学者からの返事
返事は、ひと月半で来た。
王都からの便は遅い。それでも、思ったより早かった。
封を開けて、俺は目を疑った。
――長い。
紙が四枚あった。
◇
一枚目は、丁寧な挨拶だった。
二枚目から、本題に入っていた。
――星表について。
貴殿のご質問にお答えします。学士院の星表は、現在のもので二百十二年ぶんです。
ただし、これは「毎晩記録した」ものであって、規則を整理したものではありません。
整理された表は、別にあります。こちらは古い。写しの写しですが、およそ四百年遡れます。
俺は、そこで一度、紙を置いた。
四百年。
十一年周期なら、三十六回ぶんだ。
◇
三枚目に、こう書いてあった。
――ところで。
貴殿は建造年代の推定とお書きになりましたが、私の見るところ、それは口実でしょう。
俺は、思わず紙を落としかけた。
――失礼を承知で申し上げます。
建造年代を星から推定する手法は、確かに存在します。ですが、それは神殿など、方位に意味を持たせた建物にのみ有効です。
沈下遺構群は、方位がばらばらです。あれは住居であって、祭祀施設ではない。
貴殿は、それをご存じのはずです。誰よりも正確に測っておられるのですから。
「……ばれてる」
俺は口に出した。
マリが横から覗き込んだ。
「なんて、かいてある」
「うそがばれた、と書いてある」
「ばれた」
「ばれた」
俺は四枚目をめくった。
◇
――それでも、私はお答えします。
なぜなら、私も同じことを考えているからです。
俺は、その一行を二度読んだ。
――サルカドの一次測量から、一年半が経ちました。
あの時、貴殿は私を中層で帰した。正しい判断でした。
ですが私は、あれから同じことを考え続けています。
継ぎ目のない壁。等間隔の枠。そして、遺構の寸法。
私は、貴殿が提出された図面を全部読みました。カラン東のものも含めて。
――寸法が、同じなのです。
全部。どの遺構も。
紙が、少し震えた。
――学士院では、これを「様式の一致」と説明します。私も長らくそう説明してきました。
しかし、様式は寸法まで一致させません。
私は、この三年で百二十の遺構の記録を集めました。そのうち、寸法の記載があるものは十四しかありません。
十四のうち、十四が同じでした。
――誰も測らなかったから、誰も気づかなかったのです。
◇
俺は、椅子にもたれた。
――そうか。
ドルスは、ずっと考えていた。
俺が二十年、書けずにいたことを、あの学者は三年かけて集めていた。
手紙の続きに、こうあった。
――ついては、ご提案があります。
来月、私はメルシアへ参ります。学士院の調査という名目を取りました。
目的は二つ。
一つ、貴殿の測量記録を直接拝見すること。
二つ、私の考えを聞いていただくこと。
――私には、一つの説があります。
まだ誰にも話していません。話せば、学士院を追われるかもしれない類のものです。
ですが、貴殿になら話せます。
なぜなら貴殿は、数字しか信じない方だからです。
◇
俺は、手紙を卓に置いた。
しばらく、何も言わなかった。
「ハルト」
「――来るそうだ」
「ドルスさん」
「来月」
マリは、少し嬉しそうな顔をした。
あの学者のことを、彼女は気に入っている。カラン村へ行く道中、乾した果物をもらったのを、まだ覚えているらしい。
「なにしに」
「話がある、と」
俺は四枚目を指した。
「説があるそうだ。誰にも話してないやつが」
「せつ」
「考え、だな。……こういうことじゃないか、という」
マリは頷いた。
それから、少し不思議そうに言った。
「なんで、ハルトに、はなす」
俺は、その一行をもう一度読んだ。
――貴殿は、数字しか信じない方だからです。
「……信用されてるらしい」
「しんよう」
「疑い深いから、信用されてる」
俺は言った。
「妙な話だ」
マリは、少し笑った。
「へん、じゃ、ない」
彼女は言った。
「うそを、しんじない、ひとが、ほんとうって、いったら、ほんとう」
◇
その夜、俺は寝る前に空を見た。
癖だ。
〈環〉が、そろそろ天頂に近い。
――四百年。
整理された星表が、四百年遡れる。
十一年周期なら、三十六回。
三十六回ぶんの空の記録があれば、規則があるかどうかは分かる。
分かってしまう。
俺は窓枠に手をついた。
――知りたいか。
自分に訊いた。
答えは、すぐには出なかった。
二十年、俺は知らずに暮らしてきた。
知らずに、悪くない暮らしをしてきた。
知れば、それが終わる。
それは分かっている。
だが、もう始まっている。
北で人が死んだ。名を呼ばれた。連中は町にいる。
――終わったものを、終わっていないふりはできない。
俺は窓を閉めた。
閉めてから、もう一つ思った。
ドルスは、三年かけて十四の数字を集めた。
誰も測らなかったから、誰も気づかなかった、と書いていた。
――俺は、二十年測っていた。
測っていて、気づいていた。
気づいていて、書かなかった。
その差は、たぶん、大きい。
◇
寝台に入ってから、俺はもう一度、四枚目を読み返した。
――貴殿は、数字しか信じない方だからです。
その一行が、引っかかっていた。
二十年、俺はそう生きてきた。
寸法だけを書く。理由は書かない。図面に書けないことは言わない。
それは、誠実さだと思っていた。
――違ったかもしれない。
俺は天井を見た。
理由を書かないのは、誠実さではない。
書けば、責任が生じるからだ。
寸法が違っていれば、測り直せばいい。誤りは数字で直せる。
理由が違っていたら、直せない。
だから書かなかった。
――逃げていた。
その言葉が、はっきり浮かんだ。
百年ぶんの図面の余白に、誰も理由を書かなかった。
みんな同じことを考えて、みんな同じように逃げた。
俺は、その一番新しい一人だ。
◇
翌朝、俺は野帳を出して、去年の頁を開いた。
サルカドの、あの壁の前の頁だ。
〈相違無シ〉と書いてある。
俺は、その下に一行足した。
〈此ノ壁、家伝ノ句ニテ開ク。理由不明〉
書いてから、しばらく見ていた。
――提出はできない。
これを書庫に出せば、ダウムの言った通りのことが起きる。
だが、書かないのとは違う。
俺の野帳には、残る。
いつか誰かが読む。
その誰かが、俺の次の代でも構わない。
俺は野帳を閉じた。
閉じてから、少しだけ、息がしやすくなった気がした。




