ない」
「ない?」
「表にない形だ」
俺は言った。
「二十九種目だ」
◇
俺は、その四つ目の形を、しばらく見ていた。
――ドが、ない。
いや。
四つ目が「ド」だと決まったわけではない。
だが、仮にこれが〈サルカド〉なら。
サ、ル、カ、の三つは表にある。
ドだけが、他のどこにも出てこない。
「マリ」
「うん」
「珍しい音、というのはあるか」
「ある」
「お前の国では」
「……『ぬ』」
彼女は少し考えて言った。
「あんまり、つかわない」
「使わない字は、どうなる」
「わすれる」
彼女はあっさり言った。
「わたし、『ぬ』、まだ、かけない」
◇
俺は、その言葉に打たれた。
――使わない字は、忘れられる。
セレンの側は、十四種しか持っていない。
三百年、口伝で繋いで、使う音だけが残った。
使わない音は、消えた。
――消えた音の中に、何が入っていた。
俺は、扉の四文字を見た。
この遺跡の名前。
その最後の一音が、誰の表にもない。
「……減るってのは」
俺は言った。
「こういうことか」
◇
俺は、扉の裏側にも回った。
裏には、何もなかった。
だが、蝶番の跡があった。
――外側に開く扉だ。
俺は、その意味をしばらく考えた。
「マリ」
「うん」
「扉ってのは、どっちに開く」
「……そと?」
「家によるが、たいていは内側だ」
俺は言った。
「外開きにするのは、中から人が大勢出る場所だ。……押し合いになると、内開きは開かなくなる」
俺は、階段を見上げた。
幅十二尺。六人並べる。
「――ここは、出口だ」
俺は言った。
「入口じゃない。出口だ」
◇
俺は、階段の下に立って、上を見た。
六十段。両脇に台座。幅十二尺。
これを、上から降りてくるのではない。
――下から、上がってくるための階段だ。
大勢で。
俺は、その光景を想像した。
地下から、人が上がってくる。
列を作って。台座に灯りが灯っていて。
厚い扉が、外へ向かって開いていて。
「マリ」
「うん」
「――ここは、地下から地上へ出る門だ」
俺は言った。
「サルカドは、地上の遺跡じゃない」
俺は、自分の足元を見た。
「地下の何かの、玄関だ」
◇
その夜、マリが訊いた。
「ハルト」
「なんだ」
「じゃあ、ハルトの、いえは」
俺は、手を止めた。
――そうだ。
サルカドは、旧市街で一番深い家だと思っていた。
だから王家の本邸だろうと。
違う。
家ではない。
「……門番だ」
俺は言った。
「うちの家は、門の脇に住んでたんだ」
俺は、灯りを見た。
「二十年、俺は自分の家の門を測ってた」
言ってから、自分でおかしくなった。
おかしいのに、笑えなかった。
◇
その夜、俺は扉の前に座って、写しを眺めていた。
四つの文字。
これが〈サルカド〉なら、この扉は名前を掲げている。
――名前を掲げる扉は、表だ。
裏口に名前は書かない。勝手口にも書かない。
名前を書くのは、人に見せる側だけだ。
なら、この扉は、下から来た者に見せるために名前を書いている。
――下から来る者が、いた。
俺は、その事実を、しばらく転がしていた。
いた、というより――
いたはずだ、が正しい。
この階段には、埃しかない。足跡はない。
千年、誰も上がってきていない。
「マリ」
「うん」
「――待ってたんだな、この扉は」
「まってた」
「千年、開けたまま待ってて、誰も来なかった」
俺は、床に落ちた扉を見た。
外されている。
誰かが、外した。
――閉められないように、外したのかもしれない。
そう思ったら、その考えが頭から離れなくなった。
開けたままにしておく。
誰かが帰ってきた時に、閉まっていないように。
俺は、写しを畳んだ。
「――こういうことを考えるのは、よくない」
「なんで」
「証拠がない」
俺は言った。
「証拠のない話を、俺は図面に書かない」
言いながら、野帳の隅に、小さく書いた。
〈扉ハ外サレテイタ。閉メナイ為カ〉
書いてから、消さなかった。




