測量士らしからぬ
俺は、道の幅を測った。
癖だ。
六尺。荷車が一台通る幅。
左は塀。右は溝。
――横に並べるのは、二人まで。
四人だが、同時に来られるのは二人。
俺は杆を寝かせた。
「マリ。後ろだ」
「うん」
彼女は、俺の背中に回った。
迷わなかった。それだけで、こちらの息が半分楽になった。
◇
「物騒ですね」
先頭の男が言った。
三十代半ば。中肉中背。目が細い。
外套は上等だ。汚れていない。
「話をしに来ただけです」
「早朝の霧の中でか」
「昼間は、人目がありますので」
男は微笑んだ。
「あなたを困らせたくない」
――言葉が丁寧すぎる。
こういう喋り方をする連中を、俺は一度だけ見たことがある。
王都から来た徴税の役人だ。
あの時も、最後まで丁寧だった。丁寧なまま、村を一つ潰した。
「用件は」
「絵を一つ、見ていただきたい」
男は懐から紙を出した。
広げる。
同心円と、枝分かれする線。
「見覚えは」
「ない」
「即答ですね」
「見覚えのないものは、即答できる」
男は、少し笑った。
「なるほど」
彼は紙を畳んだ。
「では、質問を変えます」
俺は杆を握り直した。
「あなたのお父上のお名前を、伺っても」
◇
空気が変わった。
俺は答えなかった。
答えなかったことが、答えになるのは分かっていた。
男は、それを待っていた。
「失礼」
彼は言った。
「立ち入ったことでした」
そして、一歩下がった。
――下がった。
俺は、その動きの意味を、遅れて理解した。
下がるということは、後ろの三人に前を空けるということだ。
左の男が動いた。
速い。
棒だ。俺の杆より短く、太い。
狙いは俺ではなかった。
俺の右――背中の後ろ、マリのほうへ回り込もうとしている。
◇
俺は、考えなかった。
考える時間はなかった。
右足を軸に半歩引いて、杆の石突きを、床すれすれに横へ払った。
男の前足が引っかかる。
体が泳ぐ。
泳いだところへ、杆を立てて回し、握りの側で肩の付け根を打った。
骨は狙わない。関節を狙う。
男が体勢を崩して、溝に落ちた。
――一つ。
振り返る間もなく、右から二人目。
こちらは正面から来た。
俺は下がらなかった。
下がれば、マリとの間が開く。
前へ出た。
相手の腕が伸びきる前に、内側へ入る。杆は使わない。使えない距離だ。
肘で顎を跳ね上げて、そのまま体をぶつけた。
男が仰向けに倒れる。
――二つ。
俺は、そこで杆を持ち直した。
三人目が、途中で足を止めていた。
止めたまま、動かない。
◇
息を整える。
――四つ数えるほど。
いつもと同じだ。
いつもと同じであることに、俺は途中で気づいた。
気づいて、背中が冷えた。
――やりすぎた。
測量士は、こういう動きをしない。
獣は避ける。人は避ける。危ないところへは行かない。それが俺の仕事の作法だ。
今、俺は前へ出た。
二人を、五つ数える間に潰した。
これは、避ける人間の動きではない。
◇
先頭の男が、両手を挙げた。
「――失礼しました」
彼は、心底面白がっている顔をしていた。
「話が違いますね」
「何が」
「聞いていた話では、あなたは『測って帰るだけの男』でした」
男は、溝の中の部下を見下ろした。
「三度、確かめたはずなのですが」
俺は動かなかった。
「――三度」
「ええ」
男は微笑んだ。
「カラン村で、一度。街道で、一度。町で、一度」
俺は、その三つを頭の中で並べた。
カラン村の丘。
帰りの峠。
そして、家の通り。
――全部、見られていた。
「あなたは、一度も剣を抜かなかった。獣も避けた。荒事の気配を見せなかった」
男は、外套の前を直した。
「だから、こういう形で確かめさせていただいた」
俺は、口の中が苦くなった。
――試された。
最初から、そのつもりで来た。
俺は、それに乗った。
乗った理由は、はっきりしている。
この男は、俺ではなく、マリのほうへ回り込ませた。
そうすれば俺が動くと、分かっていた。
◇
「もう一度、伺います」
男は言った。
「お父上のお名前を」
俺は答えなかった。
「答えていただかなくても、結構です」
彼は頭を下げた。
「本日はここまでに」
三人目が、溝の男を引き上げていた。
仰向けに倒れた男も、自分で起き上がった。俺は骨を折っていない。折らないように打った。
男は背を向けて、歩き出した。
二歩進んで、立ち止まった。
振り返らずに、こう言った。
「――お一人でしたら、我々も無理はしません」
俺は動かなかった。
「ですが、お連れがいらっしゃる」
男は、そこで初めて振り返った。
俺の後ろを見ていた。
マリを、見ていた。
「珍しい髪の色ですね」
俺は杆を握り直した。
男は微笑んだ。
「――では」
霧の中へ、四人が消えていった。
足音が、最後まで揃っていた。
◇
俺は、しばらく道の真ん中に立っていた。
やがて、後ろで声がした。
「ハルト」
振り返る。
マリが、俺を見ていた。
顔が、白かった。
――怖がらせた。
そう思った。
だが、彼女の顔は、恐怖の顔ではなかった。
もっと別のものだった。
「……いま」
マリは言った。
「ハルト、まえに、でた」
俺は、答えられなかった。
「いつも、さがる。まもうとする、とき、さがる」
彼女は、俺の杆を見た。
「いま、まえに、でた」
俺は、口を開いた。
「――そうだな」
それしか言えなかった。
言えなかったのは、なぜそうしたかを、自分でも説明できなかったからだ。
いや。
説明はできる。
できるが、口に出したくなかった。
俺は杆の泥を拭った。
「行くぞ」
マリは、頷いた。
頷いて、俺の隣に並んだ。
後ろではなく、隣に。
◇
しばらく歩いてから、俺は口を開いた。
「マリ」
「うん」
「さっき、俺が二人潰した。見てたな」
「みてた」
「怖かったか」
彼女は、少し考えた。
「……ちがう」
「違う」
「こわい、じゃ、ない」
マリは、言葉を探していた。
「ハルト、いつも、しずか。……あのとき、しずかじゃ、なかった」
俺は歩調を落とした。
「怒ってたか」
「おこってた」
彼女は頷いた。
「かお、いつもと、おなじ。でも、おこってた」
――見抜かれている。
俺は、自分でも気づいていなかった。
あの一瞬、俺は間違いなく腹を立てていた。
試された、というだけではない。
この娘のほうへ、先に回り込ませたことだ。
あれは、俺を測るために、この娘を使った。
人を測るのに、人を使った。
俺の仕事では、それをやらない。
測るのは物だ。物なら、何をどう当てても構わない。
――だが、俺だって人を使って測ることはある。
村で、被害の話を聞いて回った。日付を、時刻を、家ごとに。
あれも人を測っている。
違いはどこだ。
考えて、答えは出た。
俺は、相手に嘘をつかない。
それだけの違いだ。
それだけの違いで、腹が立つかどうかが変わる。
◇
その日、俺たちは街道を十五里ほど歩いた。
歩きながら、俺は数えていた。
――追ってきていない。
振り返らずに数える方法がある。
道の曲がり角で、内側を歩く。曲がりきる瞬間、来た道が視界の端に一瞬だけ入る。
三度やった。三度とも、誰もいなかった。
だが、安心はしなかった。
あの連中は、俺の周りを測っている。
測る人間は、対象に張りつかない。
張りつけば、対象が動きを変えてしまうからだ。
――俺と同じやり方だ。
俺は、遺跡で獣を追う時、足跡だけを見る。姿を追わない。
姿を追えば、向こうもこちらに気づく。
足跡は嘘をつかない。
「マリ」
「なに」
「宿は、街道沿いを使う」
「かくれない?」
「隠れない」
俺は言った。
「隠れると、隠れたことが情報になる」
彼女は少し考えて、頷いた。
「ふつうに、する」
「普通にする」
――そのほうが、まだ読まれにくい。




