十八年
翌朝、俺はギルドの奥の扉を叩いた。
今度は迷わなかった。
「入れ」
ダウムは、机に向かっていた。
俺が入ると、彼は書き物の手を止めて、椅子の背にもたれた。
「来ると思っとった」
「――いつから」
「三日前からな」
彼は顎で椅子を示した。
俺は座らなかった。
「北の古物商が死にました」
「聞いとる」
「ヌイ村と、同じ焼け方です」
ダウムの手が、机の上で止まった。
「……ヌイ村」
「俺が生まれた村です」
俺は言った。
「二十四年前、家が一軒焼けた。夫婦が死んで、子どもが一人残った」
部屋が、静かになった。
ダウムは、しばらく俺を見ていた。
やがて、彼は溜息をついた。
「――座れ」
俺は座った。
◇
「十八年前」
ダウムは言った。
「わしがマスターになった年だ」
「はい」
「引き継ぎの時にな。前のマスターから、一つだけ口で伝えられたことがある」
彼は指を組んだ。
「『サルカドの定期は、絶対に他所へ回すな』」
俺は、動かなかった。
「理由は言わんかった。書いたものもない。ただ、そう言われた」
ダウムは続けた。
「わしは訊いた。なぜですか、と」
「答えは」
「『知らんほうがいい』だ」
彼は苦笑した。
「腹が立ったよ。マスターを継ぐ人間に、知らんほうがいいはないだろう」
「――それで」
「調べた」
ダウムは言った。
「十八年前のわしは、まだ若かったからな」
◇
「金の出所は、追った」
彼は引き出しを開けた。
中から、古い綴りを一冊出す。
「サルカドの定期の入金だ。四半期に一度、王都の商会から来る」
「商会」
「オルガナ商会。……知らんだろう」
「知りません」
「無くなっとるからな」
ダウムは頁をめくった。
「四十年前に潰れとる」
俺は顔を上げた。
「潰れたのに、金は」
「来る」
彼は指で数字を示した。
「毎回、同じ額。同じ名義。四十年、一度も途切れとらん」
俺は、その数字を見た。
――潰れた商会から、四十年、金が来ている。
「調べたんですか」
「調べた」
ダウムは頷いた。
「王都まで行ったよ。商会の登記を見た。潰れたのは間違いない。建物も残っとらん」
「では、金は誰が」
「代理人だ」
彼は綴りを閉じた。
「王都の両替商に、口座がある。そこから毎回引かれとる。口座の名義が、オルガナ商会だ」
「口座を開いたのは」
「四十年前の登記のままだ。つまり、生きとる人間の名前じゃない」
俺は、椅子の肘を握った。
「金を入れとる者がおるはずだ。四十年ぶん」
ダウムは言った。
「そいつが誰かは、両替商も知らん。……知らんことになっとる」
◇
「そこで、わしは追うのをやめた」
彼は椅子にもたれた。
「なぜです」
「怖くなったからだ」
あっさりした答えだった。
「四十年、名前を出さずに金を払い続ける。それができる相手だ。……わしは、ただのギルドマスターだよ」
ダウムは自分の腹を叩いた。
「守るものが多い。ここには六十人の登録がある。全員に家族がおる」
俺は、何も言わなかった。
「わしは、その時に決めた」
彼は言った。
「サルカドの定期は、言われた通り、あの家に回す。中身は訊かん。……十八年、そうしてきた」
「なぜ、今話すんです」
「北で人が死んだからだ」
ダウムは、真顔になった。
「金の話で済んどるうちは、放っておける。人が死に始めたら、話が違う」
◇
彼は立ち上がって、棚から別の綴りを出した。
紙が黄ばんで、端が欠けている。
「これだ」
卓に置く。
「先に言っておくが、これを見たら、お前は調べる」
「――調べます」
「そうだろうな」
ダウムは綴りを開いた。
古い図面だった。サルカドのものだ。俺の知っている形をしている。
だが、線の引き方が違う。
――基準線が、ない。
「これは、うちの家系のものじゃない」
「そうだ」
ダウムは頷いた。
「百二十年前だ。うちの家が引き継ぐ前の図面だな」
俺は頁をめくった。
そして、余白のところで手が止まった。
――模様がある。
同心円。枝分かれする線。
図面の隅に、小さく描かれている。
説明は、ない。
俺は、その隣にもう一つ、書き込みがあるのに気づいた。
文字だ。
この国の文字ではない。
規則が、整いすぎている。
俺は、杆を握った。
柄の銘と、同じ作りだった。
◇
「読めるか」
ダウムが訊いた。
「読めません」
「わしもだ」
彼は綴りを閉じかけて、止めた。
「一つだけ言っておく」
「はい」
「この綴りには、続きがあった」
俺は顔を上げた。
「十八年前、わしがこれを見つけた時、二冊あった。今は一冊しかない」
「――どこへ」
「知らん」
ダウムは言った。
「わしが見つけた時点で、もう一冊は棚から消えとった。記録にはあるが、現物がない」
「いつ消えたんです」
「記録では、四十二年前だ」
俺は、その数字を頭の中に置いた。
四十二年前。
オルガナ商会が潰れたのが、四十年前。
――近い。
「ダウムさん」
「なんだ」
「消えた綴りには、何が書いてあったと」
「知らんよ」
彼は肩をすくめた。
「ただ、この一冊は『上』とだけ書いてある」
ダウムは表紙を指した。
確かに、隅に一文字だけある。
――〈上〉。
「上があるなら、下がある」
彼は言った。
「下は、サルカドの深いところの図面だろうな。……わしは、そう思っとる」
◇
俺は、綴りを閉じた手を、しばらく離さなかった。
「ダウムさん」
「なんだ」
「この綴りを、俺に貸してもらえますか」
「貸さん」
即答だった。
「――なぜ」
「持ち出した時点で、記録が残る」
ダウムは言った。
「書庫の出納は、受付が付ける。フェイラの字でな」
彼は指を組んだ。
「フェイラを、この話に入れるか」
俺は、口を閉じた。
――そうだ。
紙を一枚動かすだけで、人が一人巻き込まれる。
「この部屋でなら、いつでも見ろ」
ダウムは言った。
「わしの部屋に誰が入ったかは、誰も付けとらん。マスターの部屋だからな」
「――十八年、そのために使ってきたんですか」
「そんな上等なもんじゃない」
彼は苦笑した。
「昼寝に使っとる」
◇
俺は、綴りをもう一度開いた。
余白の模様と、読めない文字。
文字は、七つの形で出来ていた。
同じ形が、繰り返し出てくる。
俺は、それを野帳に写した。
写しながら、数を数えた。
――七つだ。
七つの形が、二十三回。
杆の柄の銘は、五つの形が九回だった。
俺は、両方を並べた。
形は、四つが共通していた。三つは、綴りにしかない。
「――同じ字の仲間だ」
俺は言った。
「同じ字ですか」
「同じ体系だ。使ってる形が重なってる」
ダウムが覗き込んだ。
「杆の銘か」
「知ってたんですか」
「知っとる」
彼はあっさり言った。
「お前の師匠が持っとった杆だ。あれの柄に妙な字があるのは、この町の古株なら誰でも知っとる」
俺は顔を上げた。
「誰も、俺に言いませんでした」
「言うか」
ダウムは肩をすくめた。
「他人の家の道具に彫ってある字を、いちいち指摘する奴はおらん」
――そうだ。
誰も言わなかったから、俺は気づかなかった。
二十年、手の中にあったのに。




