近くない?
ひと月が過ぎた。
外套の連中は、動かなかった。
町にはいる。時々、遠くに見える。だが近づいてこない。
俺たちも動かなかった。動く先がなかった。
その代わり、二人でひたすら紙を並べた。
◇
その間に、マリの字が増えた。
二百を超えたあたりから、彼女は帳面を読み返すようになった。
自分で書いたものを、自分で読む。
当たり前のことだが、彼女にとっては初めてのことだった。
「ハルト」
ある夜、彼女が言った。
「これ、みて」
卓に、紙を広げる。
――五十六件の、あれだ。
記録保管所で写した、いなくなった人の日付。
あれから、彼女はもう一度保管所へ通っていた。今度は、字が読める状態で。
「なにが増えた」
「なまえと、ばしょ」
彼女は指した。
「まえは、ひづけ、だけ。いまは、どこで、いなくなったか、よめる」
俺は紙を見た。
五十六行。日付。場所。
――場所。
「これ、並べ替えたのか」
「かえた」
マリは頷いた。
「ひづけ、じゅん。それから、ばしょ、じゅん」
彼女は、二枚目を出した。
場所ごとに、件数が書いてある。
俺は、その表を見た。
見て、数字を追った。
――偏っている。
「メルシア周辺が、二十二件」
「にじゅうに」
「五十六のうち、二十二」
俺は指を折った。
「残りは、あちこちに散ってる。多くて三件」
「メルシア、おおい」
「多すぎる」
俺は言った。
「メルシアは大きい町じゃない。人が多いから届けが多い、では説明がつかない」
マリは、頷いた。
そして、三枚目を出した。
「これ」
地図だった。
彼女が描いた、この一帯の図。
二十二件の場所に、点が打ってある。
――寄っている。
俺は、その点の集まりを見た。
中心が、ある。
旧市街だ。
サルカドの、あの野原。
「……ここか」
「ここ」
マリは、点の真ん中を指した。
「ぜんぶ、ここの、まわり」
◇
俺は、しばらく地図を見ていた。
――消えるのは、この一帯だ。
十一年ごとに。
サルカドの周りで。
「マリ」
「うん」
「これ、いつからだ」
「いつから?」
「一番古い記録は、いつだ」
彼女は帳面をめくった。
「ひゃくよんじゅうねん、まえ」
「保管所にあるのが、それが一番古い」
「そう」
「それより前は」
「ない」
マリは言った。
「ほかんじょ、それより、まえ、ない」
俺は、椅子にもたれた。
――記録がないだけだ。
消えていなかった、という意味ではない。
「じゃあ、逆を訊く」
俺は言った。
「一番新しいのは」
「ことし」
彼女は答えた。
「ふたり」
俺は顔を上げた。
「二人?」
「ふたり」
マリは頷いた。
「はるに、ひとり。……なつに、ひとり」
彼女は、そこで少し黙った。
「なつ、わたし、きた」
◇
俺は、その日付を見た。
夏の、届出。
場所は、旧市街の東寄り。
――俺がこの娘を拾った日と、ほぼ同じだ。
「マリ」
「うん」
「これは、お前じゃない」
「わかってる」
「お前は届けが出てない。……この国に、お前を探した者はいない」
「わかってる」
彼女は、静かに言った。
「これ、べつの、ひと」
俺は紙を置いた。
――同じ日に、この国の誰かが消えて。
同じ日に、別の世界からこの娘が来た。
偶然か。
偶然かもしれない。
だが、俺はもう、偶然という言葉を軽く使えなくなっていた。
◇
マリが、四枚目を出した。
これが最後だ、という顔をしていた。
「ハルト」
「なんだ」
「これ、こわい」
俺は紙を受け取った。
年表だった。
左に年。右に、その年の件数。
十一年ごとに、数字が跳ねている。
それは、前に見た。
だが、今度は右端に、もう一列足してあった。
「これは」
「ハルトの、くに」
俺は、その列を見た。
――王国が滅んだ年。
空欄が続いていて、ある行にだけ、印がついている。
「調べたのか」
「しらべた」
マリは言った。
「ダウムさん、おしえてくれた。ほんに、かいてある」
彼女は指を置いた。
「ここ」
俺は、その行を見た。
そして、左の年を見た。
その年の件数を見た。
――跳ねている。
十一年周期の、跳ねる年だ。
俺は、その一致を、しばらく飲み込めなかった。
「ハルト」
マリが言った。
彼女は、まっすぐ俺を見ていた。
「これ……あなたの、くにが、ほろんだ、とき」
彼女は、そこで一度、言葉を探した。
探して、はっきり言った。
「――ちかくない?」
◇
俺は、答えられなかった。
答える前に、頭が別のことを計算していた。
――近い、ではない。
同じだ。
王国が滅んだ年と、人が消えた年が、同じ。
いや。
順番はどうだ。
滅びたから、消えたのか。
消えたから、滅びたのか。
それとも――
俺は、紙を置いた。
「マリ」
「うん」
「これは、大きい」
「おおきい」
「二十年やってきて、ここまで大きい数字は初めてだ」
俺は、掌で顔を擦った。
「――だが、まだ足りん」
「たりない?」
「二点だ」
俺は言った。
「王国が滅んだ年と、人が消える年。二つが揃っただけだ。二点では線が引けない」
マリは頷いた。
「もうひとつ、いる」
「もう一つ要る」
俺は野帳を開いた。
「三つ目が揃ったら、その時は――」
言いかけて、俺は止まった。
止まったのは、三つ目の候補が、頭の中にもう浮かんでいたからだ。
浮かんでいて、口に出したくなかった。
――星だ。
十一年ごとに、空で何かが起きているなら。
俺は、窓の外を見た。
〈環〉が、東に低く出ていた。
◇
「ハルト」
マリが呼んだ。
「かおに、でてる」
「何が」
「なにか、おもいついた、かお」
俺は窓から目を離した。
――言え、と言ったのは俺だ。
その日のうちに全部言う。三日前に、二人で決めた。
「星だ」
俺は言った。
「ほし」
「十一年ごとに人が消えるなら、十一年ごとに何かが起きてる」
俺は言った。
「地面の上で十一年ごとに起きることは、思いつかん。川も、風も、そんな周期じゃない」
「そらは」
「空は、回る」
俺は指で円を描いた。
「星は決まった速さで回ってる。回り方が違う星がいくつもある。……重なる時が来る」
「かさなる」
「二つの星が、同じ場所に見える日がある。三つ重なることもある」
マリは、しばらく黙っていた。
それから、はっと顔を上げた。
「ハルト」
「なんだ」
「わたしの、しゃしん」
俺は眉を寄せた。
「しゃしん――えのこと。いたの、なかの」
彼女は、鞄を引き寄せた。
「さいご。わたし、とってない、え」
彼女は、指で三つの点を作った。
「ほし、みっつ。ちかく、あった」
俺は、椅子から立ち上がった。
「――三つ」
「みっつ」
マリは頷いた。
「あかるいの、みっつ。ちかく」
俺は、卓に手をついた。
「それは、こっちの星か」
「わからない」
彼女は首を振った。
「あれ、わたしの、くにの、そら」
――そうだ。
あの絵が撮られたのは、この娘が消える直前だ。
まだ、向こうにいた。
「マリ」
「うん」
「向こうの空でも、三つ重なってたのか」
彼女は、頷いた。
ゆっくり、はっきりと。
俺は、その意味を飲み込むのに、少し時間がかかった。
――両方でか。
こちらの空にも、周期がある。
向こうの空でも、消える夜に三つ重なっていた。
星は全部違うのに。
俺は、野帳を開いた。
開いて、書いた。
〈三ツ目ノ点、有ルカモシレズ〉




