突き合わせ
四日目は、床の上で紙を並べた。
降りるのを止めた。
降りる前に、やることができたからだ。
◇
俺の手元には、三つある。
一つ。杆の柄の銘。五つの形が九回。
二つ。ギルドの綴りの余白。七つの形が二十三回。俺が野帳に写してある。
三つ。セレンが置いていった写し。十四種。
そして四つ目が、今、足元にある。
――削られた床の模様。十七か所。
俺は、まず自分の三つを並べた。
「マリ。書けるか」
「かける」
「読み上げる。表にしろ」
彼女は野帳を開いた。
この四月で、彼女は俺より整った表を作るようになっている。
◇
半日で、形が揃った。
全部で、二十一種。
うち、四種は三つ全部に出る。
六種は、二つに出る。
残り十一種は、一つにしか出ない。
「――偏ってる」
俺は言った。
「かたよってる」
「四種が、やたら多い」
俺は表を叩いた。
「全体の、半分近くだ」
マリが、数を確かめた。
「……よんじゅうさんパーセント」
「なんだそれは」
「はんぶん、より、すこし、すくない」
彼女はあっさり言った。
俺は、その言い方に少し笑った。
「――お前の国は、そういう数え方をするのか」
「する」
「便利だな」
「べんり」
◇
偏っている、というのが重要だった。
ドルスが言っていた。
文字なら、頻度に偏りが出る。均一なら文字ではない、と。
装飾帯は、均一だった。だから彼は「装飾だ」と結論した。
――こっちは、偏っている。
俺は、その意味を口に出した。
「これは、文字だ」
マリが顔を上げた。
「装飾帯とは違う」
俺は言った。
「壁の帯は均一だった。これは偏ってる。……よく使う字と、めったに使わない字がある」
「じゃあ、かべの、おびは」
「あれは、たぶん、飾りじゃない」
俺は、そこで手を止めた。
――待て。
均一なものが、もう一つある。
俺は野帳をめくった。
「マリ」
「うん」
「壁の帯は、均一だった」
「うん」
「だが、字が均一になる場合が、一つだけある」
俺は言った。
「――数字だ」
◇
俺は、頁に数を書き並べた。
一。二。三。四。五。
この国の数字だ。
「見ろ。数を並べると、どの形も同じくらい出る」
俺は指した。
「文章なら偏る。だが、目盛りや台帳は偏らない」
マリの目が、大きくなった。
「かべの、おびは」
「たぶん、目盛りだ」
俺は言った。
「あるいは、番号だ。……部屋番号かもしれん」
俺は立ち上がった。
「ドルスは、五十枚の拓本を取った」
俺は言った。
「五十枚ぶん、全部の頻度が均一だった。……あの男は、二十年かけて、この遺跡の番号表を写してたんだ」
◇
そこから先は、早かった。
俺は床に降りて、削られた十七か所を、もう一度全部写した。
削り取られた部分ではなく、**残っている部分**を。
連中は一部を持っていった。だが、周りは残している。
残っている形を全部拾えば、削られた形が推定できる。
――穴の形から、抜けた石の形が分かる。
崩落の測量と、同じだ。
俺は二日かけて、それをやった。
◇
六日目の夜。
表が、埋まった。
二十一種が、二十八種になった。
削り跡から推定した七種が、新しく加わった。
俺は、セレンの写しを横に置いた。
十四種。
――こちらの二十八のうち、十四が一致した。
残りの十四種は、向こうにない。
「……セレンの言った通りだ」
俺は言った。
「あの女は、半分しか持ってない」
◇
マリが、表を睨んでいた。
「ハルト」
「なんだ」
「これ、じゅうぶん?」
「――何がだ」
「にじゅうはち。よめる?」
俺は、その問いを考えた。
「……足りないと思う」
「なんで」
「日本の字は、いくつある」
俺は訊いた。
マリが、指を折った。
「……ひらがな、しじゅうろく。カタカナ、しじゅうろく。かんじ、たくさん」
「漢字は」
「にせん、いじょう。……つかうのは」
彼女は少し考えた。
「にせん、くらい」
「二千か」
俺は野帳を閉じた。
「じゃあ、二十八じゃ足りん」
「でも」
マリが言った。
「にじゅうはち、なら、おとの、かず、かもしれない」
俺は顔を上げた。
「――音」
「わたしの、くにの、ひらがな。……しじゅうろく」
彼女は言った。
「あれ、おと。『あ』『い』『う』。……いみ、ない。おとだけ」
俺は、その言葉を飲み込んだ。
――音を表す字か。
二十八なら、ありうる。
この国の字は、意味の塊だ。だから二千要る。
だが、音だけを表す字なら、数十で足りる。
「マリ」
「うん」
「――お前の国には、両方あるのか」
「ある」
「なぜ両方要る」
「……わかんない」
彼女は正直に言った。
「むかしから、そう」
俺は、少し笑った。
どこの国も、同じらしい。
◇
その夜、俺は句を紙に書いてみた。
書けるはずがない。
俺は音しか知らない。
だが――音を表す字なら、書ける。
シャル・カディ・オム・ネイア。
俺は、二十八種の中から、それらしい形を探した。
探して、四つ選んだ。
選んで、並べた。
「……分からん」
俺は筆を置いた。
「合ってるかどうかが、分からん」
「なんで」
「音と字の対応が分からんからだ」
俺は言った。
「二十八種あることは分かった。それが音を表してるらしいことも分かった。……だが、どの形がどの音かは、まだ何も分からん」
◇
マリは、しばらく黙っていた。
それから、こう言った。
「ハルト」
「なんだ」
「ひとつ、しってる」
「――何を」
「『サルカド』」
彼女は言った。
「ここの、なまえ」
俺は、動きを止めた。
「もし、かべに、『サルカド』って、かいてあったら」
彼女は言った。
「よっつの、おと。……サ、ル、カ、ド」
俺は、立ち上がっていた。
――そうだ。
名前だ。
この遺跡の名前が、この遺跡のどこかに書いてあるなら。
その四文字と、四つの音が対応する。
そこから、二十八種の残りが解ける。
「マリ」
「うん」
「明日から、探すものが決まった」
俺は野帳を開いた。
「入口だ」
◇
どの建物にも、名前を書く場所がある。
門。入口。表の壁。
この国でも、王都の館には必ず銘板がある。
この遺跡にも、あるはずだ。
――ただし。
俺たちが知っている入口は、石段だ。
あそこには、何も彫っていない。
二十年、俺は毎年そこに立っている。彫ってあれば気づく。
なら、あそこは入口ではない。
「マリ」
「うん」
「この遺跡の、本当の入口は、別にある」
俺は言った。
「――たぶん、下だ」
◇
根拠は、二つあった。
一つは、床だ。
この広間の床は、二百四十歩の円が一枚で、継ぎ目がない。
その真ん中に、一番大きい模様がある。
――中心に置くものは、大事なものだ。
どこの国でもそうだ。広間の真ん中に何を置くかで、その建物が何のためにあるかが分かる。
二つ目は、高さだ。
天井が四十尺以上ある。
人が住む部屋に、そんな高さは要らない。
高い天井が要るのは、人が大勢集まる場所か――
「――上げ下ろしをする場所だ」
俺は言った。
「あげおろし」
「物を吊る。上から下ろす。下から上げる」
俺は天井を見上げた。
「そういう場所は、天井を高く取る。鉱山の坑口も、港の倉も、そうだ」
俺は灯りを掲げた。
届かない。
だが、届かない場所に何かがあるなら、いつかは見なければならない。
「マリ」
「うん」
「――この広間は、通り道だ」
俺は言った。
「人が住む場所じゃない。物と人が、上と下を行き来する場所だ」
彼女は、しばらく天井を見ていた。
「じゃあ、うえは」
「上は、俺たちが降りてきた道だ」
「した、は」
俺は、足元を見た。
「――まだ見てない」




