分家
俺は、こちらから会いに行くことにした。
場所は、決めていた。
サルカドの、石段の前。
――一段目の、右寄り。
窪んでいるところだ。
◇
やり方は簡単だった。
市場で、大きな声を出しただけだ。
「明日、サルカドへ行く」
油屋の親父にそう言った。
それだけで、翌日には伝わる。
この町は、そういう町だ。
◇
翌朝、石段の前に、あの男が立っていた。
一人だった。
「――お一人ですか」
「そちらもですね」
俺は言った。
マリは、少し離れた岩の上に座っている。連れてこないという選択肢は、彼女が受け入れなかった。
「四人ではないと、話しにくいので」
男は微笑んだ。
「賢明です」
彼は頭を下げた。
「名を申し上げていませんでした。レイヴと申します」
◇
「観星卿団だな」
俺が言うと、レイヴは目を細めた。
「――お調べになりましたか」
「三百年待った、と部下が喋ったそうだ」
「……ああ」
彼は額に手を当てた。
「北の。あれは口が軽い」
彼は、心底困った顔をした。
その顔が、初めて、本当の表情に見えた。
「では、こちらも隠しません」
レイヴは言った。
「何をお聞きになりたい」
「三つある」
俺は指を折った。
「一つ。お前らは何を探してる」
「二つ」
「なぜ俺が要る」
「三つ」
「――お前らと、もう一組の関係だ」
◇
レイヴは、石段に腰を下ろした。
俺は座らなかった。
「一つ目から」
彼は言った。
「我々が探しているのは、〈鍵〉です」
「鍵」
「言葉の綾ではありません。実際に、扉があります」
彼は言った。
「その扉を開けるには、三つ要る。……血と、言葉と、時です」
俺は、動かなかった。
「血は、王家の血」
レイヴは指を折った。
「言葉は、王家に伝わる句」
彼は俺を見た。
「時は――星が重なる夜」
◇
俺は、しばらく黙っていた。
「二つ目に行く」
俺は言った。
「なぜ俺だ」
「血があるからです」
「――俺は、自分が王家だと信じてない」
「存じています」
レイヴは頷いた。
「ですが、我々にも血はあります」
俺は、顔を上げた。
「――何だと」
「同じ血です」
彼は言った。
「我々は、王家の分家です」
◇
風が吹いた。
石段の砂が、少し動いた。
「――分家」
「はい」
「なら、お前らで開ければいい」
「開きません」
レイヴは言った。
「三百年、開きませんでした」
彼は、少しだけ苦い顔をした。
「血はある。言葉もある。……ですが、開かない」
「なぜ」
「分かりません」
彼は正直に言った。
「それを知りたくて、我々はあなたを探した」
◇
「三つ目に行く」
俺は言った。
「もう一組は、何だ」
レイヴの表情が、そこで初めて硬くなった。
「――あれは、我々の恥です」
「恥」
「三百年前」
彼は言った。
「我々の一族は、割れました」
彼は指を二本立てた。
「王家は、そもそも二つに割れていた。本家と、分家です」
「知ってる」
「その分家が、さらに割れた」
レイヴは言った。
「三百年前です。……我々と、あちらに」
◇
「割れた理由は」
「使い方です」
彼は言った。
「王家が守っていた〈何か〉。それをどう使うか」
俺は、その言葉に、覚えがあった。
――ゲンが言っていた。
喧嘩の中身は、宝の使い道だった、と。
守れと言う側と、使えと言う側。
「本家は、守れと言った」
俺は言った。
「――ご存知でしたか」
レイヴは、少し驚いた顔をした。
「村の伝承にある」
「なるほど」
彼は頷いた。
「その通りです。本家は守れと言った。分家は使えと言った」
彼は続けた。
「分家が勝ちました。本家は滅ぼされた」
「――お前らが滅ぼしたのか」
「我々の祖先が、です」
レイヴは、目を逸らさなかった。
「五百年前のことです。私は、その責を否定しません」
◇
「だが、使えなかった」
俺は言った。
「開かなかったからな」
「その通りです」
レイヴは言った。
「奪ったのに、使えなかった。……それで、二百年経った」
彼は言った。
「二百年経って、分家の中で、また意見が割れた」
彼は指を二本立て直した。
「一方は、待つべきだと言った」
「待つ」
「本家の血を探し、正しい形で開く。三百年でも待つ、と」
彼は自分を指した。
「それが、我々です」
◇
「もう一方は」
「壊すべきだと言いました」
レイヴは言った。
「開かないなら、壊して入ればいい。……そういう考えです」
彼は、石段を見た。
「彼らは、あの模様の入った面を集めています。集めて、削って、中を見ようとしている」
「――削る」
「はい」
彼は言った。
「三百年、我々は一枚も削っていません。彼らは、この十年で何十枚も削った」
「何か出たのか」
「出ません」
レイヴは首を振った。
「削ると、死ぬんです」
◇
俺は、耳を疑った。
「死ぬ」
「面が、です」
彼は言い直した。
「削った面は、二度と光らなくなる。……我々はそう呼んでいます。死ぬ、と」
彼は立ち上がった。
「彼らは、三百年ぶんの鍵を、十年で潰しています」
レイヴの声が、初めて低くなった。
「そして、削るために、人を焼く」
彼は俺を見た。
「――二十四年前のことは、私の一族の恥ではありません」
彼は言った。
「ですが、私の一族が生んだ恥です」
◇
俺は、しばらく何も言えなかった。
「レイヴ」
「はい」
「――一つ、訊いていいか」
「どうぞ」
「お前らの言葉は」
俺は言った。
「うちの家の言葉と、同じなのか」
レイヴは、そこで初めて、はっきり困った顔をした。
「……それが」
彼は言葉を選んだ。
「分からないのです」
「分からん?」
「我々の句は、代々伝わっています。ですが、途中で儀式に組み込まれた」
彼は言った。
「節がつき、繰り返しが入り、飾りが増えた。……三百年ぶんの飾りです」
俺は、その言葉を飲み込んだ。
「元の形が、分からんのか」
「分かりません」
レイヴは言った。
「ですから――」
彼は、そこで俺を見た。
初めて、頼む顔をした。
「あなたの句を、聞かせていただけませんか」
◇
俺は、すぐには答えなかった。
代わりに、別のことを訊いた。
「レイヴ」
「はい」
「――扉は、どこにある」
彼の目が、少し動いた。
「お答えしてもよろしいのですが」
彼は言った。
「たぶん、ご存じです」
俺は、石段を見た。
自分が立っている場所を。
「ここか」
「ここです」
レイヴは頷いた。
「サルカド。……我々の記録では、〈錨〉と呼ばれています」
「錨」
「船を止めるあれです。……なぜそう呼ぶのかは、伝わっていません」
俺は、その言葉を頭の中に置いた。
錨。
動かないようにするもの。
流されないように、底へ下ろすもの。
「レイヴ」
「はい」
「――扉は、この遺跡の、どこだ」
「一番下です」
彼は言った。
「記録には『底』とだけあります」
俺は、その言葉を聞いて、少し安心した。
――底は、まだ見ていない。
俺が見たのは、人型の像がある通路までだ。
あの先は、まだある。
連中も、そこへは行っていない。
「入ったことは」
「あります」
レイヴは言った。
「三代前に、一度」
「――どこまで」
「あなたと同じところまでです」
彼は言った。
「継ぎ目のない床の通路。……その先の壁が、開かなかった」
俺は、動きを止めた。
――先に、まだ壁がある。
俺が引き返した場所より、奥に。




