乱れていない層
西の坑は、思っていたより大きかった。
山の腹に穴が開いていて、そこからトロッコの軌道が出ている。
鉄の鉱山だ。三十年掘っている。
学士院の名を出すと、坑長はあっさり通した。
「三年前の区画かい」
彼は帳面をめくった。
「封じてあるよ。近寄るなと言われてる」
「壁を見るだけです」
「壁だけならな」
坑長は肩をすくめた。
「あそこの壁は、うちの若いのが怖がる。……何も出ないのに、怖がる」
◇
坑道を、灯りを持って三百歩ほど入った。
空気が冷たい。
湿っている。
俺は歩数を数えていた。癖だ。
やがて、右手の壁が変わった。
――そこだ。
坑道が、遺構を横切っている。
掘り進んだ鉱夫が、途中で石ではないものにぶつかった。ぶつかって、迂回した。
そのために、壁の一部が切り開かれている。
俺は灯りをかざした。
継ぎ目のない壁の断面が、そこにあった。
そして、その上に――
地面の層が、見えていた。
◇
ドルスが息を呑んだ。
「……素晴らしい」
「褒めるところですか」
「褒めますとも。ここまで綺麗な切り口は、そうありません」
彼は灯りを近づけた。
層は、はっきり見えた。
色の違う帯が、何本も横に走っている。
濃い茶。薄い灰。また濃い茶。細かい砂の層。
俺は杆を立てた。
「測ります」
◇
やり方は、単純だ。
基準を決めて、そこから一本ずつ層の厚みを測る。
遺構の天井の高さを基準にした。そこから上の層を、全部拾う。
マリが縄を張った。
俺が測り、彼女が印を数える。
ドルスは横で、層の性質を見ていた。
「これは川の土ですね。……こちらは風」
「分かるんですか」
「粒の揃い方です。水が運ぶと粒が揃う。風は揃わない」
二刻かけて、俺たちは全部測った。
◇
結果は、こうだった。
遺構の天井から、地表まで。
――十四尺と、三寸。
層の数、二十九。
俺は野帳を閉じた。
「ドルスさん」
「はい」
「乱れは、ありません」
彼は頷いた。
「私もそう見ました」
俺は壁を指した。
「一本も途切れてない。斜めに切れてる線もない。混ざってるところもない」
俺は言った。
「誰も掘り返してない。……この十四尺は、上から順に積もったものです」
ドルスは、しばらく壁を見ていた。
やがて、彼は静かに言った。
「――計算しましょう」
◇
彼は紙を出した。
「この山の斜面で、土が積もる速さ。学士院の目安では、百年で一寸から三寸です」
「幅がありますね」
「土地によります。ここは風下ですから、速いほうでしょう」
彼は筆を動かした。
「三寸で計算します。……いちばん速く積もったと仮定する」
俺は頷いた。
速いほうで計算する。
――つまり、いちばん「若い」答えが出る。
彼は割り算をした。
書いて、線を引いて、下に答えを置いた。
「――四千七百年」
◇
部屋の空気が、変わった気がした。
坑道の中だ。部屋ではない。それでも、変わった。
「もう一度、確かめます」
俺は言った。
「十四尺三寸。一尺は十寸。合計、百四十三寸」
「はい」
「百年で三寸なら」
俺は数えた。
「四千七百六十六年と、少し」
ドルスは頷いた。
「遅いほうで計算すれば、一万四千年を超えます」
彼は筆を置いた。
「つまり、この遺構が埋まってから、少なくとも四千七百年です」
俺は、その数字を見ていた。
――四千七百年。
この国の歴史は、千年に届かない。
滅んだ王国でさえ、数百年前の話だ。
その、五倍から十倍。
◇
ドルスは、壁に手を当てた。
「私の説は、これで完全に終わりです」
彼は言った。
「未来のものが、四千七百年前から埋まっていることはあり得ない」
俺は、マリを見た。
彼女は、壁を見上げていた。
灯りの光の中で、二十九本の層を、下から順に目で追っていた。
泣いていなかった。
顔は白かったが、まっすぐ立っていた。
「マリ」
「……うん」
「分かるか」
「わかる」
彼女は言った。
「ふるい。……ずっと、ふるい」
彼女は、層の一番上を指した。
「これ、ぜんぶ、うえから、つもった」
「そうだ」
「だれも、さわってない」
「触ってない」
マリは、しばらく黙っていた。
それから、こう言った。
「じゃあ、ちがう」
「――違う」
「みらい、じゃない」
彼女は、そう言って、壁から目を離した。
◇
坑道を戻る間、誰も喋らなかった。
外へ出ると、日が高かった。
中にいたのは半日だが、もっと長く感じた。
ドルスが、大きく伸びをした。
「――ああ」
彼は空を見上げた。
「三年です」
彼は言った。
「三年、この説と暮らしました。……終わってみると、思ったより軽い」
「軽いですか」
「軽いですね」
彼は笑った。
「間違っていると分かるのは、悪いことではない。……次に行けますから」
俺は、その言葉を聞いていた。
――ゼロと一は違う。
同じことを、この娘も言った。
学者と、十九の娘が、同じことを言っている。
◇
その夜、宿でマリが荷を解いていた。
俺は、しばらく声をかけなかった。
かけないでいると、彼女のほうから言った。
「ハルト」
「なんだ」
「わたし、いま、へん」
「変」
「かなしい。……でも、すこし、ほっとしてる」
俺は顔を上げた。
「ほっと」
「うん」
彼女は荷を置いた。
「みらい、だったら」
彼女は言った。
「わたし、かえっても、みんな、いない」
俺は、動きを止めた。
「おばあちゃん、いない。ともだち、いない。……ぜんぶ、むかしのひと」
マリは、両手を膝に置いた。
「かえれる、けど、だれも、いない」
彼女は、少し笑った。
「それ、きのう、ずっと、かんがえてた」
俺は、その言葉を、しばらく飲み込んだ。
――そうか。
この娘は、昨日一晩、帰れる可能性を喜んでいたわけではなかった。
喜びながら、同時に、それが本当だった時の顔を見ていた。
「マリ」
「うん」
「――お前は、いつもそうだな」
「なにが」
「いいことがあると、その裏を見る」
俺は言った。
「疲れないか」
彼女は、少し考えた。
「つかれる」
彼女は正直に言った。
「でも、やめられない」
「――なぜ」
「そうしないと、たおれるから」
彼女は、そう言って、荷を枕元に置いた。
「さきに、しっておけば、たおれない」
俺は、何も言わなかった。
――同じだ。
俺も、二十年そうしてきた。
先に測る。先に数える。先に知っておく。
そうすれば、崩れる天井の下に立たずに済む。
この娘は、それを一人で覚えた。
三月で。
◇
帰りの馬車で、ドルスが新しい紙を出した。
「一つ、気になったことがあります」
「なんです」
「二十九本の層です」
彼は言った。
「上から二十一本目に、細かい砂の層がありました」
俺は思い出した。
――あった。
薄い、白っぽい層だ。厚みは五分ほど。
「あれは、火の山の灰です」
「灰」
「はい。粒が細かくて、揃っていて、色が薄い。……学士院では、灰の層で年代を合わせます」
ドルスは言った。
「同じ火の山が噴けば、同じ灰が同じ年に降る。……離れた場所の層を、それで揃えられる」
「――基準になるのか」
「なります」
彼は頷いた。
「私は、あの灰の層を三か所で見ています。西の坑。北の崖。それに、王都の井戸掘りの記録」
彼は紙に線を引いた。
「三か所とも、同じ深さに同じ灰があった」
俺は、その線を見た。
「――で、何が分かるんです」
「この一帯が、同じ時に同じ空の下にあった、ということです」
ドルスは言った。
「当たり前のことですよ。同じ大陸ですから」
彼は笑った。
「ですが、当たり前を確かめておくのが、我々の仕事です」
俺は、その言葉を聞いていた。
――確かめておく。
俺も、二十年それをやってきた。
動かないものを、毎年測る。
誰かがいつか、それを使う日のために。




