四つの点
俺は卓に野帳を広げた。
マリが向かいに座った。
「順に話す」
「うん」
「途中で分からん言葉が出たら、止めろ」
「とめる」
俺は頁をめくった。
◇
「まず、これだ」
俺は、ゼルから買った紙を置いた。
同心円と、枝分かれする線。
「みたこと、ある」
「四か所ある」
俺は指を折った。
「一つ。サルカドの、開いた壁の上」
「うん」
「二つ。狐の背中」
「うん」
「三つ。カラン村の、床」
「うん」
「四つ」
俺は、少し間を置いた。
「ヌイ村の、俺の生まれた家の基礎」
マリは頷いた。
「そして、この紙だ」
俺は紙を指した。
「町に来てるよそ者が、これの絵を持ち歩いてる。『どこで見たか』を訊いて回ってる」
「さがしてる」
「探してる。だが、物は要らないらしい。場所だけを集めてる」
俺は野帳の白紙の頁を開いて、点を四つ打った。
「――地図を作ってるんだ。俺と同じことをしてる」
マリは、その四つの点を見た。
見て、少し考えて、こう言った。
「ハルトの、ほうが、おおい?」
俺は顔を上げた。
「どういう意味だ」
「ハルト、よっつ、しってる。あのひとたち、いくつ?」
――そこを訊くのか。
「分からん」
「もし、みっつ、だったら」
彼女は言った。
「ハルト、たすことができる」
俺は、そのことを考えていなかった。
考えていなかった自分に、少し呆れた。
俺はこの三月、ずっと追われる側の頭で考えていた。
この娘は、盤面を見ている。
◇
「もう一つある」
俺は続けた。
「この模様を、俺は昔から見てた」
「むかし」
「今日、思い出した。……ヌイ村の石を見てからだ」
俺は野帳をめくった。
カラン村で描いた、床の模様の図。
「これを写してる時、手が勝手に動いた」
「て」
「線の順番だ」
俺は筆を取って、紙に描いてみせた。
まず中心の円。次に外側の円。それから、線を三本。左から右へ。
「見て写すなら、こうはならない。ふつうは目についたところから写す」
俺は筆を置いた。
「俺は、順番を知ってた」
マリが、俺の顔を見た。
「知ってた、ということは、描いたことがある」
俺は自分の掌を見た。
「――子どもの頃に、描かされたんだと思う」
覚えていない。
覚えていないが、手が覚えている。
測量の構えと同じだ。トバスに言われるまで、俺は自分の構えが変わっていることを知らなかった。
体は覚えている。頭が忘れている。
◇
マリは、しばらく黙っていた。
それから、静かに言った。
「ハルト」
「なんだ」
「おとうさん、なんて、いってた」
俺は、顔を上げた。
「なにか、いってた、はず」
彼女は言った。
「まじない、おしえた。もよう、かかせた。……なにか、いってた」
――言っていた。
思い出した。
思い出したというより、ずっとそこにあったものを、今日まで見なかっただけだ。
俺は、口を開いた。
「――昔、うちは王の家だった、と」
自分の声が、遠く聞こえた。
「親父はそう言った。俺は笑った」
俺は椀を握った。
「行商の家だぞ。壺と金具を売って歩いてた。王もクソもあるか」
「わらった」
「笑った。……親父も、それ以上言わなかった」
俺は椀を置いた。
「たぶん、親父も信じてなかった。子どもの俺に言って、笑われて、それで終わりにしたんだ」
二十四年、俺はそれを、家の与太話として仕舞っていた。
どこの家にもある。うちは昔は偉かった、という類の話だ。
――だが。
名前のない依頼者が、百年金を払っている。
まじないを唱えると、壁が開く。
基礎の角に、紋章の石がある。
揃いの外套の連中が、二十年前もヌイ村を回っていた。
俺は野帳を閉じた。
「マリ」
「うん」
「俺は、たぶん、そういう家の人間だ」
言葉にすると、ひどく間抜けに聞こえた。
「信じてない。今も信じてない。だが――」
俺は言葉を探した。
「信じてないことにしておくのが、そろそろ難しい」
マリは、頷いた。
驚いた顔はしなかった。
その代わり、こう言った。
「じゃあ、あのおまじない」
彼女は、指を四つ立てた。
「あれも、おうけの、ことば」
――繋がってしまった。
俺が言うより先に、この娘が繋げた。
俺は、しばらく何も言えなかった。
◇
「町を出る」
俺はそう決めた。
「でる」
「一月ほどだ。北の依頼を受ける。遠いところがいい」
俺は荷を引き寄せた。
「連中が探してるのは場所だ。俺じゃない。……まだ、俺じゃない」
「まだ」
「まだだ。だが、家の通りを歩いてる」
俺は縄を袋に入れた。
「先手を打つ」
マリは立ち上がって、自分の荷を取った。
迷わなかった。
「マリ」
「なに」
「――残ってもいい」
俺は言った。
「お前は関係ない。……いや」
俺は言い直した。
「関係あるかどうかは、お前が決めていい」
マリは、俺を見た。
しばらく見て、それから、笑った。
「いく」
「即答だな」
「そくとう」
彼女は荷を担いだ。
「ハルト、いなくなったら、こまる」
◇
荷を作りながら、俺は棚の上を見た。
包んだ狐。蜜の壺。
どちらも置いていくつもりだった。
置いていくつもりで、結局、狐だけ荷に入れた。
――なぜ入れた。
自分に訊いて、理屈は出た。
この狐は、四つの点のうちの一つだ。
他の三つは動かない。サルカドの壁も、カランの床も、ヌイ村の石も、その場所にある。
狐だけが、持ち運べる。
連中が場所を集めているなら、動く点は置いていけない。
――そういう理屈だ。
理屈をつけてから、俺は少し苦笑した。
本当は、もっと単純だ。
拾って、直しかけて、まだ直っていない。
途中で終わったものを、俺は置いていけない。
俺は狐を布で二重に包んで、荷の一番下に入れた。
◇
出たのは、翌朝の暗いうちだった。
東の門は避けた。北へ抜ける、荷車用の細い道を選んだ。
人通りはない。
霧が出ていた。
二百歩ほど歩いて、俺は足を止めた。
――前が、白い。
霧の向こうに、影があった。
一つ。二つ。
三つ。四つ。
道の幅いっぱいに、並んで立っている。
俺は杆を持ち替えた。
影が、近づいてくる。
足音が揃っていた。
揃いの外套が、霧の中から出てきた。
先頭の男が、こちらを見て、丁寧に頭を下げた。
「――おはようございます」
声は、驚くほど穏やかだった。
「早いお発ちですね」
◇
俺は、その一言で、状況を読んだ。
――待たれていた。
この道を通ることを、知っていた。
東の門を避けて、北の荷車道を選んだ。夜明け前に出た。誰にも言わなかった。
それでも、先回りされている。
方法は二つある。
一つ。家を見張っていて、俺たちが出るのを追ってきた。
だが、それなら後ろから来る。前には立てない。
二つ。町から出る道を、全部押さえていた。
メルシアの出口は、大門が二つ、荷車道が三つ、あとは畑を突っ切る細道が二本。
七つだ。
七つ全部に人を置くには、最低でも十四人要る。二人一組で見張るなら、そうなる。
――四人ではない。
俺は、霧の向こうを見た。
見えるのは四人。
見えていないのが、あと十人いる。
◇
――だとすると、逃げるという手は消える。
俺は、頭の中でそれを消した。
消したうえで、残っている手を数えた。
一つ。話を聞く。
二つ。押し通る。
三つ。引き返す。
三つ目は、意味がない。町へ戻っても、同じ連中が待っている。
二つ目は、四人なら勝てるかもしれない。だが十四人には勝てない。
――一つしかない。
俺は杆を寝かせた構えのまま、少しだけ握りを緩めた。
緩めたのは、こちらから仕掛けないと伝えるためだ。
相手が丁寧なら、こちらも丁寧にやる。
丁寧なやり取りの間だけ、時間が稼げる。
時間が稼げれば、数えられる。
――何を数える。
この連中が何を知っていて、何を知らないかを、だ。
訊かれた質問から、それは出る。
人は、知らないことしか訊かない。




