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測量士と転移者  作者: ごま


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24/42

ヌイ村へ

 三日、俺たちはほとんど口をきかなかった。


 仕事はした。


 縄は張られたし、灯りの位置もずれなかった。


 ずれないことが、いっそう悪かった。


 この娘は、腹を立てていても仕事の手を抜かない。


 抜かないから、こちらは謝る糸口を掴めない。


    ◇


 四日目の朝、俺は荷を作っていた。


 マリが土間から見ていた。


「しごと?」


「いや」


 俺は縄を袋に入れた。


「ヌイ村へ行く」


「ヌイ」


「北へ、馬車で一日半だ」


 彼女は、しばらく黙っていた。


「しごと、ない」


「仕事じゃない」


「じゃあ、なに」


 俺は手を止めた。


 止めて、それから、正面を向いた。


「――俺が生まれた村だ」


 マリの目が、少し開いた。


「墓がある」


 俺は言った。


「親の墓だ。二十四年、行ってない」


 彼女は、何も言わなかった。


「一緒に来い、とは言わん」


 俺は荷を担いだ。


「だが、来てもいい」


    ◇


 馬車に乗るまで、彼女は何も言わなかった。


 乗ってからも、しばらく黙っていた。


 半日ほど過ぎて、窓の外の景色が丘に変わった頃、マリが口を開いた。


「ハルト」


「なんだ」


「なんで、いく」


 俺は、少し考えた。


 嘘をつかない答えを、探した。


「――何かを思い出したいわけじゃない」


「うん」


「思い出せるほど、覚えてない。十だった」


 俺は膝の上の杆を見た。


「ただ、この三月、自分の家のことばかり考えてる」


「うん」


「考えてるのに、俺は何も知らん」


 俺は正直に言った。


「親父の名前は知ってる。母の名前も知ってる。それだけだ」


「なまえだけ」


「墓に行けば、少なくとも石はある」


 マリは頷いた。


「いしは、なにも、いわない」


「言わないな」


「でも、ある」


「ある」


 彼女は、そこで少しだけ笑った。


 四日ぶりだった。


    ◇


 ヌイ村は、思っていたより小さかった。


 家が二十軒あるかどうか。丘の中腹に、へばりつくように並んでいる。


 覚えていない。


 二十四年ぶりに来て、まったく覚えていなかった。


 ――いや。


 井戸の位置だけ、覚えていた。


 村の入口から、右に折れて、坂を少し下ったところ。


 俺は何も考えずにそこへ歩いて、井戸の前で立ち止まった。


「――ここだ」


「なにが」


「井戸だ」


 俺は縁石に手を置いた。


「ここで、水を汲まされた。桶が重くて、半分こぼした」


 言葉が、勝手に出てきた。


「怒られなかった。母が笑って、また汲みに行けと言った」


 俺は、手を離した。


 それだけだった。


 思い出したのは、それだけだ。


 母の顔は、出てこなかった。


    ◇


 墓は、村の裏手の斜面にあった。


 石が二つ。


 どちらも小さい。名前が彫ってあるが、風化して半分読めない。


 周りに草が生えている。刈られた跡はない。


 俺はしゃがんで、草を抜いた。


 マリも、隣にしゃがんで、抜き始めた。


 二人で、しばらく無言で草を抜いた。


 石が見えるまで、四半刻かかった。


    ◇


 俺は、石の前に座った。


 何を言えばいいのか、分からなかった。


 祈る習慣がない。


 この国には、死者に語りかける作法がある。俺は教わっていない。教わる前に、教える人間がいなくなった。


 結局、俺は口の中で、いつものやつを唱えた。


 ――シャルカディ・オム・ネイア。


 言ってから、自分でおかしくなった。


 遺跡に入る前のまじないだ。墓の前で唱えるものではない。


 だが、俺が親父から受け取ったのは、これしかない。


 これしか、受け取っていない。


 俺はしばらく、そのまま座っていた。


    ◇


 村の年寄りに、話を聞いた。


 俺のことを覚えている者は、一人だけいた。


 八十近い婆さんで、耳が遠い。


「ああ、あの家か」


 彼女は言った。


「よそから来た夫婦だったねえ。ここに五年ばかりいた」


「五年」


「そのくらいだ。子が一人いた。……あんたかい」


「そうです」


 婆さんは、俺の顔をしげしげと見た。


「似とるね。母親に」


 俺は、その一言で、少し息が詰まった。


「何をしていた家ですか」


「行商だったよ。古いもんを買い集めて、王都のほうへ売りに行っとった」


 ――遺跡の物か。


 俺は訊いた。


「遺跡に入っていましたか」


「入っとったろうね。壺だの、金具だの、そういうもんを持って帰っとった」


 婆さんは肩をすくめた。


「珍しくもない。この辺じゃ、みんなやる」


「亡くなった時のことは」


 婆さんの顔が、少し曇った。


「――火事だった、と聞いとる」


「火事」


「わしは見とらん。夜だったからね。朝には焼けとった」


 彼女は首を振った。


「変だと言う者もおったよ。あの家は火の始末がいい家だったから」


 俺は、動かなかった。


「あんた、どうやって助かったんだい」


「――覚えていません」


 それは、本当だった。


 覚えているのは、走ったことだけだ。


 誰かに手を引かれて、暗い中を走った。


 その手が誰のものだったかも、覚えていない。


    ◇


 婆さんの家を出ると、日が傾いていた。


 マリが、少し離れたところで待っていた。


 俺が近づくと、彼女は何も訊かずに歩き出そうとした。


「マリ」


 俺は呼び止めた。


「うん」


 彼女は振り返った。


 俺は、しばらく言葉を探した。


 探して、見つからなかったので、そのまま言った。


「――この前は、悪かった」


 マリの目が、少し開いた。


「お前が悪いんじゃない」


 俺は続けた。


「危ないと思ったのは本当だ。だが、あの言い方は違った」


「……うん」


「言えない理由がある」


 俺は言った。


「話せば、お前を巻き込む。だから話さないと決めた。決めたのは俺だ」


 風が吹いて、斜面の草が鳴った。


「――だが」


 俺は、そこで一度、言葉に詰まった。


「まだ、うまく言葉にできないだけだ」


 言った。


 言ってから、自分でも、ずいぶん情けない言い訳だと思った。


 マリは、しばらく黙っていた。


 それから、こう言った。


「それで、いい」


「いいのか」


「いい」


 彼女は頷いた。


「『かんけいない』は、いや。『まだ、いえない』は、いい」


 俺は、その違いを、少し考えた。


 考えて、なるほどと思った。


 関係ない、は終わりの言葉だ。


 まだ言えない、は途中の言葉だ。


「――覚えておく」


「おぼえて」


 マリは、そこで初めて笑った。


 ちゃんと笑った。


「わたしも、ある」


「何が」


「まだ、いえないこと」


 彼女は、そう言って、先に歩き出した。


 俺は、その背中をしばらく見ていた。


    ◇


 斜面を降りながら、俺は考えていた。


 ――言い直すのに、四日かかった。


 四日だ。


 一言、言い方が悪かったと言えば済む話に、四日。


 その四日、俺は仕事をして、飯を食って、寝た。普通に暮らした。


 普通に暮らしながら、ずっと引っかかっていた。


 引っかかったまま何もしなかったのは、言い直す機会がなかったからではない。


 機会は毎日あった。朝も、昼も、夜も、同じ部屋にいた。


 ――怖かったのだ。


 言い直せば、話が続く。


 続けば、いつか核心に行き着く。


 だから黙って、四日置いた。


 置いた四日で、何が良くなったか。


 何も良くならなかった。


 俺は坂の途中で、少し立ち止まった。


 ――親父も、こうだったんだろうか。


 うちは昔、王の家だった、と言って、俺に笑われて、それきり黙った。


 あの人も、言い直す機会は毎日あったはずだ。


 言い直さないまま、死んだ。


 俺は歩き出した。


 同じにはなりたくない、と初めて思った。


    ◇


 村の入口で、マリが立ち止まった。


「ハルト」


「なんだ」


「ここ、うまれた、ところ」


「そうだ」


 彼女は、村を見回した。


 二十軒。畑。井戸。斜面。


「ちいさい」


「小さいな」


「メルシアより、ずっと」


「そうだ」


 マリは、しばらく黙っていた。


 それから、こう言った。


「わたしの、おばあちゃんの、むらも、ちいさい」


 俺は横を見た。


「いえ、さんじゅうけん、くらい」


 彼女は指で数える仕草をした。


「みせ、ひとつ。がっこう、ない。こども、いない」


「――子どもがいないのか」


「いない。みんな、まちに、いく」


 マリは笑った。


 少し寂しい笑い方だった。


「おばあちゃん、ひとり」


 俺は、その言葉の重さを、しばらく考えた。


「――寂しくないのか、と訊いたことは」


「ある」


「なんて」


「『さびしくない』って」


 マリは肩をすくめた。


「うそ」


「嘘だな」


「うそ」


 彼女は頷いて、それから前を向いた。


「みんな、うそ、つく。やさしい、うそ」


 俺は、何も言わなかった。


 言わなかったが、その一言は、しばらく耳に残った。


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