表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
測量士と転移者  作者: ごま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
23/41

関係ない

それから四日、何も起きなかった。


 何も起きないのが、一番きつい。


 俺は短い仕事を選び続けた。マリは何も言わなくなった。


 言わなくなったのは、納得したからではない。


 言っても変わらないと分かったからだ。


    ◇


 五日目の夜だった。


 マリが、自分の帳面を持って卓に来た。


「ハルト」


「なんだ」


「これ、みて」


 開かれた頁に、文字が並んでいた。


 この国の文字だ。彼女が書いたにしては、形が整っている。


「――写したのか」


「うつした」


 彼女は頷いた。


「きょう、まちで、きいた。ひとが、はなしてた。おなじ、ことば、なんかい、でた」


 俺は文字を見た。


 写しは正確だった。彼女は意味を知らないまま、音でも形でもなく、見た通りに写している。


 書いてあるのは、二つの言葉だった。


 ――〈王家〉


 ――〈生き残り〉


 俺は、帳面を持つ手が止まった。


「これ、なんて、よむ」


 マリが訊いた。


 俺は答えなかった。


「ハルト」


「……どこで聞いた」


「いちば」


「誰が話してた」


「しらない、ひと。ふたり」


 彼女は正確に答えた。


「わたしのこと、みた。それから、こえ、ちいさく、した」


 俺は帳面を閉じた。


「もう、市場には一人で行くな」


「え」


「一人で出るな。買い物は俺が行く」


 マリが立ち上がった。


「なんで」


「危ないからだ」


「なにが」


 俺は答えなかった。


「ハルト。なにが、あぶない」


「――言えん」


「なんで」


「言えんからだ」


 声が、少し大きくなった。


 自分でも分かった。分かったが、止まらなかった。


「マリ」


「うん」


「その言葉は、二度と写すな」


 彼女の顔が、変わった。


「……なんで」


「危ないと言ってる」


「わたし、しりたい」


「知らなくていい」


「なんで」


「――お前には関係ない」


    ◇


 言った瞬間に、部屋の空気が死んだ。


 マリは、口を開いたまま止まっていた。


 俺は、自分が何を言ったか、二呼吸ぶん遅れて理解した。


 お前には関係ない。


 ――事実だ。


 この娘は、俺の家の話に何の関係もない。


 俺の親父が誰で、なぜ死んで、なぜ噂が流れているのか。


 全部、この娘には関わりのないことだ。


 だから、巻き込みたくない。


 その意味で言った。


 その意味で言ったつもりだった。


 だが、口から出た形は、そうではなかった。


 マリの手が、帳面の端を握っていた。


 握って、それから、ゆっくり離した。


「……そう」


 彼女は、それだけ言った。


「かんけい、ない」


 俺は口を開いた。


「マリ、違う」


「ちがわない」


 彼女は帳面を胸に抱えた。


「ハルト、いま、そう、いった」


 声が、いつもと同じ調子だった。


 それが、かえって悪かった。


 泣かれたほうが、まだよかった。


「わたし、しごとの、ひと。それは、しってる」


「――そうじゃない」


「にちとう、ごじゅうレン。もらってる。しごと、してる」


 マリは、まっすぐ俺を見ていた。


「かぞく、ちがう。ともだち、ちがう。ハルトの、いえのこと、きく、けんり、ない」


 彼女は、そこまで言って、少し息を吸った。


「わかってる。ずっと、わかってた」


「マリ」


「でも」


 彼女は、初めて視線を落とした。


「……いっしょに、あなの、なかに、いた」


 俺は、何も言えなかった。


「よっか。ごはん、はんぶん。みず、はんぶん」


 彼女の声が、少しだけ震えた。


「あのとき、かんけい、あった」


    ◇


 彼女は帳面を持って、寝台のほうへ行った。


 背を向けて、毛布をかぶった。


 俺は椅子に座ったまま、動けなかった。


 灯りが、じりじりと燃えていた。


 ――言い直せばいい。


 そう思った。


 立ち上がって、肩を叩いて、「言い方が悪かった」と言えばいい。


 簡単なことだ。


 簡単なことが、できなかった。


 言い直すには、なぜそう言ったのかを説明しなければならない。


 説明するには、噂の中身を話さなければならない。


 噂の中身を話すには――


 俺は、そこで止まった。


 止まった先に、何があるのかは分かっていた。


 俺の家は、たぶん、ただの測量士の家ではない。


 百年、名前のない誰かが金を払い続けている家だ。


 まじないを唱えると壁が開く家だ。


 それを話すということは、この娘を、その中に引き込むということだ。


 ――巻き込みたくない。


 だから黙る。


 黙るために、あんな言い方をした。


 俺は灯りを消した。


 消してから、暗がりで、自分に言った。


 ――守っているつもりで、傷つけた。


 それは、守ったことにならない。


    ◇


(――泣かない)


 私は、毛布の中で目を開けていた。


 泣くのは、違うと思った。


 だって、あの人は間違ったことを言っていない。


 私は雇われてるだけだ。家族でも、友達でも、恋人でもない。


 拾われて、仕事をもらって、ご飯をもらって、言葉を教えてもらっている。


 それだけの関係だ。


 ――それだけの関係で、四日間、地面の下にいた。


 私は毛布を握った。


 あの四日間で、私はこの人のことを、勝手にたくさん知った。


 パンを半分にする人だってこと。


 櫛を元の場所に戻す人だってこと。


 寝る前に必ず空を見る人だってこと。


 でも、この人は、私に何も言わない。


 私が知ってることは、全部、勝手に見て取ったことだ。


 ――言葉が通じるようになって、かえって遠くなった。


 通じなかった頃は、絵を描いた。


 絵を描けば、伝わった。


 今は、言葉がある。


 言葉があるから、この人は「なんでもない」が言える。


(……ずるい)


 私はそう思って、それから、思い直した。


 私も同じだ。


 あの土偶のことを、まだ言っていない。


 三月ずっと、言っていない。


 言えるようになったのに、言っていない。


 同じだ。


 同じだと分かっているのに、悔しかった。


    ◇


 私は、毛布の中で、この三か月を数えた。


 最初の一週間。何も分からなくて、ただ怖かった。


 次の一か月。言葉を覚えて、市場に行けるようになった。


 次の一か月。仕事ができるようになった。日当をもらった。


 この一か月。記録保管所に通って、五十六人を見つけた。


 ――全部、前に進んでる。


 進んでるはずなのに、今日、はっきり分かったことがある。


 私はまだ、この人の何も知らない。


 名前は知ってる。仕事は知ってる。手の癖も、歩幅も、寝る前に空を見ることも知ってる。


 でも、この人がどこから来て、何を抱えてるのかを、一つも知らない。


 知らないまま、私はこの人の家に住んで、この人のお金でご飯を食べてる。


(――どっちが、関係ないんだろう)


 私は毛布を引き上げた。


 そう考えると、あの人の言ったことは、たぶん正しい。


 正しくて、それでも痛い。


 正しいことは、痛くないわけじゃない。


 私はそのことを、日本にいた頃から知っていた。


    ◇


 朝になって、私たちは普通に起きた。


 普通に、パンを焼いた。


 普通に、二人で食べた。


 一言も、昨日の話はしなかった。


 仕事にも出た。旧市街の浅い家。半日の仕事。


 私は縄を張った。撓ませなかった。


 彼は測った。歩幅が一歩も乱れなかった。


 ――ちゃんとしてる。


 二人とも、ちゃんとしてる。


 ちゃんとしてるのが、いちばん、まずいと思った。


 喧嘩したのに、次の日から普通に働ける関係。


 それは、仕事の関係だからだ。


 仕事の関係は、感情が壊れても回る。


 回ってしまうから、直さなくても済んでしまう。


 私は縄を巻き取りながら、そう思った。


 思って、少し怖くなった。


 このまま、直さないまま、何か月も過ぎるかもしれない。


 過ぎたら、たぶん、そういう関係で固まる。


 ――それは、いやだ。


 私は、はっきりそう思った。


 思ったけど、言い出せなかった。


 言い出す言葉が、まだ足りなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ