証拠を数える
翌朝、マリは俺より先に起きていた。
卓に、紙が並んでいた。
彼女の字で、びっしり書いてある。
「ハルト」
顔を上げた彼女の目が、赤かった。
寝ていない。
「これ、みて」
◇
紙には、こう書いてあった。
一。つぎめのない、かべ。いま、つくれない。
二。てんじょうの、わく。なかに、ほそいくだ。
三。ゆか、いちまい。つなぎめ、ない。
四。もよう。おなじものが、たくさん。
五。すんぽう、ぜんぶ、おなじ。
六。ゆかの、まんなかで、いたが、ひかった。
七。かべ、ことばで、ひらいた。
八。きつね、なおしたら、ひかった。
全部で、十四あった。
俺は、それを最後まで読んだ。
読み終えて、顔を上げた。
「――全部、ドルスの説の証拠か」
「そう」
マリは頷いた。
「みらいの、もの、なら、ぜんぶ、せつめい、つく」
俺は、紙を置いた。
◇
置いてから、俺はしばらく黙っていた。
――言うべきか。
この娘は、一晩でこれを書いた。
書いている間、たぶん、ずっと同じことを考えていた。
帰れるかもしれない、と。
俺は、椅子に座った。
「マリ」
「うん」
「これは、よくできてる」
「ほんと?」
「本当だ。……十四、全部、説明がつく」
彼女の顔が、明るくなった。
俺は、そこで一度、息を吸った。
「だが、一つ足りない」
「たりない」
「証拠を数える時は、二つ数える」
俺は言った。
「合うものと、合わないものだ」
◇
マリの顔から、少しだけ光が引いた。
「あわない、もの」
「そうだ」
俺は野帳を開いた。
「測量でもそうだ。図面と現場が合う場所を数えても、意味はない。合わない場所を数える」
「なんで」
「合う場所は、たまたま合ってることがある」
俺は言った。
「合わない場所は、たまたまじゃない。必ず理由がある」
マリは、しばらく黙っていた。
それから、小さく言った。
「……わたし、あわないもの、かぞえなかった」
「そうだな」
「わざと」
彼女は、正直に言った。
「わざと、かぞえなかった」
俺は、その一言を、しばらく飲み込んだ。
◇
――俺は今、この娘に何を言おうとしている。
夢を数えるな、と言おうとしている。
三月と少し、この娘は帰る方法を一度も持てなかった。
昨日、初めて持った。
それを、翌朝に潰そうとしている。
――仕事なら、迷わない。
依頼主が「この壁の向こうに部屋がある」と言えば、俺は叩いて確かめる。なければ、ないと言う。
依頼主が落胆しても、俺の仕事は変わらない。
だが、これは仕事ではない。
「マリ」
「うん」
「――俺は、この説が違うと思ってる」
言った。
彼女は、顔を上げなかった。
「なんで」
「二つある」
俺は指を立てた。
「一つ。星だ」
「ほし」
「お前が最初の夜に言った。星が全部違う、と」
俺は言った。
「未来なら、星は変わらない。……いや、少しは変わる。だが、全部は変わらない」
マリの肩が、少し動いた。
「星が動くのには、途方もない時が要る。並びが全部変わるほどとなると、人が滅んでも足りない」
「――でも」
彼女は、初めて言い返した。
「でも、ずっと、ずっと、さきなら」
「その先なら、家は残らない」
俺は言った。
「石は千年でぼろぼろになる。継ぎ目のない壁が、星が全部変わるほどの時を、傷一つで持つか」
マリは、口を閉じた。
◇
「二つ目は」
彼女が、絞り出すように言った。
「二つ目」
俺は、少し迷った。
迷ってから、言った。
「――俺の家だ」
彼女が顔を上げた。
「俺の家は、百年サルカドを測ってる。まじないは、それより前から伝わってる」
俺は言った。
「未来のものなら、なぜ俺の家の言葉で開く」
部屋が、静かになった。
「未来の建物が、過去の俺の家の言葉に応えるのは、おかしい」
俺は続けた。
「順番が合わない」
◇
マリは、しばらく動かなかった。
やがて、彼女は紙をまとめた。
まとめて、両手で持って、そのまま膝に置いた。
「……そうだね」
彼女は言った。
「わたしも、おもってた」
俺は顔を上げた。
「かいてる、とき、ずっと、おもってた」
彼女は、紙を見下ろしていた。
「これ、あわない、って」
――知っていた。
この娘は、知っていて書いた。
合わないものを数えないと決めて、一晩かけて十四並べた。
「マリ」
「うん」
「――悪かった」
「あやまらないで」
彼女は首を振った。
「ハルト、しごと、した」
彼女は顔を上げた。
目が赤いままだったが、まっすぐ俺を見ていた。
「わたし、ハルトに、しごと、してほしい」
彼女は言った。
「うそ、いわないで、ほしい」
◇
その日、俺たちは二枚目の紙を作った。
――合わないもの。
一。星の並びが全部違う。
二。俺の家の言葉で、壁が開く。順番が合わない。
三。旧市街の家に、生活の跡がある。椅子。壺。櫛。未来の人間の暮らしにしては、素朴すぎる。
四。蜜が入っていた。蜜を壺に詰めて蝋で封じるのは、古いやり方だ。
五。人が消える周期が、王国が滅んだ年と重なる。未来とは関係がない。
書きながら、マリの手は震えていなかった。
最後まで、震えなかった。
書き終えて、彼女は言った。
「ハルト」
「なんだ」
「これ、みっつ、めのほうが、おおい?」
「――どっちが多いか、じゃない」
俺は言った。
「合わないものが一つでもあれば、その説は違う」
「ひとつでも」
「一つでもだ」
俺は紙を並べた。
「五つある」
マリは、しばらくその紙を見ていた。
それから、小さく息を吐いた。
「……じゃあ、ちがう」
「たぶん、違う」
「たぶん」
「たぶんだ」
俺は言った。
「まだ確かめてない。確かめるまでは、違うと言い切らん」
彼女が、少しだけ顔を上げた。
「たしかめる、ほうほう、ある?」
「――たぶん、ドルスが持ってる」
俺は立ち上がった。
「あの男は、自分の説を潰す方法を先に考える種類の学者だ」
「なんで、わかる」
「手紙に、自分の嘘を先に書いてきた」
俺は上着を取った。
「そういう男は、自分の説にも同じことをする」
◇
上着を着てから、俺は一度立ち止まった。
「マリ」
「うん」
「――さっき、俺は下手なことをした」
彼女が顔を上げた。
「お前が一晩かけて書いたものを、朝一番で潰した」
俺は言った。
「言い方の順番が悪い」
「じゅんばん」
「先に『よくできてる』と言った。次に『足りない』と言った」
俺は上着の襟を直した。
「あれは、褒めてから落とす言い方だ。……人が一番こたえるやつだ」
マリは、少し目を丸くした。
「しってるの」
「知ってる」
俺は言った。
「ギルドで、見習いにやる奴がいる。俺は嫌いだった」
――嫌いだったやり方を、自分がやった。
言葉というのは、そういうものだ。
自分が言われて嫌だったことを、いつの間にか覚えている。
覚えていて、必要な時に、勝手に出てくる。
「じゃあ、どう、いえばいい」
マリが訊いた。
俺は、少し考えた。
「――先に、こう言えばよかった」
俺は言った。
「『これから、この説を潰す話をする。聞くか』と」
マリは、しばらく黙っていた。
それから、頷いた。
「それ、いい」
「そうか」
「こころ、じゅんび、できる」
彼女は言った。
「ハルト、つぎから、それ」
「――覚えておく」
俺は戸を開けた。
開けてから、もう一つ言った。
「その代わり、お前も同じでいい」
「え」
「潰す話をする時は、先に言え」
俺は言った。
「俺も、心の準備が要る」
マリは、少し笑った。
「ハルトも、いるんだ」
「要る」
「しらなかった」
「三十四だぞ」
俺は言った。
「三十四でも要る」




