地面を読む
宿の部屋で、ドルスは俺たちの二枚目の紙を読んだ。
――合わないもの、五つ。
読み終えて、彼はしばらく黙っていた。
それから、笑った。
「……素晴らしい」
「褒めるところですか」
「褒めますとも」
ドルスは紙を卓に置いた。
「私は昨夜、自分の説を話しました。三年抱えていたものです」
彼は俺を見た。
「一晩で、五つ穴を開けられた」
「穴でしょうか」
「穴です。……特に、二番目」
彼は指を置いた。
――俺の家の言葉で、壁が開く。
「これは、致命的です」
ドルスは言った。
「未来の物が、過去の人間の言葉に応える。順番が成り立たない」
彼は自分の紙束を取り出した。
「私の説は、これで終わりです」
◇
あっさりしていた。
あまりにあっさりしていたので、俺は少し驚いた。
「――終わりでいいんですか」
「よくはありません」
ドルスは言った。
「三年です。夜も寝ずに考えました。学士院を追われるかもしれないと覚悟までした」
彼は肩を落とした。
「ですが、合わないものが五つ出た。……終わりです」
彼は笑った。
「学者というのは、そういう仕事です」
俺は、何も言えなかった。
――この男は、そういう男だ。
一年半前、中層で引き返した時と同じだ。
行きたい気持ちより、計算を優先する。
◇
「ただし」
ドルスは、そこで顔を上げた。
「一つだけ、確かめておきたい」
「なんです」
「私の説の、二番目に大事な部分です」
彼は紙に絵を描いた。
横線を、何本も引く。地層だ。
「遺構が、いつのものか」
「――年代ですか」
「そうです。私の説では『未来』でした。それは潰れた」
ドルスは線を指した。
「ですが、逆はどうか。……つまり、本当に古いのか」
俺は、その言葉に引っかかった。
「古いに決まってるでしょう」
「決まっていません」
ドルスは言った。
「あなたが測ったサルカドの深部。継ぎ目のない床。あれが百年前に作られたものでないと、誰が言えますか」
俺は口を開いた。
「――百年前なら、誰かが見てます」
「見た者が消されていたら?」
部屋が、静かになった。
ドルスは、静かに続けた。
「私は、そういうことを言いたいのではありません」
彼は首を振った。
「私が言いたいのは、『古い』という言葉を、我々が一度も確かめていないということです」
◇
「確かめる方法があります」
ドルスは、線を指した。
「地面です」
「地面」
「地面は、積もります」
彼は横線を下から順に指した。
「川が運ぶ土、風が運ぶ砂、落ち葉が腐ったもの。少しずつ、上に積もる」
「知ってます」
「では、こう考えてください」
ドルスは、線の途中に四角を描いた。
「ここに、建物があるとする」
彼は四角の上に、線を何本も足した。
「その上に、土が積もる。積もって、積もって、埋まる」
彼は顔を上げた。
「――積もった層が、乱れていなければ」
俺は、その意味を理解した。
「……誰も掘り返していない」
「そうです」
ドルスは頷いた。
「層は、一度乱すと元に戻りません。混ざります。素人が埋め直しても、必ず分かる」
彼は線を指でなぞった。
「遺構の上に、乱れていない層が何尺積もっているか。それを測れば、埋まってから何年経ったかが出ます」
「積もる速さが分かるんですか」
「おおよそは」
ドルスは言った。
「川沿いなら速い。丘の上なら遅い。……学士院に、目安の表があります」
◇
俺は、しばらく考えた。
――測れる。
俺の仕事だ。
層の厚みを測る。乱れを見る。それだけなら、明日にでもできる。
「どこで測ります」
「切り口が要ります」
ドルスは言った。
「地面を上から掘るのでは駄目です。掘れば、掘ったこちらが層を乱す」
彼は絵の横に、垂直な線を描いた。
「横から見たい。……崖か、坑道の壁が理想です」
俺は顔を上げた。
「西の坑」
ドルスの目が、光った。
「――ご存知でしたか」
「あなたが手紙に書いた」
俺は言った。
「三年前、鉱夫が掘り当てた。継ぎ目のない壁の通路が出た、と」
「その通りです」
ドルスは身を乗り出した。
「あそこは、坑道が遺構を横切っています。つまり――」
「遺構の真上の層が、坑道の壁に出てる」
「出ています」
彼は頷いた。
「私は三年前、あれを見ました。見ましたが、測っていない」
ドルスは、少し悔しそうな顔をした。
「私は学者です。層を数えることはできる。……ですが、尺を当てて記録する技術がない」
彼は俺を見た。
「あなたなら、できる」
◇
その夜、俺は荷を作った。
西の坑まで、馬車で四日。
マリが、隣で縄を袋に詰めていた。
「マリ」
「うん」
「行くのか」
「いく」
彼女は即答した。
「――辛いぞ」
俺は言った。
「あの説は、たぶん潰れる。潰れるのを、自分の目で見ることになる」
マリは、手を止めた。
止めて、しばらく考えた。
「ハルト」
「なんだ」
「きのう、わたし、ないた」
「泣いたな」
「なんで、ないたか、わかる?」
俺は首を振った。
「かえれる、と、おもったから」
彼女は言った。
「それも、ある。……でも、いちばんは、ちがう」
「――何だ」
マリは、袋の口を結んだ。
「はじめて、『かんがえる、ものが、あった』から」
彼女は顔を上げた。
「みっつき、なにも、なかった。かえる、ほうほう、ゼロ。かんがえる、ことも、できない」
彼女は、少し笑った。
「きのう、ひとつ、できた」
「――だが、潰れる」
「つぶれても、いい」
マリは言った。
「ひとつ、つぶれたら、つぎ、さがす」
彼女は袋を担いだ。
「ゼロと、いち、ちがう」
◇
俺は、その言葉を、しばらく噛んでいた。
――ゼロと一は違う。
測量でも、そうだ。
点が一つあれば、次の点を探せる。
点がゼロなら、どこを探せばいいかも分からない。
この娘は、三月ゼロで生きていた。
昨日、一になった。
その一が消えても、探し方だけは残る。
「マリ」
「うん」
「――お前は、測量士に向いてる」
彼女は、目を丸くした。
それから、思い切り笑った。
「ほめた」
「褒めた」
「はじめて」
「――そうだったか」
「はじめて」
彼女は、荷を担ぎ直した。
「おぼえておく」
◇
俺は、灯りを消す前に、窓から空を見た。
癖だ。
〈環〉が、天頂を過ぎている。
あと少しで、西へ傾く。
――四百年ぶんの星表。
ドルスが、写しを持ってきていた。全部ではない。三十年ぶんだけだ。
残りは、王都に戻らないと出せないという。
三十年。
十一年周期なら、二回半だ。
――足りない。
足りないが、二回なら、あるかないかは見える。
俺は窓を閉めた。
西の坑から戻ったら、それを数える。
数えて、もし何かあったら。
――その時が、三つ目の点だ。
◇
出発の朝、ダウムが門まで来た。
珍しいことだった。この男が建物を出るのを、俺は五年で二度しか見ていない。
「西の坑か」
「そうです」
「依頼は」
「学士院の調査に、測量士として同行、という形にしました」
「ドルスが金を出したか」
「学士院が出します」
ダウムは、鼻を鳴らした。
「うまいこと考えたな」
「ドルスの案です」
「そうだろうよ」
彼は、それから声を落とした。
「一つ言っておく」
「はい」
「西の坑は、王家の名で押さえられとる区画がある」
俺は顔を上げた。
「三年前、遺構が出た時にな。学士院が調べて、そのまま封じた」
ダウムは言った。
「封じたのは学士院じゃない。上からだ」
「――王家が」
「そう記録されとる」
彼は肩をすくめた。
「わしは、その紙を見たことがある。判が押してあった」
俺は、その意味を考えた。
――カランディア王家が、遺構を封じた。
この国の王家は、俺の家とは関係がない。
滅んだ王国から逃げた難民が、この地に興した国だ。学校でそう習う。
その王家が、遺構を封じている。
「ダウムさん」
「なんだ」
「この国の王家は、何を知ってるんです」
「知らんよ」
ダウムは即答した。
即答してから、少し間を置いて、こう足した。
「――だが、知らん者は、封じん」




