一次測量
一次測量は、測量士の仕事の中で一番割がいい。
同時に、一番死ぬ。
誰も入っていない場所を最初に測るというのは、そういうことだ。地図がない。何がいるか分からない。天井が落ちるか落ちないかも、入ってみるまで分からない。
だから前払いが厚い。帰ってこない可能性を、金で先に払っておく。
依頼票にはこうあった。
――サルカド遺跡、新規区画。深さ不明。前金一万レン、成功報酬三万レン。
三万レン。
俺が一年で稼ぐ額の、半分近い。
◇
「地揺れは先週の三の日ですね」
ギルドの奥の部屋で、痩せた男が紙を広げた。
王立学士院のドルスという学者だ。ギルドが同行者として寄越してきた。四十がらみで、着ているものは上等だが袖口が擦り切れている。書き物ばかりしている人間の擦り切れ方だ。
「揺れ自体は小さい。町では棚から皿が落ちた程度です。ですが、あの遺跡の最下層で、床が抜けた」
「床が抜けた、じゃない」
俺は言った。
「あの遺跡に最下層はない。行き止まりだ。百年、誰も先がないことを確かめてきた」
「ええ。だから面白い」
ドルスは目を細めた。悪意のない、純粋に楽しそうな顔だった。
「行き止まりだと思われていた床の下に、空間があった。つまり、その床は床ではなく、蓋だった」
俺は黙った。
蓋。
誰かが蓋をしたということだ。
「学士院としては、ぜひ立ち会いたい。中層までで結構です。私は若くありませんし、荷物になる自覚はある」
「中層まで、というのは」
「危なくなったら引き返すという意味です」
賢い学者だ、と俺は思った。この手の連中は、たいてい引き返せずに死ぬ。
◇
ドルスが出ていった後、フェイラが扉を閉めた。
閉めてから、こちらを向いた。
「あの子、連れていくの」
「連れていく」
「一次よ」
「分かってる」
「分かってないでしょ」
フェイラは腕を組んだ。
「去年、一次で三人死んでる。三人とも、ここの登録よ。あんたも葬式に出た」
出た。
二人は熟練で、一人は一般だった。落盤ではない。道に迷って、水が尽きた。
「あの子、まだ言葉も分からないのよ。何かあった時に、あんたの指示が通らない」
「通る」
「通らないわよ」
「四日一緒に仕事をした」
俺は依頼票を折って、懐に入れた。
「灯りの位置がずれない。縄をたわませない。天井を見る。……見習いに半年教えてもそこまでいかない」
フェイラが黙った。
しばらく黙って、それから、ため息をついた。
「褒めてるの、それ」
「事実を言った」
「同じことよ」
彼女は帳面を開いて、俺の名前の横に何か書き足した。
「同行者、一名。名――」
筆が止まる。
「……なんて書けばいいの」
俺は少し考えた。
「マリでいい」
「本名?」
「本人がそう言った」
「意味は」
「知らん」
フェイラは呆れた顔をして、それでも書いた。
――同行者、マリ。測量助手。
紙の上で、あの娘はようやく名前を持った。
◇
準備に二日かけた。
二日というのは、俺の場合は短いほうだ。
縄、楔、灯り、油、水、食料。それに、崩落の下敷きになった時のための短いつるはし。
縄は麻を三本撚ったものを二十尋。切れた時のために、細いのをもう一本。
灯りは二つ。片方が消えた時に、もう片方から火を移せる型を選ぶ。油は五日ぶん。三日の仕事に五日ぶん持つ。
水は革袋二つ。食料はパンと干し肉、それにカラン草を一袋。
カラン草は葉を噛むと腹が減らなくなる。飢えを満たすわけではない。腹が減ったと騒ぐ頭のほうを静める草だ。旅商人と測量士だけが持ち歩く。
どれも、なくても仕事はできる。
なくてもできる物を持っていくかどうかで、帰れるかどうかが決まる。
マリは俺の後ろについて、荷を運び、並べ、俺が指した物を取った。
三日目の朝、荷を積み終えたところで、マリが荷袋を指して首を傾げた。
それから、指を二本立てて、袋を二つ指した。
二人分か、と訊いている。
俺は指を三本立てて、ドルスの方を顎で示した。
マリは頷いて、袋をもう一つ引っ張り出してきた。
――言葉がなくても、仕事は回る。
そのことに、俺は少し驚いていた。
◇
(――三万レン)
私は、荷袋の口を縛りながら考えていた。
あの紙に書いてあった数字は読めた。数字だけは、この三日で覚えた。
三万。
私の日当が五十だから、六百日ぶんだ。二年近く。
――そんな仕事に、私を連れていくんだ。
最初は、荷物持ちが要るからだと思った。
でも、たぶん違う。
置いていく場所がないんだ、この人には。
私を家に置いていっても、私は言葉が分からないから、誰とも喋れない。買い物もできない。何かあっても助けを呼べない。
だから連れていく。
それが正しいのかどうか、私には分からない。
分からないけど、この三日で分かったことが一つある。
この人は、面倒くさそうな顔をしながら、面倒くさいほうを選ぶ。
昨日、古着屋で。
私が着替えて出てきたとき、婆さんが値段を言って、彼が銅貨を数えた。
その時、私の靴を見て、彼は少し考えて、もう一足買った。
私の靴は底が薄い。町を歩くだけなら平気だけど、遺跡には向かない。
彼は何も言わなかった。ただ、袋に入れて、私の荷物の上に置いた。
私はそれを、鞄の一番下にしまった元の服の、すぐ上に載せた。
◇
旧市街の野原を歩きながら、ドルスはよく喋った。
「この一帯は、学士院では『沈下遺構群』と呼ばれています。おそらく古代帝国の地方都市の跡でしょう」
「古代帝国」
「ええ。この大陸に、かつて一つの巨大な国があった。それが崩れて、今の国々に分かれた。学士院の通説です」
「証拠は」
「様式です」
ドルスは足を止めて、近くの石組みを指した。
「どの遺構も、造りが同じでしょう。だから同じ国の物だと分かる。当たり前の話ですよ」
俺は頷いておいた。
当たり前の話だ。同じ国が建てたから、同じ造りをしている。誰でもそう考える。
ただ――同じ国が建てた建物というのは、ふつう、あそこまで同じにはならない。
メルシアの町を見ればいい。
同じ王の代に、同じ棟梁が建てた家が、通りに三軒並んでいる。図面も一枚だった。
それでも、三軒とも間口が違う。一番違うところで四寸違う。
地面が違うからだ。石の目が違うからだ。その日の職人の腕が違うからだ。
四寸のずれは、失敗ではない。当たり前だ。
俺の仕事は、その当たり前を測ることだ。
だから知っている。人が建てた物は、ずれる。
「様式が同じというのは、どのくらい同じなんだ」
「見た目です。柱の形、装飾の帯、階段の付け方」
「寸法は」
「寸法?」
ドルスが立ち止まった。
「――寸法は、測っていませんね。学士院に測量士はいませんから」
俺は少しだけ黙って、それから歩き出した。
言おうとして、やめた。
俺は測量士だ。図面に書けないことは、言わないことにしている。
◇
サルカドの入口が見えた。
ドルスが荷を下ろして息を整えている間、俺は先に石段の前に立った。
球体を外し、掌に載せる。針が北を指すのを待って、方位を控える。
それから、いつもの角度で天井を見上げた。
「――八尺二寸」
口が勝手に言った。
杆を立てる。目盛りを読む。八尺二寸。
背後で、小さな音がした。
振り返ると、マリが目を見開いて俺を見ていた。
俺の口を見て、それから杆を見て、また俺の口を見る。
――言い当てたのが、聞こえたのか。
言葉は分からなくても、数字は分かる。この娘は昨日、俺が数を数えるのを見ている。
俺は肩をすくめた。
「毎年測ってる」
通じない。
仕方がないので、俺は野帳を開いて、去年の頁を見せた。八尺二寸。一昨年の頁。八尺二寸。十年前。八尺二寸。
マリは頁をめくって、同じ数字が並んでいるのを見た。
それから、遠くの旧市街の方を指した。あの、点々と沈んでいる家々の方を。
あっちも同じなのか、と訊いている。
俺は少し考えて、頷いた。
「同じだ」
言ってから、自分の言葉が耳に残った。
同じだ。
浅い家も、深い家も、通路の幅は四尺五寸。天井は八尺二寸。段の蹴上げは六寸。
どの家も、そうだ。
俺は毎年それを測って、毎年〈相違無シ〉と書いている。
ドルスなら、同じ国が建てたからだと言うだろう。それで話は終わる。
――終わる、はずだ。
なぜ今日に限って、それが引っかかるのか。
俺は野帳を閉じた。
◇
石段の一段目、右寄りの窪み。
そこに足を置いた。
俺は口の中で短く唱える。
――シャルカディ・オム・ネイア。
いつも通りだ。誰にも聞こえない声で、息を吐くように。
だが今日は、後ろに二人いた。
ドルスは荷の紐を結び直していて、聞いていなかった。
マリは、聞いていた。
俺の口元を見ていた。
そして、俺が石段に足をかけた時、後ろから――
「……シャル、カディ、オム、ネイア?」
足が止まった。
振り返る。
マリが、自分の口を指していた。首を傾げている。
訊いている。それ、何。
発音は、少しずれていた。ずれていたが、四つの区切りは正確だった。一度聞いただけで、区切りまで拾っている。
俺はしばらく黙って、それから答えた。
「……さあな」
通じないと分かっている。
それでも、答えた。
「家の言葉だ」
マリは、俺の顔を見ていた。
意味は分からなかったはずだ。
なのに――なぜか、それ以上は訊かなかった。
まるで、答えの中身ではなく、俺がどんな顔で言ったかで、何かを察したように。
俺は前を向いて、石段を降り始めた。
背後で、マリがもう一度、小さく口の中で繰り返すのが聞こえた。




